Belong to you

 クリスマスを目前に控えた12月22日、木曜日。
 都内某所にある居酒屋では、『キミと愛なNight!』の打ち上げが開かれていた。
 今日は年内最後の収録が行われたので、番組の忘年会も兼ねている。おかげで参加しているスタッフの人数もいつもより多く、盛大な会となっていた。
 時刻は午後九時になろうというところ。宴席が始まって一時間が過ぎ、大人たちはいい具合に酒が回って上機嫌だ。
 ジャケットのポケットに入れていたスマホがアラームで震え、時刻を確認した一織は隣でスタッフと談笑している陸に小さく声をかけた。
「七瀬さん、そろそろ」
「あ、時間?」
「ええ」
 二人は話をしていたスタッフに頭を下げ、プロデューサーと歓談しているマネージャーの元へと移動した。
「マネージャー、私たちはそろそろ失礼します」
「あっ、はい! もうこんな時間なんですね」
「なんだ、君たちもう帰るのか? まだいいじゃないか。ゆっくりしていきなよ」
 こちらの会話を聞きつけてプロデューサーが言う。すると一織が口を開く前に、紡が笑顔で答えた。
「すみません、二人とも明日ラジオの生放送があるんです。朝早いので、お先に失礼させてください」
 彼女の言葉に、プロデューサーはああ!と思い出したように笑顔になった。
「六時間の生放送だっけ? 大変だろうけど頑張って! 俺も仕事の合間に聴かせてもらうよ」
「はい、頑張ります!」
「ありがとうございます。今年は大変お世話になりました。来年もご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いいたします」
「おっ、お願いします!」
 一織の挨拶に、隣の陸も慌てて頭を下げる。
 もう少ししっかりしてくれと呆れてしまうが、こういうところはかえって彼の長所でもある。目の前のプロデューサーと紡はもちろん、自分も口角が上がっていることに気付き、一織は慌てて顔を引き締めた。
 明日は陸と二人、生放送のラジオ番組の仕事が入っている。昨年に引き続き二度目となる特別番組だ。前回の放送が好評だったので、ぜひ今年もと声をかけてもらえたのだった。
 昼の一時から夜の七時まで、六時間ノンストップの生放送。他のメンバーもゲスト出演してくれる予定だが、それ以外はオフだというので、一織と陸は一足先に帰ることにしていたのだった。
「送っていけなくて申し訳ありません。すぐにタクシー呼びますね」
「大丈夫だよ、タクシーなんて外に出ればすぐ見つかるし」
 陸から「な!」と同意を求められ頷くと、紡は「ではそこまでお見送りします」と言う。一織は穏やかにそれを制した。
「ここで結構です。あの人たちに見つかると面倒なので」
 言いながら目を向けると、視線の先では完全に酔いつぶれた壮五と三月が肩を組んで歌っている。
 その横では環がテーブルに並んだご馳走に夢中になっているし、さらにその隣のテーブルでは、赤い顔をした大和が数種類の日本酒を前に酒豪のディレクターと呑み比べの真っ最中だ。
 ナギはしばらく前から真剣な顔でスタッフの一人と話し込んでいるが、時々テンションがあがった彼の口から「ここな」という単語が漏れ聞こえてくるのは聞き間違いではないだろう。
 先に帰ることは伝えてあるが、相手は酔っ払いだ。見つかったら引き留められかねない。一織の視線を追った紡は、彼らのそんな様子を見てくすっと微笑んだ。
「わかりました。ではまた明日、朝の九時にお迎えにあがりますね」
「よろしくお願いします。あなたもほどほどにして、帰って休んでくださいね。悪酔いした大人たちは放っておいて構いませんから」
「そうだよ、マネージャーも明日早いんだから!」
「はい。あまり遅くならないうちに、皆さんを送り届けます。お二人も、お気をつけて帰ってくださいね」
「うん! また明日ね」
「失礼します」
 場の空気を変えてしまわないよう、こっそり個室を出る。
 忘年会シーズンだからか、平日の夜だというのに店は満席のようだ。区切られた部屋のあちこちから、楽しそうな声が響いてくる。そんな中、すぐ傍の個室からひときわ大きな声で「メリークリスマス!」と聞こえてきて、陸は「あ!」と声をあげた。
「そういえば、もうすぐクリスマスだ!」
「そういえばって……七瀬さんあなた、明日のラジオのサブタイ忘れてませんか?」
「IDOLiSH7クリスマススペシャルだろ? ちゃんと覚えてるよ。でも最近、お正月番組の収録が続いてたからさ。もうクリスマスは通り過ぎちゃった感じしない?」
「それはまあ、確かにありますけど……」
 今日のトーク収録も、着物を着てお節料理を食べながら、という正月スタイルで行われた。オンエアはしばらく後になるから、この業界では季節を先取りせざるを得ないのだ。
「ですが明日はクリスマススペシャルです。時計の針を巻き戻してください」
 一織が言うと、陸はふふっと笑った。
「なんですか」
「んーん、なんでもない」
 いったいどこが笑うポイントだったのかわからないが、陸のこんな態度はいつものことだ。おかしな人だなと思いつつ、一織はコートを身に着けた。
 店内は暑いくらいだが、今は十二月。日の落ちた外は相当寒いに違いない。
 一織は変装用の眼鏡をかけ、マフラーをしっかりと巻くと、同じようにマフラーを巻いている陸に「七瀬さん」と声をかけた。
「なに?」
「後ろを向いてください」
 そう告げると、陸は素直に背を向ける。一織は彼のマフラーに手をかけ、冷たい空気が入らないよう後ろできゅっとリボン結びにしてやった。すると陸はこちらを振り返ってえへへと笑う。
「ありがとう!」
「……いえ」
 優しい笑顔につられて、思わず顔が緩みそうになった。一織はそれをなんとか堪え、平静を装い陸の前に回り込んだ。
「タクシーを拾ってきます。外は寒いですから、あなたはここで待っていてください」
「え、オレも一緒に行くよ。一つ先の大通りに出た方が拾いやすいだろ?」
「ですが……」
「大丈夫だよ! あったかい格好してるから!」
 ほら、と告げる彼は、コートとマフラー、マスクに加えて耳あてとニット帽、さらに手袋といった完全装備だ。確かにこの姿なら、少し外を歩くくらい問題ないかもしれない。
(でもすぐにタクシーが拾えなかったら……)
 そう思い悩む一織をよそに、陸はさっさと店の外へ出て行ってしまう。一織は慌てて声を上げた。
「ちょっと! 七瀬さん!」
「ほら、置いてっちゃうよ!」
 陸はやけに楽しげだ。こうなったらもう、止めても無駄なことはわかりきっている。
「仕方のない人ですね……」
 一織ははあっとため息を吐き、足早に彼のあとを追いかけた。




「……全然いないね」
「……そうですね」
 店を出て十分。
 一織と陸は、たくさんの車が行き交う通りに面した歩道に立ち尽くしていた。タクシーはたくさん走っているが、空車が表示された車はまったく見つからない。
「私としたことが、明日は祝日だということを失念していました……。忘年会シーズンですし、飲酒してタクシーで帰宅する方が多いのかもしれません。とりあえずタクシー会社に電話してみましょう。見つかるまでどこかの店に……」
「もうここまで来たら、電車の方が早くない? 駅もすぐそこだしさ」
 陸はそう言って、50メートルほど先にある地下鉄の階段を指さした。
「ねえ、電車で帰ろうよ!」
「は?」
 彼の提案に、一織は眉を寄せた。
 一織も日頃通学で電車を利用しているが、それとこれとは話が違う。ここは繁華街で、世の中は冬休み。陸と二人で電車に乗って、もし正体がばれてしまったら――。
「さすがに電車はまずいでしょう。万が一騒ぎになったらどうするんです」
「平気だよ。マフラーと帽子で隠れてるから、ほとんど顔は見えないし」
「でも……」
「一織は心配性だなあ。大丈夫、何もないって!」
 私が心配性なのではなく、あなたが楽観的すぎるんです!
 そう思ったが、確かに駅はすぐそこだ。
 ここからなら乗り換えも一本だし、電車に乗る時間も十五分ほどですむ。三十分あれば帰寮できるだろう。今からタクシーを待つより早いかもしれない。
「な!」
 一織を安心させようとするように、陸がにっこり微笑む。
 その笑顔を見たらこれ以上の反論はできなくなって、一織は渋々、「わかりました」と頷いた。
 地下へ続く階段を下り、さらに長いエスカレーターに乗る。
「このエスカレーター、めちゃくちゃ長い!」
「余所見したら危ないですよ! ちゃんと手すりにつかまって、前を見てください!」
「わかってるよー」
 不安な自分とは対照的に、陸は妙に楽しそうだ。いつもより軽い足取りと明るい声のトーンから、彼がはしゃいでいるのがわかる。
 呑気な人だと思うが、彼のこんなところに救われているのもまた事実だ。一織はひそかに微笑んだ。
 思いのほか、ホームも電車も空いていた。
 一織は周囲の目が気になったが、車内の人々はこちらのことなどまったく気にも留めていない様子である。電車を選択したのは正解だったかもしれない。十分に暖房のきいた車内は暑いくらいで、陸は座席につくと、手袋を外しながら、わくわくした表情で口を開いた。
「オレ、電車に乗るの久しぶり!」
「そうなんですか」
「うん。何ヶ月ぶりかってくらいだよ。最近の移動は事務所の車かタクシーだし」
 確かに彼の言う通りだった。
 地方の仕事で新幹線や飛行機を使うことは増えたが、通学で利用している一織と環以外、電車に乗る機会は減っている。
(なるほど。それではしゃいでいたんですね)
 こんなことで目を輝かせるなんて、小さな子供みたいだ。
 呆れる一方で微笑ましくも思いながら、一織は冷静に口を開いた。
「久しぶりだからって浮かれないでくださいよ」
「一織は浮かれないの?」
「どうして私が浮かれるんです。私と四葉さんが電車通学しているのは、あなたもご存知でしょう」
「でもオレと二人で乗るのは久しぶりだろ?」
「それはそうですけど……」
 だからと言ってどうしてそれが浮かれる理由になるんだと首を傾げると、陸はむっとした様子で眉を寄せた。
「こういうの、デートしてるみたいな気分にならない?」
「はっ……」
 一織はたちまちかあっと頬を赤らめた。
 こんな公衆の場で、いきなり何を言い出すのだろう。
「とっ、突然なんですか……!」
 眉を顰めると、陸は「少しは浮かれてよ」と言い、そっぽを向いてしまった。
(……はあ?)
 むすっとした横顔は完全にへそを曲げている。
 こんなことで拗ねるなんて、まったく意味不明だ。
 しかしそう思いつつも、そんな彼がどうしようもなく可愛くて、一織も慌てて陸から目をそらした。
 黙り込んだ二人の沈黙をかき消すように、電車の走行音が大きく響き渡る。気まずさを緩和してくれるその音にほっとしつつ、一織はゆるゆると息を吐いた。
 陸と特別な関係になってしばらくが経つ。
 世間一般の恋人同士がすることは一通り経験済みであるものの、所構わずこんな言動を取られるとどうしていいかわからない。
 胸を震わせるこの感情を、自分はまだ、上手に処理することができないから。
「あっぶねー、ギリギリ間に合ったー!」
「めちゃくちゃ走ったからやばい、吐きそう」
「ちょっとやめてよ」
 電車が隣の駅に着くと、賑やかな大学生くらいの男女が五、六人乗り込んできた。
 彼らも飲み会の帰りなのか、だいぶ盛り上がっている様子である。見つかったら厄介だなとひやひやしていると、隣の陸がこそっと話しかけてきた。
「あの人たち、大学生かな?」
 今の今までむくれていたくせに、もう機嫌は直ったらしい。相変わらずだなと思いながら、一織は小さく答えた。
「でしょうね。……そうじろじろ見ないで。見つからないように気を付けてください」
「わかってるよ」
 そう言いながらも彼の視線は、件のグループに注がれたままだ。本当にわかっているのかと一織が眉間に皺を寄せたそのとき、陸がぽつりと言った。
「もしアイドルになってなかったら、オレもあんな感じだったのかな」
 え?と思って彼を見る。するとこちらを振り向いた陸は、一織と目を合わせてふふっと笑った。
「ほらオレ、社長にスカウトされる前、普通に大学行こうと思ってたから」
「ああ……そういえば、そう仰ってましたね」
「一織だってそうだろ? もしスカウトされてなかったら、今頃オレは大学生になって、一織は高校生でさ。会うこともなければ、こんな風に一緒に電車に乗ることもなかったかも。それなのに今、一緒にアイドルやって、一緒に電車に乗ってる。それってなんか、不思議な感じがしない?」
 また突拍子もない話を……と思ったが、陸の話はわからないでもなかった。
 もし社長にスカウトされず、IDOLiSH7になっていなかったら、今頃どうなっていただろう。彼の言う通り、自分たちは出会うことすらなかったかもしれない。
 街中ですれ違うことがあったとしても、ただそれだけ。他人のまま、一生を終えていたのかも。
(七瀬さんだけじゃない。他のメンバーとだって……)
 想像しただけで胸の奥がひやりとして、一織は思わず黙り込んだ。とそのとき、横から手が伸びて突然指先を握られる。温かいその感触に、一織はびくりとして隣を見た。
「な……七瀬さん!」
「大丈夫、誰も見てないよ」
 ――次の駅まででいいから。
 陸はそう囁いて、一織の手をぎゅっと握ると、それを隠すように引っ込める。
 確かに誰もこちらなど見ていない。
 繋いだ手はコートの影に隠れてしまったから、見ようとしても見えないだろう。
 でもだからと言って、こんな場所で――。
 一織はうろたえたが、陸は繋いだ手に力をこめてくる。何も言えず見つめると、陸は少し照れた顔で、嬉しそうに微笑んだ。
「……っ」
 繋いだ手から、陸のぬくもりが自分の体にゆっくりと流れ込んでくる。その熱に心までも温められるような気がして、一織は僅かに目を伏せた。
(もし、IDOLiSH7になっていなかったら)
 こんな風に彼と過ごす時間も、彼に恋をすることも、きっとなかった。
 そう考えると、どうしようもなく胸が熱くなる。
 一織はほんの少し力をこめて、自分からも陸の手を握り返した。陸がそれに気付いたかは、わからなかったけれど。



 寮に帰り着いたのは、店を出てちょうど一時間後だった。予期せぬルートになったが、何事もなく帰り着いたことに一織はほっと安堵した。
「ただいまー!」
 玄関の扉を開けて陸は笑顔で声をあげる。誰もいないのに何を言っているんだと思って見ていると、何かを求めるような視線が返ってきた。
「なんですか」
「た、だ、い、ま!」
 陸はもう一度、その言葉を繰り返す。
 一織は呆れながらも、少し遅れて「おかえりなさい」と返した。すると彼は満足げな顔で、「一織もおかえり!」と笑う。
 まったく、子供みたいな人だ。
「はい。……馬鹿な事してないで、さっさとお風呂に入ってください。外を歩いて体が冷えたでしょう」
「歩いてきた分あったかいけどな。てか、明日のラジオの打ち合わせするんじゃなかった? それに一織の方こそ、鼻の頭赤くなってるよ。先にお風呂入ったら?」
 言いながら陸はこちらをじっと見つめてくる。至近距離から大きな瞳にまっすぐ見つめられ、一織は慌てて顔を背けた。
「わ、私は大丈夫です! いいから早く、温まってきてください! 打ち合わせは入浴の後で結構ですから!」
「はーい」
 子供のような返事をして、陸はふいにこちらを振り返った。
「どうかしましたか?」
「あのさ……」
 陸はおずおずと、そして心なしか照れた表情で口を開いた。
「今……オレたちしかいないだろ」
「そうですね」
 それがどうかしたのかと見つめると、陸は赤らんだ顔でじっとこちらを見つめ返してくる。その大きな瞳にどきんと鼓動が跳ねたそのとき、彼が言った。
「お風呂……一緒に入る?」
「……はい?」
 陸の言葉に、一織はぽかんとした。すると陸は、そんな一織を前にかあっと顔を赤らめる。
「やっ、やっぱりなんでもない! 今のなし! オレ、先入るな!」
 陸は慌ててそう言うと、逃げるように自分の部屋に駆け込んで行った。
「………」
 廊下に残された一織はしばし唖然としていたが、やがてゆっくりと自室に入り、静かにドアを閉めた。
 そして――。

(あの人いったいなんなんですか!?)

 心の中で叫び、ぎゅっと拳を握りしめる。
 突拍子のない言動はいつものことだけれど、自分から言い出して照れるのはやめてほしい。
 さっきの陸の声が、顔が、頭から離れない。心臓はバクバクと音を立てて、今にも口から飛び出しそうだ。
「……もう……」
 一織はドアの前にずるずると蹲り、熱くなった顔を手のひらで覆った。




 陸に続いて入浴をすませ(ついでに風呂場で邪念を振り払い)、いつものようにはちみつ入りのホットミルクを用意して彼の部屋を訪れると、そこでは最近よく耳にするクリスマスソングが流れていた。
「Re:valeの新曲ですね」
「うん! この曲いいよね。これ聴いてたら、時計の針もだいぶ巻き戻ってきたよ!」
 数時間前、自分の言ったことを口にする陸に小さく笑って、一織はミルクの入ったカップを彼の前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとう!」
 いつの間にか、夜は一緒にホットミルクを飲むことが習慣になっていた。
 仕事の話から他愛のない日常話まで、あたたかいミルクを飲みながら話していると、気持ちも体もリラックスできる。はじめは陸のためにと作っていたけれど、こうして二人で過ごす時間は他の何にも代え難く、一織にとっても大切なものになっていた。
 いつものように陸の隣に腰を下ろし、一織はカーディガンのポケットに手を入れた。
「それから、これもよかったら」
 そう言ってテーブルに置いたのは、手のひらサイズのクリスマスツリーだ。それを見た陸は、わっと歓声を上げた。
「かわいい! なにこれ、どうしたの!?」
 予想以上の食いつきだ。一織はコホンと咳払いし、用意していた答えを口にした。
「数日前買い物をしたときに、偶然カゴに紛れていたんです。会計時に気付いたので、店員の方の手を煩わせるのも忍びなくそのまま購入したのですが、七瀬さんのクリスマス気分のお役に立てるかと思いまして」
 嘘だった。
 本当は一目で気に入って購入したのだ。
 しかし買ったはいいが、部屋に飾るのは気恥ずかしかった。仕方なく机の中にしまいこんでいたのを、ついさっき思い出したのである。
 一織の答えを聞いた陸は、にやにやした顔でこちらを見る。「なんですか」と眉を寄せると、陸は笑って言った。
「本当は、一織が飾りたくて買ったんじゃない?」
「なっ……」
 一織はぎくりとした。
 普段は超がつくほど鈍いくせに妙なところで勘が鋭いのだ、この人は。
「わ、私はこんなかわいいものは飾りませんよ! あなたは好きでしょうけど!」
「うん。大きいツリーもいいけど、ちっちゃいのもかわいい! ね、これ、オレがもらっていいの?」
 ツリーのてっぺんについた星を指先でつんつんとつつきながら陸が言う。小さく首を傾げる彼がかわいくて、一織はわずかに目を細めた。
「……邪魔でなければどうぞ」
「邪魔なわけないよ、ありがとう! ……へへ、めちゃくちゃクリスマス気分になってきた!」
「さすが単純思考の七瀬さんですね」
「もー、お前はすぐそういうこと言うー」
 むくれる陸にふっと笑う。すると陸も、両手でマグカップを持ちながらにこっと笑った。
(かわいい)
 またもそう思ってしまう自分にどきりとする。
 声に出したわけではないが、一織はそれを誤魔化すように、小さくコホンと咳払いした。
「ところで、明日の番組進行表は確認しましたか?」
「ばっちりだよ。今年は二回目だし、去年よりうまくやれると思う!」
「ならよかったです」
「去年は一織にたくさん助けられたけど、今年はオレがリードするからさ! 期待してて!」
「はい。よろしくお願いします」
 どこまで頼っていいのか不安だが、陸はやる気に満ちている。水を差すのはやめようと、一織は素直に頷いた。
「でさ、最初のフリートークなんだけど……。クリスマスがテーマだし、あの話しようよ! 一織が小6までサンタ信じてたって話!」
「やめてください」
 一織は即座に却下した。
 なんてことを言い出すんだと眉を寄せると、陸はえー、と不満げな声を漏らす。
「なんでだよ」
「私のイメージに反します」
「それがいいんじゃん」
「ちっとも良くないです。とにかく、その話はNGですからね。他の話題にしてください」
 きっぱりと告げる一織に、陸は口を尖らせる。けれどホットミルクを一口飲むと、すぐにふわっと表情を緩ませた。
「おいしい!」
 やわらかなその表情に、つられて心が浮上する。
 一織は陸に続き、自分もカップに口をつけた。
 部屋に満ちる空気のように、あたたかい牛乳に溶けたはちみつの甘さが優しく広がる。
 とそのとき、陸のスマホの通知音が鳴った。
「あっ」
 スマホを手に取った陸の表情が、ぱあっと明るくなるのを見て、一織は相手が誰なのかをすぐに察した。
「九条さんですか?」
「えっ……すごい、なんでわかったの!?」
 あなたのその顔を見れば嫌でもわかりますよ。
 そう思ったが、口には出さなかった。
「明日ラジオやるから、よかったら聴いてってラビチャしたんだ。天にぃも明日は仕事があるから、全部は無理だけど聴いてくれるって!」
「でしたら、ますます頑張らないといけませんね」
「うん!」
 満面の笑みで陸が頷く。
 もし彼が犬なら、尻尾を大きく振っているに違いない。
 一織はそんなことを思いながら、双子の兄にいそいそと返信する陸の姿から目を逸らした。
 彼ら双子がラビチャのやりとりをするようになったのはここ最近のことだ。そう長くは続かないようだが、ほんの二、三言会話するだけで、陸は心底嬉しそうだった。
(……今だって)
 あの人は少しの言葉で、彼をこんなに喜ばせることができる。
 そう思うと、胸がきゅっと切なくなる。
 ――わかっている。これはただの嫉妬だ。
 自分はまだ彼には及ばないと、心のどこかで思っているから。
 今夜のラビチャもすぐに終わったようだ。陸はスマホをテーブルに戻すと、「オレはさ」と静かに話し出した。
「小学校低学年のころに、サンタの正体が父さんだって気付いたって話しただろ?」
 またさっきの話を蒸し返すのかと思ったが、陸は真剣な顔だ。一織は素直に「ええ」と頷いた。
「でもオレにとってのサンタクロースって、その前も、それからもずっと天にぃだったんだ。天にぃはクリスマスだけじゃなくて、いつもたくさんのプレゼントをオレにくれたから」
 陸はそう言うと、遠いまなざしでカップの中身をじっと見つめる。
 ……はちみつ入りのホットミルク。
 昔彼の兄がよく作ってくれたというそれに、懐かしい記憶を思い起こしているのだろうか。
「そうですか」
 一織はただ一言、そう答えた。
(今でもあなたのサンタクロースは、九条さんなんですか?)
 ふと、そんな問いが頭に浮かんだ。
 それを口に出すことはできなかったけれど。
 無言でいると、陸はこちらを見て小さく笑った。
「オレもずっと、誰かのサンタクロースになりたかった。人をどきどきさせて、わくわくさせて、笑顔にしてあげられるのって素敵じゃない?」
 無邪気に告げる陸に、一織は目を眇めた。
 人をどきどきさせて、わくわくさせて、笑顔にする。
 今自分たちがしているアイドルという仕事も、考えようによっては同じなのではないか。
 一織はそう思ったが、それとはまた別の意味で、陸の言葉に答えたくなった。
「なれたじゃないですか」
「え?」
「私にとっては、七瀬さんがサンタクロースですよ」
 一織の言葉に、陸はびっくりした顔で目を丸くする。しかしそれは数秒で、すぐにかあっと頬を赤らめ、小さく俯いた。
「七瀬さん?」
 突然どうしたというのだろう。声をかけると陸は、赤い顔をあげてこちらを見た。
「い、一織って、時々恥ずかしいこと平気で言うよな……」
「な……、あっ、あなたに言われたくないんですけど!」
 指摘された途端に恥ずかしくなってくる。つられて顔が赤らむのを感じ、一織は慌てて陸から目を逸らした。
 気付けばRe:valeの曲も止まっていて、気まずい沈黙が部屋に落ちる。言うんじゃなかったと後悔していると、ふいに陸が「一織」と名前を呼んだ。
 その声に導かれるように振り向けば、じっとこちらを見つめる陸と視線が絡む。鼓動がどきりと跳ね、思わず息をのんだそのとき、陸が言った。
「今の話、本当? オレ、一織のサンタクロースになれてる?」
 まっすぐ向けられた赤い瞳は、甘やかな光を宿している。
 どうしてわざわざ繰り返すんだと思ったが、その目を見たら誤魔化すことはできない。一織は正直に、けれど小さく「はい」と頷いた。
「……そっかあ」
 ふにゃりと頬を緩ませる陸に、居た堪れなさが加速する。一織は思わず、「ただし、あわてんぼうのサンタクロースですけどね」と付け加えた。
「えっ。なんだよそれ」
「七瀬さんにぴったりでしょう」
 自分でも可愛げがないと思ったが、言い得て妙だとも思った。彼がサンタクロースだったら、肝心なプレゼントを忘れてクリスマス前にやってきそうだ。
 陸は眉を顰めたが、それも一瞬だった。すぐにご機嫌な様子でへへっと笑う。
「オレ、一織のサンタクロースなんだ。めちゃくちゃ嬉しい!」
 だから繰り返すのはやめてほしい。
 照れくさくて仕方ないけれど、嬉しそうな陸を前に、自然と手が伸びた。
「一織?」
 きょとんとする彼の肩に腕を回し、ゆっくり顔を近付ける。陸は大きな瞳をぱちりと瞬かせたが、一織の唇が重なる直前、慌てて瞼を下ろした。
「……ん、」
 それはほんの数秒、触れるだけのキスだった。
 唇が離れると、陸は目を開ける。そしてやっぱり幸せそうに、ふわっと微笑んだ。
(ああ、もう……)
 そんな笑顔を見せられたら、もっと欲しくなってしまうのに。
 一織は湧き上がる欲望を懸命に押し殺し、陸から手を離した。心なしか、陸は残念そうな顔を見せたけれど、やがて小さく口を開く。
「……あのさ。今日オレ、電車の中で思ったんだ」
「え?」
「IDOLiSH7になれて良かった。一織に会えて、一織のこと好きになって良かったって」
 一織は驚いた。
 自分もあのとき、同じことを考えていたからだ。
 IDOLiSH7になれてよかった。
 あなたに会えて、あなたを好きになって、本当に良かった、と。
「七瀬さん……」
 思わず名前を呼ぶと、陸はじっとこちらを見る。そしてそっと、一織の手に自分の手を重ねた。
「一織」
 陸は一織の手を握り、優しく名前を呼んだ。
「オレのこと好きになってくれて、ありがとう」
 彼の口から出たのは、そんな思いがけない言葉だった。一織は言葉を失った。
(それは、私の台詞です)
 誰からも愛される、太陽のような人。
 そんな彼が自分を好きになってくれたなんて、今でも奇跡のように思っているのに。
「……っ」
 こんなとき、どう答えていいかわからない。
 握られた手を握り返すこともできず、ただ見つめ返すと、陸は照れた顔でふふっと笑った。
「一織といると楽しいよ。毎日プレゼント開けてるみたいな気分!」
「なんですか、それは……」
「一織も、オレといて楽しい?」
 まっすぐ覗き込まれて、思わず顔を背ける。この距離で近付くのはやめてほしい。
「あなたといると休まりませんよ」
「それって、楽しいってことだよね?」
「……まあ、そういうことにしてもいいですけど、厳密には違う気がします」
 言葉を濁す一織に、陸は「どっちだよ」と楽しげに笑う。と同時に、一織の手を握る彼の手に、ぎゅっと力がこもった。
「でもね、それだけじゃなくて……」
 言いながら彼は、握っていた手をほどき、指先を絡めてくる。どきりとして見つめると、絡んだ先の陸のまなざしがふっと和らいだ。
「こうやってさ、一織に触ってると、心臓が口から飛び出しそうなくらいどきどきする。……こんな風になるの、一織だけだよ。だからオレ、一織のことが好きなんだなあって思うんだ」
 ほんの少し恥ずかしそうに、けれどどこか嬉しそうに陸は言う。
 裏表のないその言葉は、体の奥深くまでまっすぐ入り込んできて、一織の心臓をぎゅっと掴んだ。
 この人は、いつだってこうだ。
 思わず息を呑み見つめる先で、陸の視線が甘くとけていく。
「一織は?」
 小さく、けれどはっきりと問われて、どくんと鼓動が跳ねた。
「そっ……、そんなこと、聞かなくてもわかるでしょう!」
「わかるけど聞きたいんだよ」
「……っ」
「な、一織。ちゃんと言って、教えて」
 これでは甘えられているのか、命令されているのかわからない。
 彼に捕まったままの心臓がどきん、どきんと飛び跳ねる。
 絡む指とぴたりとくっついた肩から、陸の熱が伝わってきて、一織は短く息を吐いた。
「いお……」
 陸の声を遮って、彼の頭を強く引き寄せる。そうして大きく目を見張る陸の唇を強引に塞ぐと、その瞬間、彼の体はびくりと跳ねた。
「ん……っ」
 重なった唇の隙間から、くぐもった声が漏れる。同時に自分の手に絡む彼の指先にも、きゅっと力がこもった。
(かわいい。七瀬さん、かわいい……)
 激流のように押し寄せてくる気持ちを抑えることができない。一織はたまらず、陸の唇を割って深く口付けた。
「……っ、ん、っ」
 熱く濡れた唇は、甘いホットミルクの味がした。
 どこまでも甘いそれに、全身がとろけてしまう。
 舌先を絡め、強く吸うと、陸はこちらにもたれかかってくる。体全部が甘く痺れ、切ない感情に満たされていくのを感じながら、一織はそっと唇をほどいた。
「っ……、あなたが好きです」
 胸に浮かんだ言葉を、素直に声に乗せる。
 囁きのようなその声は、けれど彼には届いたようだ。陸は一織の言葉に、うん、と頷く。
「オレも……。大好き」
 そう言ってはにかむ陸につられて、一織も小さく微笑む――その瞬間、強引にキスしてしまったことに気付き、一織は慌てて彼から手を離した。
「す、すみません……!」
「ん……? なにが?」
 とろけた表情のまま、不思議そうに聞き返されると答えに窮してしまう。すると陸は、さして気にも留めない様子でにこっと笑った。
「そうだ! 一織、何がほしい?」
「え?」
「サンタクロースのプレゼント。オレは一織のサンタなんだから、一織にプレゼントあげなきゃ!」
「は……私は別に、プレゼントなんていらないです」
「遠慮しないでいいって! ほら、欲しいもの言ってみな!」
 陸は満面の笑みを浮かべてそんなことを言う。
 彼が言い出したら聞かないことはもう十分思い知っているので、一織は考えた。
 正確には、考えるふりをした。答えなんて、最初からひとつしかない。
「でしたら、一曲歌ってくださいますか」
 一織の言葉に、陸はえっ、と声を上げた。
「歌って……、そんなんでいいの?」
「それがいいんです」
 他に欲しいものなんてない。
 はっきりと告げると、陸は途端に照れた表情になった。しかしすぐにぴんと背筋を伸ばし、かしこまった顔でこちらを見る。
「わかった。何の曲がいい?」
「七瀬さんにお任せします」
「何でもいいの?」
「ええ」
「うーん……」
 陸は困り切った顔で眉を寄せる。
 そんな表情すらかわいくて仕方ないなんて、口に出しては言えないけれど。
「じゃあ、クリスマスだし、この曲!」
 やがて陸はそう言うと、有名なクリスマスソングを歌い出した。子供向けの慣れ親しんだ曲だ。
 何でもいいとは言ったが、どうしてこの選曲なのだろう。子供扱いされているようで複雑な気分になったが、伸びやかで明るい陸の歌声に、一織はふ、と微笑んだ。
 初めて聴いたときから、一織はこの声に魅了されていた。
 技術はまだ拙いかもしれない。けれど七瀬陸の歌声には、聴く者の心を惹き付ける力がある。
 どんなに有名なアーティストより、一織は彼の歌が好きだった。それを独り占めできるなんて、この上ない贅沢だ。
 世界中に七瀬陸の歌を届けたい。
 いつだってそう願っているけれど、今この瞬間だけは他の誰にも聴かせたくない、ひとりじめしたいとそう思った。
 歌い終えた陸は、やっぱり少し照れた表情でこちらを見ると、一織が口を開くより先に「ありがとう」と言った。
「どうしてあなたが礼を言うんです。ここは私が言うところでしょう」
 先を越され眉を寄せる一織に、陸はふふっと笑う。
「だって一織は、オレの歌を世界で一番好きって言ってくれるから」
「なっ……、そんなこと、私がいつ言いました!?」
「オレの歌を聴いてるとき、いつもそういう顔してるよ」
「勝手に決めつけないでください!」
「違うの?」
「ちが……っ」
 違います!と言いかけて、一織は言葉に詰まった。
 まっすぐ自分に向けられた、きらきらと輝くその目を見てしまったら、嘘を言うことはできなかったのだ。
「……違わ、ないです……」
 消え入りそうなほど小さな声で告げると、陸は嬉しそうに顔をほころばせる。
「ありがとう!」
 その言葉ととびきりの笑顔は、歌と同じくらい一織を幸せな気持ちにさせた。
「これからもずっと、隣で聴いてて」
「はい」
 一織は素直に頷いた。すると陸は、えへへと笑う。
「では、アンコールにお応えしてもう一曲!」
「アンコールしてませんけど」
「オレには聞こえたよ!」
 また勝手なことを……と思ったが、一織はふっと笑った。陸も楽し気に笑い言葉を続ける。
「それでは、次の曲です! IDOLiSH7七瀬陸と、和泉一織で!」
「……は? どうして私まで」
「いいじゃん、一緒に歌おうよ。オレ、一織と一緒に歌いたい! 曲は……そうだ、Joy to the world!」
 陸の選曲に、一織は目を見張った。
 それは一年前、TRIGGERと合同のクリスマス番組で、一織と陸が一緒に歌った曲だった。
 あれからもう、一年が経つのだ。
 この一年、いろいろなことがあった。
 楽しい思い出も山のように増えたけれど、苦い思いもたくさんした。それでも折れずにいられたのは、隣に陸がいたからだ。
 彼の存在は、いつだって自分を強くさせてくれる。
(あなたがいれば、私は)
 そんなことを考えていると、先に歌い始めた陸が一織のカーディガンをくいと引っ張った。
 顔をあげれば、歌いながら「早く!」と言いたげな顔でこちらを見つめる彼と視線がぶつかる。
 一織はゆるゆると息を吐き、傍らにあるブランケットを手に取った。それを自分と陸の肩にかけてから、声を重ねて歌い出すと、陸ははちきれんばかりの笑顔を浮かべる。
 伴奏もなければ観客もいない、ふたりきりのステージ。それでも一織は、陸と歌う、それだけのことに心が弾んだ。

 ――楽しい。

 ただ素直に、そう思った。
『私が必ずあなたをスーパースターにします』
 デビュー前、一織は陸にそう約束した。
 光り輝くステージに彼を連れて行くのが自分の役目だと一織は信じている。けれど実際には、自分を導いてくれているのは陸の方だ。
 彼と一緒なら、どこまででも走っていける。たとえそれが、世界の終わりだとしても。
 陸の歌声につられて、自分の声もトーンが上がっていくのを感じながら、一織はそんなことを思った。
 隣の彼はただ、楽しそうに歌っているだけだけれど。
(好きです)
 陸と一緒に歌いながら、一織は思った。
 あなたの歌も、あなた自身も。
 そしてあなたと一緒に歌うことも。
 これからもずっと、一番近くで彼の歌を聴いていたい。その笑い顔も泣き顔もすべて、隣で見つめていたいと強く思った。

(ずっと、一緒に)

 歌が終わると、陸がこちらを見た。
 自然と交差する視線の先で、彼はくすぐったく笑う。
「楽しいね」
 何気ない言葉が、じんわりと体を包む。
 眩しい笑顔にどうしようもなく胸が熱くなるのを感じながら、一織は静かに「はい」と微笑みを返した。


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