「苗字、それ一口くれ」

「え、」

千載一遇のチャンスは唐突に訪れて、どうしようかと迷っていれば笠松は「ダメか?」と困ったように太い眉をしかめていた。


「ダメな訳ないです。あ、これキャップ開けちゃいましたけど、まだ私、飲んでないので!本当にまだ、くくく、口なんて付けてませんから、ご安心を!」

「さんきゅ」

さあ、どうぞ!と鼻息荒くペットボトルを渡すと笠松は多少怪訝そうな表情を見せたが、素直に受け取ってくれる。
コンビニで発見した新発売のスポドリはグレープフルーツ味で、デザインも可愛くて帰宅部の名前も美味しそうと思えるものだった為、速攻で買ってからバスケ部の練習を覗きに来た。
本当は一口飲んだ直後だったが休憩に入ったばかりの笠松は全く気付いていない。


(ああああっ!私と笠松先輩が間接ちゅーとか!うわぁ、もう死んでもいい。いやまだ死にたくないけども!)


「苗字、見過ぎだ、バカ」

「すみません。私の事は気にせずに、さぁ飲んで飲んで飲んで飲ーんで!」

なんならパーリラパーリラ掛け声付けますよ!と益々鼻息が荒くなる。


「…変な奴」

笠松先輩との間接ちゅーまで5秒前。4、3、2…私の鼻血噴射まで1秒前!
じっと見守っていると背後からパタパタ、と軽快な足音で近付いた男が、一瞬で笠松の手からペットボトルを奪い去った。


「お?」

「いただきます!」

「えええっ!?」

片手を腰に当てて牛乳を飲むオッサンみたいなポーズで黄瀬涼太はごくごく、と一気にスポドリを飲み干す。


「ぷはっ…。これ美味いっスね!」

キラキラと金髪よりも無駄に煌めく瞳と笑顔は、まるでコマーシャルを見せられたような気分だ。


「ふざけんな、黄瀬!お前はスポドリのCM狙ってんのか?勝手にファイト一発ほざいてろ!てか、それ笠松先輩にあげたんだけど!」

「だって喉カラカラだったし。名前がおねだりすんならオレ、ファイト百発しちゃう……がふぅっ!」

無残にも砕けた間接ちゅーを前にして我慢出来ずに黄瀬の鳩尾にパンチを食らわしていた。


「あと、もうちょっとだったのに…」

「あ、名前とオレ、間接ちゅーしちゃった!やだー照れるー」

「断じてしてない。私まだ口を付けてなかったし」

「嘘ばっか。これ、名前の味がしたし」

「私の味って何?」

「昼に食った唐揚げ的な?」

「ああ、ニンニクが隠し味的な?…って!ひぃっ!まだ匂う?」

恋する乙女がニンニク臭いとか笠松先輩にドン引きされては敵わないと、口元を隠していた。


「別に匂わねーよ。つか苗字。もうスポドリないのか?」

「はい…」

ポンポン、と気にするなと伝えるみたいに笠松は名前の頭に軽く触れると、一年生が作ったスポドリを貰いに去ってゆく。


「ヤバい…頭ポンポンされちゃった」

間接ちゅーには失敗したがこれも凄く嬉しいと、ニヤニヤしていた自分が甘かった。


「オレはニンニク臭い名前でも全然オッケーっスよ!スポドリくれたお礼に撫で撫でしてあげる!」

笠松の手の感触をあっさりと塗り替える、黄瀬の大きな手にワナワナと怒りが込み上げた。


「いやあぁぁっ!笠松先輩の癒しポンポンが掻き消されたぁっ!黄瀬のバカ!タラシ!」

「タラシじゃないっスよ」

憧れの笠松を見に来る度にクラスメイトの黄瀬に邪魔される日々に目眩さえ感じる。


「…名前だけ、だから」

「ほざいてろ、金髪チャラ男」

「あのさ、」

「な、なに?近い近い!」

笠松や森山始めメンバーが外に風に当たりに出て行き、二人きりになった途端に黄瀬はグッと距離を詰めて来た。


「さっき笠松先輩が名前と間接ちゅーなんてしてたら。オレ、それを上塗りするベロちゅーしてたから、アンタに」

「な、」

「間接ちゅーも頭ポンポンも、許せない。そんくらい名前が好き」

「き…、せ?」

「アンタが笠松先輩に夢中で全っ然、振り向いてくれないから。オレ、本気で行くことにしたんで。覚悟しといてね」

するりと名前の震える唇を撫でる黄瀬の艶やかな琥珀色の瞳には、オスの光がチラリと見え隠れしていて不覚にもドキリと胸が高鳴る。
そんな動揺を見透かしたように弧を描く唇を見上げながら、こんな顔もするんだと反論も出来ずに気持ちは完全に掻き乱されていた。


title:レイラの初恋
20130410

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