ないしょばなし 環&陸

「はぁー……」
 大きなため息を零しながら、環はシャープペンを持ったままテーブルに突っ伏した。
 卓上には、不足している出席日数を補うため学校から出された課題が広がっている。
 今回の課題は読書感想文。本を読んで感想を書くなんて、環が一番苦手なものだ。何やかやと理由をつけて後回しにしていたら、あっという間に提出期限が来てしまった。

『終わるまで今夜は寝かせませんからね』

 とっくの昔に提出まで終わらせていた一織は、そう言って環を自分の部屋に監禁した。
 環の部屋やリビングだと、気が散って集中しないだろうというのが彼の考えだ。
 それは正しく、この殺風景な部屋は退屈で仕方がない。スマホも取り上げられてしまったから、今環が向き合えるのは課題として出された小説が載っている現国の教科書と国語辞典、それから三行だけ書いて残りは白紙のレポート用紙一枚のみである。
 部屋の主は十分ほど前に部屋を出て行ったきりだ。
 今回の課題はレポート用紙二枚分の読書感想文。しかし環の手元には一枚のレポート用紙しかなかった。一織は眉間に皺を寄せて『あなた課題をやる気があるんですか?』といったが、そんなもの、あったらとっくに終わっている。口に出したら倍叱られるのが目に見えていたから、言い返しはしなかったけれど。
 あいにく一織もストックが切れているとのことで、彼はコンビニに出掛けて行った。
環は自分で行くと言ったのだが、『そう言ってサボる気でしょう』と見抜かれてしまったのだ。『ついでに王様プリン買ってきて』という切実な頼みもあっさり無視したのだから、一織は非情だ。
 ――なんて恨んではみても、本当は彼が優しいことを知っている。自分は終わっているのに、こうしてわざわざ付き合ってくれるのだから。
「これ以上どう書けっていうんだよ……」
 話は読んだ。しかしはっきり言って話の内容が難解でよくわからない。昔の話だから、文章も硬いし単語の意味さえわからないものもある。日本語なのに日本語じゃないみたいだ。そもそも授業も満足に受けられていないのに感想を書けというのは無理があるんじゃないか。

《意味がわからなくてつまらなかった。》

 正直な感想を書いたら即座に一織に叱られた。一行で終わっては課題にならないだろうという彼の主張はもっともだが、他に表現のしようがない。
『私が帰るまでにもう一度じっくり読み直してください』
 一織はそう言い残して行ったけれど、もう一度読み返す気力すら湧かない。国語辞典をぱらぱらと捲っていると、ふいに部屋のドアがノックされた。
「一織! 入っていい?」
 ドアの向こうから聞こえてきたのは陸の声だ。仕事から帰ってきたのだろう。環は「どーぞ」と返事をした。
「環?」
 ドアを開けて、陸がひょっこり顔を出す。環は「りっくんおかえり」と声をかけた。
「ただいま! 二人で勉強してたの? 一織は?」
「コンビニ行ってる。帰ってきたら俺の監視役するって」
「あー、環、また課題サボってたんだろ」
 陸はあははと笑って、「じゃあオレ、邪魔しちゃ悪いから部屋帰るな」と言った。
「いおりんに用があったんじゃねーの?」
「ううん、特に用はないよ。なんとなく寄っただけ」
 ――なんとなく。
 わかるような、わからないような。
 そのまま立ち去ろうとする陸を、環は「待った!」と呼び止めた。
「りっくん、本読むの好きだよな」
「うん?」
 きょとんとする陸に、環はこれで課題に勝てる!とにっこり笑った。



「羅生門かあ。懐かしい、オレも授業でやったよ」
 そんなに昔のことでもないだろうに、環の教科書を読んで陸はしみじみと言った。
「この話、意味わかんなくね? まず日本語じゃない」
「日本語だよ! でも確かにちょっと、とっくきにくいかもね」
「これでレポート二枚書けって鬼だろ」
「あとどのくらい?」
 このくらい、と三行だけ書いたレポートを見せると、陸はぷっと吹き出した。
「全然できてないじゃん!」
「もう無理。りっくん代わりに書いて」
「駄目だよ。環の課題なんだから環が自分で書かないと。読書感想文だろ? 思ったことをそのまま書けばいいんだよ」
 いつだって優しいのに、こういうところは厳しい。環はぶすっと膨れて仰向けに寝転がった。
「その前に話の意味がわかんねーんだって」
 両手両足を大きく開き体を投げ出す環に、陸は「もう一回、読んでみたら?」と一織と同じことを言った。
「意味がわからないのを何回読んでも同じだろ」
 環が言うと、陸はうーんと眉を寄せる。それからふと、いいことを思いついたというように声を上げた。
「登場人物を知ってる誰かにあてはめたら、わかりやすくなるかも!」
「登場人物? って、このゲニンってやつと、ばーちゃん?」
「そうそう。大和さんと三月とか! ドラマで演じてると思えば、想像するのもそんなに難しくないだろ?」
「ゲニンがヤマさんで、ばーちゃんがみっきー?」
「いいね、それでいこう!」
 本当にいい考えだろうか?
 疑問に思ったが、陸があまりにも期待に満ちた顔をしているので、環は渋々教科書を手に取った。
 結果として、陸の提案は大正解だった。登場人物を身近な人物に置き換えただけで、意味不明だった話の内容もすんなり頭に入ってきた。
「このヤマさん悪くねーけど、みっきーかわいそうじゃね?」
「それを感想として書けばいいんだよ。大和さんがどうして最後三月にあんなことをしたのか、環が思う理由を添えてさ。そしたらきっと、二枚なんてすぐ終わるよ」
「おー。なんか書けそうな気がしてきた」
 環がそう言うと、陸は嬉しそうに破顔した。
「ほんと? やったじゃん!」
「りっくんのおかげで俺もいおりんも眠れるな」
 さっさと終わらせようと思ったが、レポート用紙がないことを思いだす。すると同じことに気付いたのか陸が時計を見て言った。
「そういえば一織、コンビニ行ったにしては遅いね」
 確かに遅い。最寄りのコンビニは寮から五分ほどの場所なのに、一織が出かけてもう三十分は経っていた。
「大丈夫かな。オレ、ちょっと見てこようかな?」
 そこまで遅くないと思うが、陸はよほど心配なのかやけにそわそわしている。そんな彼を見て、環はふと心に浮かんだ疑問を口にした。
「りっくんってさあ」
「うん?」
「いおりんと付き合ってんの?」
 環の問いに、陸はぴしりと固まった。
 一秒、二秒、三秒。
 きっかり間を置いた後――。
「なっ、なななななに言ってるんだよ! そんなわけないじゃん!」
 まるでトマトみたいに顔を真っ赤にし声を張り上げた陸を見て、環はやっぱり、と思った。
「ちがっ、違う! 違うから! ほんとに、あの、オレたちそんなんじゃなくて……!」
「りっくん、落ち着けよ」
「お、落ち着いてるよ! 環が変なこと言い出すから……! だから、あの……」
 無言でじっと見つめると、絡んだ視線の先陸の瞳が大きく揺れる。
「……っ」
 そのまま見つめ続ける環に、やがて根負けしたのか陸はばっと俯いた。顔は見えなくなったが、耳まで真っ赤だ。環は「りっくん」と声をかけた。びく、と肩が跳ねる。
 これではもう、自白したも同然だ。そう思うと同時、陸は小さく口を開いた。 
「いつから、気付いてた?」
 俯いたまま訊ねる陸に、環はうーんと眉を寄せた。
「いつからってか、最近ちょっと、空気変わった気がした」
 どこがどうというのは難しい。それこそ読書感想文のようだ。
 環自身恋愛には興味がないし、学校の友達から聞かされる恋愛話を遠くの世界のことのようにも感じていた。けれど今の陸は、恋に悩む彼らと似た表情を浮かべている。
「……もしかして、みんな気が付いてるのかな」
「さあ。誰も何も言ってねーけど。あ、でもそーちゃんは別。あいつは絶対気付いてない」
 気付いていたら一人悩んで胃を痛めていそうだ。環の知る限り、最近の彼にそんな様子はない。
「まあ気が付いてても、別に問題ないんじゃね?」
 そう言うと、陸はそろそろと頭を上げる。今までに見たことのないくらい真っ赤な顔をした陸を見て、環はぷっと吹き出した。
「りっくん、トマトみたいになってんぞ」
「だ、だって……!」
 陸は少しだけ怒った顔をしたが、すぐに眉を下げた。
「環……気持ち悪くないの?」
「なにが」
「オレたちが付き合ってること……。男同士だし、同じグループのメンバーなのに」
 そう言って再び俯く陸に、環はは?と眉を顰めた。
「そんなわけないだろ」
 正直驚きはある。けれど陸と一織なら、妙に納得してしまう部分があった。
 それに二人は大切な友達で大切な仲間だ。気持ち悪いと思うなんて絶対にない。
 きっぱり言うと、陸はびっくりした顔でこちらを見る。それから小さく、「ありがとう」と言った。声はわずかに震えていた。
「みんなにはまだ言わないでくれる? 一織にも」
「別にいいけど。なんで?」
「変に気を遣わせたくないんだ。正直、オレたちもまだ手探り状態って感じだし……。もっとちゃんとしてから報告しようって決めてたから。環にはバレちゃったけど、一織がそれ知ったら絶対慌てると思うし」
「いおりんは絶対慌てるな」
「だろ?」
「わかった。黙っとく。俺とりっくんだけの秘密な」
「うん。ありがとう、環」
 照れた顔ではにかむ陸に環も笑った。陸のこんな表情は初めて見たかもしれない。
 新鮮で、少しくすぐったい気分だ。
「なんか、いいな」
「うん?」
「りっくん、幸せそうじゃん。それ系のオーラが出てる。ぽわぽわ、みたいな。よかったじゃん」
 指摘すると、陸は再びかあっと顔を赤らめる。面白いな、と環は思った。
「かっ……からかうのやめろよな!」
「からかってねえし」
 むしろ一織の方がからかい甲斐があるかもしれない。
 そう思ったが、環はすぐに打ち消した。陸と違って一織はその後が面倒だ。それになにより、彼には言わないと陸と約束したし。
「環にバレてよかった」
 ふと陸が言った。
「隠したかったんじゃないのかよ」
「そうだけど、一織と付き合ってるなんて誰にも言えないって思ってたから。こうやって話せて、よかったなって言ってもらえて嬉しい」
 えへへと照れ笑いする陸につられて笑みが浮かぶ。
 幸せそうな友達を見るのはいい気分だ。
「なありっくん、付き合うってどんな感じ?」
「えっ……」
「男同士って、どんなことすんの?」
 それは純粋な好奇心だったが、環の質問に陸は再びぼっと顔を赤らめた。
「りっくん、またトマト」
「たっ、環がいきなり変なこと聞くからだろ! 環のえっち!」
「は? えろい話なんてしてねーし」
 ぎゃあぎゃあと言い合いをしていると、突然部屋のドアが開いた。
 はっとして同時にそちらを見ると、買い物袋を提げた一織が立っている。
「あなたたち、いったい何をしてるんですか」
「いっ、一織……!」
「いおりん、おかえり」
 慌てる陸を尻目にのんびり出迎えると、キッと鋭い視線が返ってくる。
「四葉さん、少しは課題進んだんでしょうね」
「おー。りっくんが書き方教えてくれたし、ヤマさんとみっきーのおかげで余裕」
「二階堂さんと兄さん……? お二人にも手伝ってもらったんですか?」
 首を傾げる一織に、陸と顔を見合わせて笑う。
 一織は怪訝な顔をしたけれど、「余裕ならいいです」と言って持っていたコンビニの袋をテーブルの上に置いた。その瞬間、耳慣れたガラスのぶつかる音がする。
「王様プリン!」
 思わず袋に飛びついた。中には思った通り、レポート用紙と一緒に環の大好きな王様プリンが二つ入っている。注文は無視されたと思ったのに、ちゃんと買ってきてくれたのか。
「いおりん神様!」
「プリンは課題が終わってからですよ」
「よっし、超特急で終わらせる!」
 今なら十分もかからず終わらせることができそうだ。そう思ってレポート用紙の封をびりびりと開けると、陸が立ち上がった。
「じゃあオレ、部屋戻るな」
「七瀬さん、プリンおひとつどうぞ」
「え。でも二つしかないだろ。一つは一織の分じゃないの?」
「私は結構ですから」
 一織はそう言ってプリンを陸に差し出す。でも……と渋る陸に、環は言った。
「りっくんといおりんで半分こすれば?」
「っ環……!」
 こら!と叱るようにこちらを見る陸に素知らぬ顔をしてみせると、一織は呆れ顔でこちらを見た。
「自分はまるまる一つ食べる気ですか」
「だって俺へのご褒美だろ?」
 王様プリンは俺の命だし、と続けると、一織ははあ、とため息を吐いた。
「わかりました。七瀬さん、半分こしましょう」
「あ……。うん!」
 これで少しは課題を手伝ってもらったお礼ができたかも。
 嬉しそうに微笑む陸を見て、環は小さく笑った。

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