手に入らないと知っても 仁王君の前から逃げ出した私は、下駄箱近くの水道で顔を洗った。 こんな顔では、人前に出ることなんて出来ない。 部室から走り出した時、仁王君が私を呼ぶ声が聞こえたけれど、立ち止まる事は出来なかった。 私は、仁王君を傷付け…自分も、傷付けた。 きっと私より、柳君の方が仁王君を幸せに出来るだろう。 自分に何度もそう言い聞かせた。 それでも、私の仁王君への想いは留まる事を知らず、私は今にでも部室へ戻りたかった。 でも、戻ったところでどんな顔を見せればいいんだろうか、そう戸惑っては、結局部室へ進めない。 「柳生っ!」 不意に私を呼ぶ声が聞こえて、私はそちらに顔を向けた。 そこには笑顔で立っている丸井君がいた。 にこにこと私の横に立つと、不思議そうに私を見上げる。 この動作は、どこと無く仁王君と似ている気がする。 彼の場合、にこにこではなく、不適な笑みなのですが。 「柳生、どうしたんだ?」 丸井君が私の眼鏡を外してじっと私の顔を見てくる。 私はその眼鏡を取り返すと、丸井君に背を向けて歩き出した。 「いえ、なんでもありませんよ」 今まであったことは、誰にも話してはいけない、と何故か思い、私は口を閉ざした。 その後も丸井君は幾つかの質問を私に投げかけましたが、私は一つも答えることが出来なかった。 「…なぁ、」 急に背中に体温を感じて、何かと思えば、後ろからくぐもった丸井君の声が聞こえてきて、つい足を止めました。 丸井君が、私の背中に抱きついています。 「俺じゃ、駄目なのかよ?」 小さく震えるような声、いつも子供のような丸井君ですが、ほんの少しだけ、甘えるような声色で。 「丸井君…」 私が丸井君に視線を向けようと振り返った瞬間、 見慣れた銀髪が、こちらに背を向けて走り去っていた。 「仁王君!!」 慌ててその後姿を追おうとしても、丸井君が離すまいと力を込める。 離してください、私は、仁王君を…! 「行かせねぇよ…仁王のトコになんて、行かせねぇ」 小さい声で丸井君が何かを言っていましたが、それは、私の耳には入ってこなかったのです。 20110920 [*前] | [次#] 目次へ帰ル |