感謝祭2
頭上のステージから大歓声が聴こえる。
けれどそれよりも大きく聞こえてくるのは、自分の心臓が鼓動を刻む音だ。
ほんのわずかに、足も震えている。
ライブにはもう慣れたはずだった。
それなのに、初めてステージに立ったあの日のように緊張している。
ゆるゆると息を吐くと、イヤモニをつけたスタッフがこちらを見た。
「一分後に上がります。スタンバイお願いします!」
「はい!」
暗がりの中、指示に従い七瀬さんとふたり、円形のせりの上に立つ。七瀬さんは胸元に手をあてると、気持ちを落ち着かせようとするかのように目を閉じて大きく深呼吸した。
――大丈夫ですか。
言いかけて私は口をつぐんだ。
すぐに瞼を上げた彼の目に、迷いは欠片もなかったからだ。
「いくよ、一織!」
私の目をまっすぐ見つめ、小さく、けれどはっきりと彼が言う。私は短く息を吐き、「はい」と頷いた。
MV上映が終わり、照明が落ちると会場はしんと静まった。けれどそれは一瞬だ。曲のイントロが流れ私たちをのせたせりがステージにあがると、会場は大きな歓声に包まれた。
客席にはたくさんの青と赤の光が生まれ、空気は大きく振動する。軽快な曲に合わせ、明るく伸びやかな七瀬さんの歌声が響きわたった。
緊張しているのだろう、その声はわずかに震えている。私は彼を見た。
さっきまでの自信はどうしたんです。しっかりしてください。
発破をかけるつもりで見つめると、私が何かを訴えるより早く、彼の声はすぐに自信に満ちたそれに変わった。弾ける笑顔につられて口角が上がる。
――ああ、やっぱり私は、あなたの歌声が、歌うあなたが好きです。
互いの呼吸を合わせながら、掛け合いのような曲を歌う。オーバーなくらいのリアクションもこの曲にはぴったりだ。ステージの上を跳ねるように駆け回り、楽しげな歌声を響かせる七瀬さんを相手に、自然と自分の緊張も消え失せていた。
リズムに合わせステップを踏む。七瀬さんの声と私の声がステージの上で混ざり合うと、視線の先の大きな赤い瞳が弧を描いた。
きらきらと輝く彼の姿は眩しくて、けれど目が離せない。
そのまま目で追っていると、ほんの一瞬、確かに視線が絡んだ。
ふわりと微笑む七瀬さんに、私も笑みを返す。
まだいけるだろ?
もちろんです。
会話をするように歌声を重ねると、七瀬さんが嬉しそうに笑う。客席が歓声に湧く。
あふれる笑顔に胸が震え、私は思わず目を細めた。
――楽しい。
ただ素直にそう思った。
七瀬さんの歌が好きだ。彼と一緒に歌うこの瞬間が、何よりも好きだと思った。
たった四分半のステージはあっという間に終わった。
大きな歓声に包まれて全身に震えが走る。
まだ終わりたくない。もっと歌っていたかった。
もっと――あなたと共に。
見つめると、七瀬さんがこちらを見た。
その瞬間鼓動が跳ねたのは、交わった視線の先にほんの一瞬、甘い光が見えたからだ。
その光は、口に含んだ綿菓子のようにふわっと溶けて消えてしまったけれど。
わずかに顔を傾けて、七瀬さんがくしゃりと笑った。
これで終わりじゃないよ。
そう言われた気がした。
――わかっています。
私たちはここから、もっとずっと先に行ける。
視線を前に戻すと、たくさんのあたたかい笑顔がそこにあった。観客の愛情がまっすぐ伝わってきて、熱い感情が湧き上がってくる。
目指す夢は、私たち二人だけでは到底叶えられない。
そこにはこうして支えてくれる人達の想いが必要なのだと強く感じた。
ありがとうございます。
声にする代わりに深く頭を下げると、隣の七瀬さんも同じように頭を下げる。
そのままそっと隣を見ると、彼もまた同じようにこちらを見た。
……呼吸が止まったのは一瞬。
交わる視線に、どちらからともなく笑みが零れる。
ここにいるみなさんに誓いましょう。
これからもずっと、この景色をお届けしますと。
胸のうちで囁くと、まるでそれが聞こえたかのように七瀬さんが笑ったから。
私はここがステージの上であるのも忘れ、彼の手をぎゅっと握りしめた。