おつかれさま
「完全に渋滞に巻き込まれちゃいましたね……」
仕事が終わって寮に帰る車の中。
ため息混じりのマネージャーの呟きに、オレは車の前方に目をやった。
首都高は大渋滞。どうやらこの先で事故があったらしい。車はのろのろと進むばかりで、前にも後ろにも長い列を作っている。
「お疲れのところ申し訳ありません……。到着まで眠ってくださって大丈夫ですよ」
ハンドルを握ったまま、運転席から後ろを振り返ってマネージャーが言う。オレはううん、と首を横に振った。
「眠くないから大丈夫! それよりマネージャーこそ、疲れてるのにごめんね。オレが代わりに運転できればいいのに……」
「いえ、お二人を無事送り届けるまでが私の仕事ですから!」
元気いっぱいの返事が頼もしい。「よろしくお願いします」と返事をして、オレはふと、隣の一織がうとうとしているのに気がついた。
そういえば一織、もうすぐ試験だとかで昨夜も遅くまで勉強してたっけ。今日も学校を早退して番組収録に駆けつけていたし、相当疲れてるんだろうな。
「一織」と声をかけると一織は「なんですか」と顔を上げる。心なしかその瞼はいつもより重たそうだ。
「お前、今日あまり寝てないんだろ? ついたら起こすから寝ていいよ」
「大丈夫です。私のことはお気遣いなく」
こんな時くらい素直に甘えたらいいのに、一織はそう言って平気な顔をしてみせる。言えば言うだけ強がるのがわかってるから、オレはそれ以上言うのをやめた。
──十分後。
「……一織さん、寝ちゃいました?」
バックミラー越しに後部座席を見て、マネージャーが訊ねてくる。オレは小さく笑って頷いた。
さっきの言葉はどこへやら、一織はオレの肩に寄りかかってすうすうと寝息を立てている。
眠ってる顔はいつもより幼く見えて、オレはふふ、と笑った。こんな一織は滅多に見られないから貴重だ。せっかくだから目に焼き付けておこうと見つめていると、一織が小さく身じろいだ。
「あ」
目が覚めちゃったのかな?
そう思うと同時、一織は小さく、「七瀬さん……」とオレの名前を呼ぶ。
オレはどきっとして「一織?」と訊ねた。すると一織は渋い顔をして「それ、食べ物じゃないですよ……」と言った。
「えっ?」
いったい何の話だろう。
見つめる先で、一織は黙り込む。再び寝息が聞こえてきて、オレはぽかんとした。
「今のって……もしかして寝言ですか?」
さっきの声、マネージャーにも聞こえたみたいだ。オレは眉を寄せて、「そうみたい」と答えた。
一織、いったいどんな夢見てるんだよ!
「完全に寝ちゃってるよ。ついさっきまで、『私のことはお気遣いなく』……なんて言ってたのに」
さっきのモノマネをしてみせると、マネージャーはふふっと笑った。
「だいぶお疲れなんですね。収録中はいつもとお変わりなく見えましたけど……」
確かに収録中はいつも通りの一織だった。そういうところ、同じメンバーとして誇らしいし、凄いなって思うんだけど。
「今日あんまり寝てないみたい。もうすぐテストなんだって。ここ最近、毎日遅くまで勉強してるよ」
「一織さんらしいですね。試験前はお仕事もセーブするように出来たらいいんですけど、今はなかなかそうもいかなくて……。一織さんにも学業とお仕事のバランスを相談してはいるんですけど、御本人が大丈夫と仰るのでつい甘えてしまうんです」
「一織、すぐ大丈夫って言うからなあ」
年下のくせに頼りがいがありすぎるんだよな。だからつい、オレもすぐ頼っちゃうんだけど……。
「大丈夫だよ。なんたって一織はパーフェクト高校生だもん。それに一織にはオレがついてるし! 無理しすぎてるときは、オレがちゃんと休ませるから安心して」
オレが言うと、マネージャーは「お願いしますね」と微笑んだ。
渋滞はいくらか解消したみたいだ。静かに走り出した車の中で、オレはもう一度肩口の一織に視線を戻した。
すやすやと眠る顔はいつもと違って幼く、そんな一織を見ていると、なんだか守ってあげなきゃって気持ちになってくる。
一織に言ったら、「七瀬さんには言われたくないです」って笑われちゃいそうだけど、オレは真剣に、心の底からそう思った。
頑張り屋で強がりで、パーフェクトな一織。
オレはいつも助けられてばかりだけど、その何分の一かは、オレが一織を助けてあげたいって思った。
そっと手を伸ばし、肩にもたれる一織の髪に触れる。さらさらとした髪は、手触りが良くて気持ちよかった。
そういえば、一織の髪を触るのはこれが初めてかも。こんな手触りなんだ……と思ったら、なんでか少しどきどきした。
手を離すのが惜しくて、小さい頃、天にぃがしてくれたみたいによしよしと撫でてみる。するとくすぐったいのか、一織はびくっと震えた。
あ!と慌てて手を離す。起こしちゃったかもと思って焦ったけど、大丈夫だったみたいだ。またすぐ、小さな寝息が聞こえてくる。
オレの肩で眠る一織に、いつもの生意気な影はどこにもない。どこかくすぐったい気分になって、オレは小さく笑った。
今日はなんだか、オレの方が年上みたい……って、実際オレの方が年上なんだけど!
いつもこんなふうに、もっとオレを頼ってくれたらいいのに。そんな一織はあまり想像がつかないけど、一織に頼られるオレでありたいって思った。
今はまだ無理かもしれない。でもいつか、そんな日が来たらいいな。その時はいっぱい、甘やかしてあげるから。
(おつかれさま)
心の中で呟いて、オレはもう一度、一織の頭をそうっと撫でた。