寄り添って生きる
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「すーみーまーせーんー! だーれーかー」
 なんてふざけた声でこの屋敷の門を叩いた時から、きっと俺の初恋は始まっていたんだと思う。


 恋なんてしたことがなかった。
 女の子に言い寄られことなんてたくさんある、しかし可愛いなぁと思うだけで恋愛感情に発展したことはない。女の子を抱いて寝たことなんてたくさんある、しかしそれは快楽と快感を求めただけでやっぱりそれ以上の感情は沸かなかった。人を好きになったことがなかった俺は、バイト先の先輩に「恋ってなんでしょうねぇ」と呟く。すると先輩は「そいつを見るだけで胸がきゅーってなって、自分以外の男子と喋らせたくなくて、どうやってもめちゃくちゃにしてやりたくなるのが恋」という。思わず「ただの夢見る乙女じゃないですか」と笑って見せたけど、先輩はこれが恋なんだよ、と真剣な顔をしていた。その頃はやっぱりわからなかったし、別にわかろうともしなかった。

 
 なぜ、宜泰鈴佳を好きになったのか。彼女は美しかった。腰までのばされたつやつやの黒髪。最初はなにもしていなくてもそんな髪なのかと思っていたけれど、彼女はかなりのくせっ毛でお手入れを欠かしていないということを、今は知っている。真っ黒くて大きな瞳。吸い込まれそうだ。よく瞬きをする、けど、もっとそのまんまるい瞳を見たいのになと思う。その瞳に俺を写してほしい。なにこれやばい相当重症じゃねぇ? 血色の悪い肌も、ちろりと出るまっかな舌も、全部、俺のものにしたい。そしてなにより、二人でいるときの心地よさ。黙っていても、しゃべっていても変わらずにそこにただよう空気に俺は安心しきっているのだと思う。彼女を見るだけで、ふわーって心が躍って、宜泰家の人たちと会話をしているだけでもなんだか面白くない。


 これが恋か、って自覚するのはそう遅くなかった。 
 きっかけはなんだったか、確かなできごとはなかった気がする。突然の大雨で、彼女の家に雨宿りをさせてもらったあの日から、少しずつ彼女に触れて、彼女の優しさを知って、彼女の陰を知って、そして彼女の秘密を知った。彼女たち宜泰家はいわゆる八百尾丘尼というやつで、俺の生まれる遥か昔に人魚かなにかの肉を食べさせられたのだ、という。俺にはにわかに信じがたい話だったが、彼女は俺をそのまんまるの瞳に写して、真剣に語った。そうか、と俺は一言つぶやいた。それでも彼女への思いは変わらないし、宜泰家への畏怖の念など沸きおこることもなかった。

その秘密を知ってから、毎日彼女の屋敷に出入りして過ごして、彼女を守りたいだなんて、柄にもなく思ってしまった。長い間傷ついてきた彼女を、しあわせにしたい、ただ、これだけ愛にあふれているのに、俺はまだ彼女に自分の気持ちを伝えたことがない。


 いつだったか。


「愛してしまうのがこわい、もちろん、愛されるのもこわい」


 彼女はそう言った。


「どうして?」


 教えてよ、とややゆっくりめの口調で聞いた。


「最後はわたしだけになってしまうから」


 そういった彼女の瞳は、涙でぬれていた。
 愛し、そして愛してくれた人は自分よりも早くいなくなって、自分はその痛みを抱えたまま癒されぬままずっと過ごしていく。完全にはやっぱりわからないけど、何となくはわかってしまって。俺はそれ以上何かを言うことができなくなって、ちょっと外出てくるねと腰を上げた。その時すでに彼女に背を向けていた俺は、彼女が俺の裾を引っ張ろうとしてやめたことなど知らない。



 その次の日が来た時には、もう元通りだった。「おはよう」ゆるりと笑った彼女の顔に、癒される。
 何でもない日々を、何でもなく過ごした。何度も何度も、飽きることなく。俺は彼女のために作るはずだった料理をなぜか宜泰家のみんなに作ってあげたり、彼女と一緒にお菓子を作ったり。たまに、ごくたまに、買い物へ行ったり。彼女たちは自分たちの秘密が露見するのを嫌って、外出したがらなかった。それではなぜ俺たち──俺以外にも偶然、この屋敷へ雨宿りのために立ち寄ったものがいた──が、こんなに宜泰家からなつかれているのかは俺も疑問のところだがそれはまあいい。彼女も、俺が連れ出さない限り外へ行く気はなさそうで。しかし彼女の屋敷で過ごす、もうそれだけで幸せだった。




 幸せだったある日大変なことが起きた。



 
 いつも通りバイトが終わってから屋敷へ向かった。そうしたら、どこか様子が変で、屋敷の中がばたばたしている。え、いや、あの、俺にも状況説明と言うものをしてほしいんだけど。うろたえている俺に話しかけてきた一人の少女がいた。


「ど、どうしよう怜くん」


 そういってかけてきたのは現役高校生の音琴夕夏ちゃん。彼女も雨宿り仲間のひとりだった、今も俺ように暇があればこうして屋敷に出入りしている。どうしたの? なんかすっげえ騒がしいんだけど、俺に説明してくんない? と笑って聞けば、ちょっとどころでなく衝撃的なことを言われた。


「鈴佳ちゃんが戻ってこないんだって」


 簡単に説明するとこうだった。今回はひとりで大丈夫だから、と買い物に行ったきり戻ってこない。15時には戻ってくるからと言って今は18時だ。時間厳守の鈴佳にしては非常に珍しい。だからこそ何があったのかと心配になって馴染みのスーパーなどを探し回ったがいなかった。それではどこにいるのか。女の行きそうな場所など、皆目検討がつかないという。


 後のことはもうよく覚えていない。ひたすら走った。


 別にあてがあったわけじゃない。前に行ったことがある場所を、見つかれ見つかれと願いながら一つずつ見ていった。俺と彼女とで行った記憶のある場所すべてに行ったけれど、それでも彼女は見つからない。……いや、一ヶ所だけ、残っている。


 買い物の帰りに、休憩と称して立ち寄った公園。こぢんまりとしていて、小さなブランコがふたつだけ。そのブランコのひとつに、座っていた。ああ、やっと、見つけられたよ。


「……鈴佳ちゃん」


 かけた声に、ぴくりと肩を震わせた。俯いていてこちらを見ようとしない。


「ね、鈴佳ちゃん」


 近寄って、ゆっくりとしゃがんで、目を合わせようとして、びっくりした。だって彼女が泣いているから。どうしたの。ねえ、と出来るだけ優しく彼女の手を握った。冷たく凍えた手だった。いつからここにいたのだろう。


「買い物から帰ろうとして。暗くなって道が分からなくなって、」
「うん、わかった」

 
 また出来るだけ優しく彼女をだきしめて、それから、頭を撫でて、わかったからもうなにもいわなくていいよ怒ってないから、ひたすらに言い続けた。いつもは二人以上で買い物に行くから、道がわからなくなってしまったらしい。迷子のような感覚なんだろう。確かに迷子になったときは寂しいし、結構こたえる。誰か見つけてくれ、とそう願わずにはいられない。俺が見つけたよ、鈴佳ちゃん。だからもう泣かないで。


「来てくれたのが怜くんで、よかった」


 まだ泣いたままの彼女が少しだけ口角を上げて、ぽつりと呟いた。その真意をはかりかねて、その言葉に、どうして? と聞いた。いつかのときのようにゆっくりと。


「泣き顔を見られるのは、怜くんだけで十分でしょう」


怜くんに泣き顔をみられるのはにかいめ。誰にも泣き顔なんて、見せたことなかったのに。
 そんなこと言われたら。



「鈴佳ちゃん」
「なあに?」


「キス、したい」


 もうだめだ、俺の理性は限界だ。答えはほしくなかったから、答えられる前に彼女の唇に自分の唇で触れた。ぷっくりとしたくちびるに。唇を離した後、真っ赤な顔をした彼女を見つめて「好きだ」と言った。今度は、彼女にどうしてと聞かれた。


「鈴佳ちゃんの笑顔が好き、泣き顔ももちろん可愛い、宜泰のみんなとしゃべってるだけでむすってなる、君を守りたい、めちゃめちゃにしたい。これじゃあ理由にならない?」


「な、」


「人魚の肉、俺も食べれば鈴佳ちゃんと同じになれるよ。鈴佳ちゃんを一人にして死ぬなんて絶対しないよ俺は。ね、鈴佳ちゃん。お付き合いしてください」


 こんな台詞を今まで言ったことはないし、これからも言うつもりはない。こんな台詞をいうのはもうこれきりにしたいところだ。だから、ねえ、鈴佳ちゃん。早く返事をしてくれると、八雲怜さんはすごくうれしいよ。


「わたし、も」
「え?」
「わたしも」


 その後の言葉は、彼女から仕掛けてきたキスでうやむやになってしまったけれど。


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