きっといまさら

「一織、ちょっと」
「はい。……ちょっ、七瀬さん……!」
 IDOLiSH7ライブツアー二日目。
 地方での2daysを大盛況のうちに終えて楽屋に戻る途中、陸は織の腕を掴んで物陰に引っ張り込んだ。
 入り組んだセットの裏側。撤収作業が始まるのはまだ先だ。 
 ステージ裏ではたくさんのスタッフが慌しく動いているが、この辺りには誰もいないようだった。
「いきなり何ですか」
「一織、オレになにか隠してない?」
 周囲に人影がないのを確認してから大真面目にそう訊ねると、一織は目を丸くし、それから呆れた声で「何なんですか」と繰り返した。
「隠し事なんてありませんよ。急にどうしたんです」
「そうじゃないならなに? オレのこと、嫌いになったの?」
「はあ? あなたさっきから、いったい何の話をしてるんです」
 一織はわけがわからないといった顔だ。
 陸はキッと眉を吊り上げ、彼の目をまっすぐ見つめかえした。
「だってお前、今日のライブ全然目合わせてくれなかっただろ! 合ったと思ったらぱっと逸らすし……さっきのアンコールだって、オレとだけ手繋いでくれなかった!」
 そう言うと、一織はうっと口ごもる。陸は小さく眉を寄せた。
「なんで? オレ一織になんかした?」
 昨日はそんなことはなかった。
 ライブ中は何度も目が合ったし、最後は手を繋いで仲良くステージを終えたのだ。
 それなのに今日は、一織と絡んだのはユニット曲を歌ったときのただ一度きり。目が合ったのだってほんの一瞬。ステージの上ではお互い笑顔だったけれど、こんなことは初めてだった。
 陸の指摘に一織は押し黙った。けれどすぐ、なんてことのないような顔で口を開く。
「今日はたまたまです。今日は一番近くにいたのが二階堂さんだったので」
「嘘! 自分から大和さんの方に行ったくせに!」
「……気が付いていたんですか」
 驚いた顔で呟く一織に、ずきんと胸に痛みが走る。
 やっぱりそうだったのか。陸は小さく唇を噛んだ。
「オレ、お前に嫌われるようなことなにかした?」
 返事はない。やはり何かしてしまったのかとうなだれると、少し遅れて「七瀬さん」と声が降ってきた。
「違います。嫌いになったわけではありません。そんなこと……あるわけないじゃないですか」
「え……」
 顔を上げれば、切なげな表情の一織と視線がぶつかる。
 どきんと鼓動が跳ねて、陸は一織の腕を掴んだ手にぎゅっと力をこめた。
「だったらどうして、目も合わせてくれなかったんだよ」
 一織はふいと目を逸らす。わずかに赤らんだ頬は彼が照れていることを証明していて、陸は少しだけほっとした。
 けれど謎は深まるばかりだ。今日の一織の反応はただ照れていただけとは思えない。
「一織」
 ちゃんと答えを聞くまで離さない。
 するとその意思が伝わったのか、一織は観念したようにゆるゆると息を吐く。そして静かに話し出した。
「……昨夜ホテルの部屋で、あなたラピッターをチェックしていましたよね」
「え? ああ、うん……?」
 陸は日頃から一織に、エゴサーチはやめろと口うるさく言われていた。ヒットするのは好意的な意見だけではないし、マイナス意見を見ると陸はたいてい落ち込んでしまうからだ。
 けれど大きいライブの後は特に、ファンの子の感想が気になってSNSをチェックしてしまう。昨夜も同室の一織がお風呂に入っている間にこっそりチェックしようとしたのだけれど、結局見つかってスマホごと取り上げられてしまったのだ。
「もしかしてそれに怒ってたの? オレがエゴサしてたから?」
「いえ……そうではなくてですね」
「じゃあなんだよ」
 一織のくせに歯切れが悪い。焦れる陸に、一織はコホンと咳払いした。
「昨夜七瀬さんからスマホを取り上げたあと、私も気になってラピッターを見てしまったんです」
「えっ」
 人から取り上げておいて自分は見ていたのか。
 陸はむっとしたが、苛立ちを抑えて一織に訊ねた。
「それで? 何か嫌なことでも言われてたの?」
「いえ。今日マネージャーが仰っていた通り、概ね好評でした。七瀬さんの歌声も最高だったと賛辞する声が多かったですよ」
「ほんと!? 良かった!」
 思わず嬉しくなって声が弾んだが、今はそんな場合ではない。陸は慌てて顔を引き締めた。
「じゃあなに? 何があったんだよ」
 陸の質問に、一織はばつが悪そうに視線を落とす。
 しん、と沈黙が流れたが、やがて彼はぽつりと言った。
「……私が」
「一織が?」
「ライブ中、私が七瀬さんばかりを目で追っていると指摘したツイートがものすごい勢いで拡散されていたんです」
「へっ……」
 予期せぬ答えに、陸はぽかんとした。

 ……一織が?
 オレを?

「自覚はありませんでしたが、賛同する意見が多かったということは事実なんでしょう。……私が考えなしでした。すみません」
「ま……待って! なんでそこで謝るんだよ。別に謝るようなことじゃないだろ!」
 むしろ嬉しい。思わず頬を赤らめた陸を前に、一織は真剣な顔で告げた。
「私たちはアイドルなんです。こういうところから関係が明るみに出て、七瀬さんの名前に傷がつくようなことにでもなったら私は……!」
 一織はそこまで言うと口を噤む。
 そんなの、なんでもないことだろ。
 そう喉元まで出かけたが、陸はそれを飲み込んだ。
 一織と特別な関係になったことを後悔はしていない。
 恥ずかしいことだとも、ファンの子たちを裏切っているとも思っていない。
 しかし今の自分たちはそれを堂々と公表できる立場にないことも、陸は十分わかっていた。
「…………」
 やるせない思いが胸に立ち込める。
 けれどそれより大きな熱い感情が波のように押し寄せてきて、陸は一織の腕を強く握った。
「一織」
 名前を呼ぶと、一織は顔を上げる。
 交わる視線に甘やかな感情がたちまち胸を満たした。
「それで今日、オレのこと見ないようにしてたの? 最後手を繋がなかったのもそのせい?」
「……そうです」
 素直に頷く一織にますます胸が熱くなる。
 この感情がなんなのか、陸にははっきりとわかった。
 ……これはそう、目の前の恋人への愛おしさだ。
「バカだなあ」
 思わず呟くと一織は眉を顰める。
 馬鹿ってどういう意味ですか。そう言いたげな眼差しに、陸はふにゃりと笑った。
 ほんと、頭いいくせに変なところでバカなんだから。
「一織がオレのことばっか見てるなんて、今に始まったことじゃないだろ」
「は……な、なんですかそれ!」
「だってオレ、ずっと前から気付いてたよ。一織がいつもオレを見てくれてるってこと。ファンの子だって、きっと今更だよ」
 そうだ。そんなの、ずっと前から気付いていた。
 一織に好きだと言ってもらう前から。
 自分が一織に特別な感情を抱いていると気付くずっとずっと前から。
「一織、オレのこと大好きだもんな!」
 えへへと笑って言うと、一織はぽかんと口を開けて、それからかあっと頬を赤く染める。そしてその顔を陸から隠すようにそっぽを向いた。
「なんなんですか、あなたのその図々しい自信は……」
「違う?」
「違います。調子に乗らないでください」
 一織はそう言うけれど、暗がりでも耳まで赤くなっているのがわかる。
 陸はくすぐったい感情に包まれながら、もう一度「一織」と名前を呼んだ。
「意識しすぎて急に不自然になる方が変だよ。ファンのみんなにも、またオレたちケンカしてるって心配かけちゃうかもしれない。オレだって、今までみたいに一織と一緒に笑いたいよ」
 陸の言葉に、一織はゆっくりと顔を戻す。そしてまっすぐこちらを見つめて言った。
「……確かに、今日は過剰に気にしすぎたかもしれません」
「そうだよ。気にしすぎ!」
 明るく頷いてみせると、一織はようやく小さく笑った。
「七瀬さんにあれほど注意しておきながら自分が振り回されていては、立つ瀬がありませんね。ファンの皆さんにも失礼なことをしてしまったかもしれません……。次からは、気にしないことにします」
「ほんと? 次はちゃんと、オレと目合わせてくれる?」
「はい」
 しっかり目を見て答えてくれたのが嬉しくてはにかむと、一織は少しだけ困った顔で「七瀬さん」と言った。
「なに?」
「そろそろ離して下さい。楽屋に戻らないと」
 陸はそこでようやく、自分が一織の腕を掴んだままだったことに気が付いた。
「あ……」
 確かにそろそろ戻らないと、みんなに心配をかけてしまうかも。
 そう思ったけれど。
「……まだ駄目」
 陸はそう囁いて、一織の腕を引き寄せ、ぎゅっと抱きついた。
 もう少しだけ一織を独り占めしたい。
 だって今日は、さみしかったから。
「な、七瀬さん……!」
 わずかに上擦った声が耳をくすぐる。密着した体は熱く、汗の匂いがした。
「一織」
 たまらず名前を呼んだ、その二秒後。
 背中に回った腕に力強く抱きしめられて、またひとつ大きく鼓動が跳ねる。
 陸はそれを抑えながら、甘えるように一織の肩に顔を埋めた。


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