ウォッカに沈む月と純情 花音が珍しく友達と飲みに行くと聞いていた黄瀬は時計の針が23時を指した頃からソワソワと落ち着かない気分になっていた。 ソファーにだらしなく横たわっていればスマホに着信が入り、花音からだと安心して出ると何故か出たのは知らない声。 「あの、私、花音の友達で田中って言います。なんかこの子、凄い酔っちゃって。実家には電話するなって暴れるんで、黄瀬さんに電話したんですけど」 「あー、すんません。迎えに行くんで場所教えて下さい」 そんなに酒が好きなようには見えないが、久しぶりの飲み会に浮かれて飲み過ぎたのだろうか。 疑問に思いながらも念のために伊達眼鏡を掛けてニットキャップを被り、ダウンコートを着るとマンションを後にしていた。 幸い駅前通りにある居酒屋だったので直ぐに目当ての人物は見つかる。 「花音さん、大丈夫?な訳ないか」 「すいません、わざわざ……。え、黄瀬……涼太君?」 「嘘っ!」 花音を抱えている友人達にはバレてしまったが、声がおさえ目だったのと週末の賑わいのお陰で周囲には気付かれなかったようだ。 「花音さん、オレの姉ちゃんの友達なんスよ。お世話かけました」 「そうなんだ。花音をお願いします」 下手な事は言わずに酔っ払いを引き受けて礼を言ってから歩き出そうとした。 が、既に1人で立ってもいられないのかグラリと後ろに倒れそうになる花音の身体を慌てて引き寄せる。 「花音さん?」 「……んー、」 「ったく、仕方ないっスね。ちゃんと掴まっててよ」 ひょいとおんぶをして両腕を自分の首に伸ばさせると、なんとか落ちない態勢になっていた。 おんぶなんて初めてで、随分軽いなと驚きつつも時折首筋に当たる吐息が熱くてくすぐったい。 マンションに着いて玄関に降ろすと虚ろな目線で黄瀬を見上げていた花音はウプッ、と口を手で押さえてフラリと立ち上がった。 「ト、トイレ、」 「1人じゃ無理でしょ。連れてってあげる」 トイレに入れてやれやれと一息ついていると暫くしてから花音が出てきたが、まだ気分は悪そうだ。 「花音さん、吐けた?」 ふるふると力なく首を振っている顔は真っ青で冷や汗まで浮かんでいた。 「無理、吐けない」 「吐けば楽になるっスよ」 「だって殆ど食べてないから、」 「……花音さん、水飲んで」 「え、やだ」 「やだじゃない、飲んで」 洗面所にあるピンクのコップに汲んだ水を何度か無理矢理飲ませると、トイレに一緒に入り便座に向かって膝をつかせる。 「え?ちょ、涼太君?」 「ちょっと苦しいけど、我慢して」 「!」 強引に指を2本小さな口に入れると、上顎に触れた途端にビクリと花音の背中が震えたのを見て、そのままゆっくりと指先を差し込んだ。 ゆるゆると指を動かせばしゃくり上げ始めたので多分吐けるはずだ。 「……、や、涼太君、出てって」 「いいから吐いて」 人前で嘔吐だなんて女なら誰だってしたくないだろうが、今はとにかく楽にしてあげたい。 「やだ、」 「……」 「っ!」 ぐい、と更に指先を奥に差し込むと堪らずに吐き出したのと同時に指を抜いて、黄瀬はトイレから出ていた。 洗面台で手を洗っていると恐る恐る、という感じで花音が顔を見せる。 「スッキリしたでしょ」 「……うん、ありがとう。ごめんね、汚ないことさせて」 「構わないっスよ。口ん中気持ち悪かったら、歯磨いたら?」 「ん、」 素直に歯ブラシを手にするのを確認してリビングのソファーに座っていると、先程よりも顔色の良くなった花音が着替えを済ませてやって来た。 「はい、お水」 「ありがと。涼太君、なんか色々とごめんなさい」 「もう飲み過ぎ禁止」 「ん……。元々、お酒は弱いし余り飲まないんだけど」 ソファーに並んで座り弱々しく溜め息を吐く姿が儚げで頼りなくて心配になってしまう。 「なんかあったんスか?」 「……うん」 「だったら話してみれば?吐いた方がスッキリするっしょ」 俯き、躊躇っていたのに、まだ残るアルコールのせいか、誰かに話したかったのかは解りかねるがポツリポツリと話し出していた。 高校の時の担任教師に恋していたこと。 ずっと好きでお見合いする前にせめて気持ちを伝えたくて、同窓会の帰りに告白しようとしたこと。 同窓会の最中にその教師が結婚するのを知ったこと。 「結婚するのはショックだったけど……。でも先生が幸せになるならって思ってた。でも今日、彼女さんが妊娠してるって友達から聞いて」 本当に自分の恋は終わったのだと実感して、やりきれない気分で気付けばアルコールに逃げていた。 それでも頭に浮かぶのは大好きだった笑顔ばかりで、消し去る事など出来なくてどうすればいいのか解らない。 「本当にね、好きだったの」 「うん」 「優しくて、頭も良くて、一緒にいるだけで温かい気持ちになれて」 「うん」 「本当に、大好きなの」 まだ過去形にしたくないのか、そんな事を呟く顔は恋する女の子そのもので、ドキリと黄瀬の胸は迂闊にも高鳴る。 「なんか、羨ましいっス」 「……失恋したのが?」 「違う。そんなに真っ直ぐに純粋に恋することが出来て」 その顔も知らない男に心底、嫉妬する程に羨ましかった。 こんな風に純粋な想いを向けられたことなんて自分にはないと思うとちょっと情けない。 「純粋なんかじゃ、ない。私……、妊娠したって聞いて怖いこと考えたの。ほんの一瞬だけど。凄い嫌な女なの」 「花音さんの意外な一面っスね。でももっと汚ない感情だってあるから。特に男と女は」 「……経験者は語っちゃう?」 「経験者なんて……。オレは多分まだ、」 本気で誰かに恋したことなんてない。 適当に付き合ってキスしてセックスする、そんなテンプレみたいな恋愛を悪戯に繰り返していただけだ。 「今は辛いけど、私……先生を好きになって良かった」 花音の囁きは内容とは裏腹にまるで黄瀬の胸に突き刺さる凶器のようだった。 自分は何時も別れる時には女という生き物に失望していたから。 動揺を隠しながらチラリと隣を窺うとうつらうつらとしているのが目に入る。 「花音さん、もう寝たら」 「……ん、」 そっと頭を撫でてやると花音が嬉しそうに笑みを浮かべていた。 「なんだか……先生の手、みたい」 好きな男に想いを重ねられるということが、こんなに苦しいものだと黄瀬は知らなかった。 それでも今、彼女が望んでいるのならと寝息が聞こえるまで出来るだけ優しく撫で続けていた。 20140101 |