2月1日

 昨夜遅くに降り出した雨は、いつしか雪に変わったらしい。朝には見る影もなく消えていたが、雪が降ったというだけあって、冬の空気はしんと冷えわたっていた。
 今日は午後から音楽番組の収録だが、一織と環は午前中通常通り授業がある。一織がいつもの時間に身支度を整えリビングに向かうと、珍しくメンバー全員が揃っていた。

「――あ! おはよう一織! 朝ごはんできたら呼びに行こうと思ってたんだよ!」

 まっさきにこちらに気付いた陸が声をかけてくる。一織は「おはようございます」と挨拶を返した。
 リビングのソファに体育座りして朝のニュースを見ていた陸の隣では、制服姿の環が彼に寄り添い寝息を立てている。その向かいでは大和とナギが眠たげな顔でコーヒーを啜っており、キッチンからは朝食の準備をしているのだろう、三月と壮五の朗らかなやりとりが聞こえていた。
「グッモーニン、イオリ……」
「ぐっもーにん、イチ」
「おはようございます。……みなさん揃ってどうされたんですか。七瀬さんも二階堂さんも六弥さんも、今日は午前中オフですよね?」
 今日午前に仕事が入っているのは三月と壮五の二人だけ。
 仕事のない面々は、いつもならまだ寝ている時間だ。環ですらこの時間に制服に着替えて下にいるのは珍しいというのに。
「お兄さんはもっと寝ていたかったんですけどね……。タマとリクの襲撃に遭ってやむなく起きたってわけ」
 ふぁあ、と欠伸をして大和が言う。
 昨夜彼はドラマの打ち上げで帰りが遅かったはず。もっと寝ていたかったというのは本音だろう。
「ワタシも寝不足です……。朝方までハードディスクの整理をしていたというのに、タマキとリクに叩き起こされました」
 そう告げるナギの表情は、この上なく深刻な悩みを抱えているかのようだ。美形すぎるのも考えものだなと思いながら、一織は短く息を吐いた。
「四葉さんと七瀬さんはどうして早起きしたんですか。と言っても、四葉さんは寝ているようですけど」
「今日は久々に全員そろってるから、みんなで一緒に朝ごはん食べようって環と計画したんだ! 環も張り切って起きたのに、大和さんとナギ起こしたらまた寝ちゃった」
 心底眠そうな大和とナギとは対照的に、爽やかな笑顔を浮かべて陸が言う。
 なるほどそういうことかと一織は納得した。
「皆さん、七瀬さんの我儘に付き合わされたんですね」
 まれによくあることだ。
 一織が言うと、陸は即座に反論した。
「ちがうよ! オレじゃなくて、大和さんの!」
 その言葉に、今度は大和がぽかんとした。
「おいリク、なんの話だ?」
「大和さん、この間言ってたでしょ? 最近メンバーとごはん食べてないから、一緒に食べたいって」
「……俺、そんなこと言った?」
「それでしたら、日曜日に放送された特番の中で仰っていましたね」
 その番組なら、自分も陸と一緒に見ていたので覚えている。一織の答えに、大和は「ああー」と声を上げ、上半身をぱたりとソファに投げ出した。
「そういや言ったかもな……でもなあリク、そういうのは、律儀に応えてくれなくていいんだよ……?」
 泣き笑いの顔でそんなことを言う大和に、陸は一点の曇りもない笑顔を浮かべる。
「だって今日から二月だもん! 大和さんのお願い、できるだけ叶えてあげなくちゃ!」
「OH! そういえばそうでしたね! YMT強化月間スタートです!」
 陸の言葉を聞いて、ナギも途端に顔を輝かせる。一織もああ、と思った。
 IDOLiSH7のメンバーは一月から七月まで、毎月メンバーの誕生日がある。その月に誕生日を迎えるメンバーの強化月間と題して、一ヶ月かけてみんなで祝うのがグループ内での恒例行事なのだ。
 好きなメニューが食卓に並んだり、お風呂の順番が早くなったりとささやかなものではあるが、一織も先月その恩恵を受けたばかりである。
 今月は大和の誕生月。今日から彼がみんなに祝われる対象となるのだ。
 それで陸は、早速大和の願いを叶えようと思い立ったのだろう。大和にとって、これが喜ばしいことなのかは疑問だが――、そのときだった。

「ヤマさんが俺の王様プリン食った!!」

 突然環が、がばっと身を起こし大声で叫んだ。あまりの声にその場にいる全員がびくりとして彼を見る。キッチンにいる三月と壮五からも、うわっと声が聞こえてきた。
「び、びっくりしたあ……」
 胸元を押さえて陸が言うと、ナギも同様に胸に手を宛てる。そしてそっと瞼を閉じ、芝居がかった口調で言った。
「タマキは夢の中でも王様プリンを求めているのですね。溢れる愛を感じます……」
「環、今月は大和さん月間なんだから、プリン食べちゃっても許してあげて」
「リクくん、それ濡れ衣だからね」
「最後に食おうと思ってとっておいた最後の王様プリンだったのに!!」
「タマキの最後のプリンを食べてしまうなんて、ヤマトはなんと罪深い男なのでしょう」
「おいナギ」
「俺のプリン……!」
「大和さんも悪気はなかったと思うよ。プリンが食べたかっただけだと思う」
 今にも泣き出しそうな環を必死に宥める陸は、本気なのか冗談なのか判別しがたい。
 いや、おそらく本気だろう。
「あのねリクくん、夢の中のことまで庇ってくれるのはありがたいんだけど、そもそも夢だから。つーかタマの夢の中の俺、どんだけ極悪人なんだよ」
「ゆめ……? あ、夢か! よかったぁーーー!!」
 コントですか。
 胸の内で突っ込みながら、一織ははあ、とため息を吐いた。
「まったく、朝から騒がしい人たちですね」
「Mm……イオリ、自分の強化月間が終わってしまったからといって拗ねないで。また一年後、心からお祝いして差し上げますよ」
 優しい声色でナギが言う。一織はは?と彼を見た。
「別に拗ねてませんけど!?」
「いおりん、拗ねてんの? 先月いっぱい甘えさせてやっただろ。来年まで我慢しろよ」
 さっきまで泣き出しそうな顔をしていたくせに、途端に兄貴ぶる環に一織はムッと眉を寄せた。
「ですから拗ねていません! というか、あなたに甘えさせていただいた覚えもありませんよ。いったい何の話ですか」
「なんだよ、王様プリンやっただろ。あといおりんが欲しがってたうさみみフレ――」
「四葉さん、まだ夢を見ているようですね! 今すぐ洗面所に行って顔を洗ってしゃきっとしてきてください!」
「あ? 起きてんし」
「いいから洗面所にどうぞ!」
 半ば強引に立ち上がらせて背中を押すと、素直な彼は渋々洗面所に向かっていった。
 あぶないところだった――。
 まったく、いきなり何を言い出すのだか。
 ほっと胸を撫で下ろしていると、ふいに横から「一織」と名前を呼ばれた。
「なんですか」
 隣を見ると、陸が何か言いたげな顔で立っている。
「七瀬さん?」
「ちょっと、こっちきて」
 グイグイと制服の袖を引っ張られ、一織は「やめてください、伸びるじゃないですか」と眉を寄せた。しかし陸はそんな一織にかまうことなく、強引にリビングの外に引っ張っていく。
 二人きりになった空間で、一織は再び「なんですか」と尋ねた。
 大和に秘密にしたい相談でもあるのだろうか。わざわざ寒い廊下に出なくともラビチャですませればいいものを――そう思うと同時、陸は無言で一織の肩に両手を置いた。
 え?と目を瞠ったのは一瞬。
 ふにゃっと唇にふれたのは、一織のよく知るやわらかな温もりだった。
「……っ」
 突然のキスにぴしりと固まった一織の目の前で、陸は唇を離すと照れた表情ではにかむ。
そして小さく、
「一月は終わっちゃったけど、オレはずっと一織強化月間だよ」
と囁いた。
「だから拗ねないで」
 続く言葉に、どきんと鼓動が跳ねる。
「…………なっ」
 拗ねてませんけど!!
 心の中で叫ぶが声にならない。
 至近距離にある彼の瞳を見つめ返すと、真っ赤な飴玉のようなそれは何かを訴えるように小さく揺れた。
 ……七瀬、さん。
 何を思うでもなく、目の前の彼に腕が伸びかけたそのとき。
「一織ー、陸ー! 朝飯できたぞー!」
 奥から三月の声が飛んでくる。
 びくりとして動きを止めると、同じようにびくっとした陸は、やがてふふっと笑い一織から離れた。
「行こう、一織」
 ほんのり染まった頬に、またひとつどきんと鼓動が跳ねる。
 このまま離れろというのか。
 すぐには頷けなくて無言で見つめると、陸は仕方ないなあという顔をして、そっと顔を近付けた。
「続きは夜!」
「……っ」
「……ね?」
 優しく宥めるように告げられて、また何も言えなくなってしまう。
 ……ずるい人。
 一織がじっと見つめると、陸はそっと視線を逸らす。そのまま離れかけた彼の腕を、一織は強く引き寄せた。
「い、」
 彼が名前を呼ぶより早く、その唇を塞ぐ。
 ほんの一瞬、触れて離れたキスにぽかんとしている陸を見つめ、一織は小さく囁いた。
「夜、覚悟してくださいね」
「……っ」
 仕返しのつもりで告げた言葉に、陸はたちまち真っ赤になる。つられて自分も赤くなるのを感じながら、一織はそれを誤魔化すように陸の手をそっと握った。
 自分よりあたたかい彼の指先が、びくりと跳ねる。
 けれどそれも一瞬。
 陸の手が、すぐにきゅっと握り返してきたから。
 一織はもう一度強く、彼の手を握り返した。


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