12 「小さい頃本気で牛乳の流れだと思って信じてたことがあるの。でも銀河鉄道の夜を見て、ああ、違うんだって知ったの。でも宮沢賢治も同じようなこと考えてたんだなあって思ったら、なんだかおかしくてね。」 小さな球体の中は薄暗く、ゆっくりと動く小さな明るい無数の星星だけが確実に存在を誇示していた。平日の夜の時間帯ともなるとやはり閑散としている上、これが今日の最後の上映ならばなおさらであった。声も、息をする音さえこの暗闇に吸い込まれたかのように耳に届かず、黙っていればただ自分の鼓動と、隣の男の鼓動の音が聞こえそうなほどだ。自分の真上で光る一等輝かしい星に目を細めて、それからゆっくりと息を吐いた。 「ポラリス、か」 「うん。北極星だね。」 あ、デジャブ、という一言は飲み込んだ。自分たち以外の誰もいなくて、まるで自分たち以外の人類が滅んで、二人だけ宇宙空間に投げ出されたようだ。それはとても心細いはずなのに、隣の男の細いようで存外がっちりと角張った肩とか、美しい曲線を見せる喉仏とか、血管の浮き出た手の甲を見ると、なんとなく頼りがいのあるような、安心してしまうようなそんな気がした。少なくとも私の赤ちゃんみたいな手とは大違いであることは確かだ。彼は熱心に剣道部の部活動に専念しているのだ。きちんと食事と睡眠を取れば家康のように完全な健康体になれるのに、と少し惜しむ気持ちが起こった。彼のその美しい金緑の瞳は、宇宙空間でも健在で、星星の光を浴びて小宇宙のようであった。ああ、そうか。今更だけれどやっぱり私は彼が好きなんだなあとしみじみと思った。 「なんだ。」 「なんでもない。」 「………。」 「………。」 「………。」 「………綺麗だね。」 「………ああ。」 石田君がね、という一言も飲み込んだ。彼はある意味私よりもナイーブというか敏感な部分があるようなので、余計な心配をかけまいと自分なりの配慮であった。宇宙空間はやがてその距離を伸ばし、果ては何百何千何億何百億光年と名もない星星が上空を覆い尽くした。彼は規則正しく喉仏を動かして、時折目を見開いたりしながら熱心に見入った。私は流れゆく星星を見送るふりをして彼を盗み見た。本調子でない視界はこの暗闇ですこぶる悪いのだが、ここのプラネタリウムは小さい頃から休みになれば父にせがんでほぼ毎週通っていた程の場所で、未だにほぼ自内容も変わらずきちんと記憶はしている。だから今だけはプラネタリウムと同じくらい石田君の綺麗な姿をこの目に焼き付けようと思ったのだ。 「流石に皆今頃気づいているかな。」 「構うものか。文化最後の打ち上げとは名ばかりのカラオケ会に費やす時間など不要だ。」 「たしかに。どうせ皆歌うのや食べるのに必死で誰がいないとか全然わかんないよね。途中で誰が抜けようがわかんないか。」 確かめるように彼を伺うと、石田君はちらりと私を見て、それからまた小さくああ、と頷いた。石田君さっきからああ、ばっかりだな。結論から言えば私は何とか文化祭を迎えることができた。文化祭では約束通り、石田君は見事白雪姫をやりきった。観劇していた豊臣先生や竹中先生の前で彼もずいぶん張り切っていたようだ。それだけでなく、彼は私の目を心配して裏でも私にいろいろ手助けしてくれた程だ。石田君の白雪姫本当に白かったなあ、と思ったら笑えてくる。随分目つきと姿勢の悪いお姫様がいたもんだ(他の皆もなかなカオスだったけど)。 「……何がおかしい。」 「ううん、石田君の白雪姫ハマってたなーって。」 「どう言う意味だ。返答によっては懺滅するぞ。」 「いい意味だよ、いい意味。」 「ふん。」 思えば私が告白をして、それからなんだかんだとこの一夏を彼と過ごしてきたことが、まるで劇中のことのように感じられて、現実味がないというか、まるで夢を見ているようだった。私の目は相変わらずこの調子だけど、さすがに幻を見せているわけではあるまい。告白して振られたくせに、ますます石田君の好きになった夏だった。本当に楽しい夏だった。彼も楽しかったって思って欲しい。またいつもの生活になっても、この思い出をずっと覚えていて欲しい。 「もう、文化祭も終わったから、お互い部活忙しくなるね。」 「…ああ。」 「ありがとうね、いろいろ。もう目も大丈夫だと思う。」 「………。」 「だからもう心配いらないから。石田君は石田君のやりたいことにやってね。」 「………。」 「石田君とプラネタリウム見れてと良かったよ。いい思い出になった。多分大人になっても忘れないと思う。」 星がゆっくりと西へと動いていく。真夜中になってもポラリスは動かない。ほかの星が動こうが、地球が爆発しようが、ポラリスはいつもそこにいる。石田君は私の方に視線を移したので、私も彼を見た。星色のとんがり頭が暗闇の中で映えている気がした。金緑のその瞳はかに星雲のように神秘に満ちている。ああ、やっぱりきれいだなあ。 「なまえ」 「うん。」 そう言えば名前で呼ばれるの初めてだな、とぼんやりと思う。石田君はこちらをまっすぐ見据えたまま続けた。 「まだ貴様の気持ちは変わらぬのか。」 「は?」 「私を、好いたままか。」 「えっ。…うん。好きだよ。前だってそうだし、今だってそうだよ。」 そう言えば彼は少しだけ目を見開いたけれど、すぐさま視線をややしたにして考えるふうにつかの間黙ると小さく頷いた。そしてがしりと突然私の手を掴むと、ぎゅっと自分の手で覆うように握り締めた。私は驚いてひゅっと息を吸い込む。彼は相変わらずまっすぐ目を見てくるけど、耳がやや赤く染まっているのが薄暗闇の中でも見えた。白い肌だから余計に映えるのだろう。 「そうか。」 「……うん。」 「なまえ。」 「ん?」 「好きだ。」 「え」 「貴様を好いている。」 「………。」 「…一度は拒絶した身で滑稽と思うなら嗤えばいい。あの時は貴様をよく知らなかった。」 「笑わないよ、無理ないし。あんまり話してなかったもんね。」 私が自虐的に笑えば彼は首を横に振った。 「この数週間考えていた。なまえが手術すると聞いてから落ち着かず、朝の稽古にも身が入らず、家康を見ると苛立った。」 「あらら、また家康と喧嘩したの?」 「違う。お前といる家康に苛立った。なまえのそばにはいつも家康がいただろう。」 「あー、なるほど。」 そう言えばそうだなーと回想する。家康は幼馴染だし、親友だから。でもそれは石田君も重々承知してるはずだ。でもそれでも起こるってことは、 「……ヤキモチ?」 「…………。」 「図星っすね。」 「…………。」 私が覗き込んでそういえば彼はすん、と視線をそらした。なにこれ可愛い。 「なまえ」 「うん。」 「好きだ。」 「うん。私も好きだよ。」 「女として好きだ。」 「……石田君て本当に素直というか、まっすぐ過ぎてこっちが恥ずかしい。」 「何の話だ。」 「いや……、なんでもない。でも、その、いいの?」 「何だ」 「私、目があれだから、また入院とか、迷惑かけちゃうかもよ。」 「………。」 今度は私が石田君をまっすぐ見据える番だ。石田君は私を見ると、ぎゅっと手を握って、口を開いた。握られた部分はすっかり熱を帯びて暑くなっている。石田君の大きな手は、私の手を覆うのに十分であった。 「その時には、朝晩そばにいてやる。必要なら包帯も変える。夜、さみしいなら横で寝る。兎に角、私の許可なく私の傍から離れたりいなくなることは許さん。ましてやほかの男を侍らすな。」 「…………。」 「もう暗闇の中で独りなどと勘違いするな。もし暗くなろうとも、迷うことのないように私が手を引く。」 「…………。」 「私の傍にいろ。それ以外許さない。」 「…………。」 「好きだ、なまえ。」 東の空がやがて白んでゆく。だが夜が終わっても星星はずっと輝いていて、昼間も頭上で私たちを照らしていくのだろう。眩しい白い光が彼のやや火照った頬を照らし出した。目から流れ出る涙を彼のもう一方の手が優しく拭った。目の手術をして本当に良かった。こんな幸せな景色を目に収めることができたのだから。ポラリスが見えなくとも、石田君が私のポラリスでいてくれるのだから、真っ暗闇の中でももう迷うこともないだろう。そうか、私はすっかり忘れていたけれど、静かな美しい夜が終われば、喜びに満ちた朝が来るのだ。 「うん。好きだよ、三成くん。そばに居て。私の手を引いて。」 美しい金緑が細められる。視界が真っ白になって、眩しくて、溢れ出る涙で霞んでいく。もうポラリスは見えない。でも見えなくなっても、きっと大丈夫だろう。遠くの空にうっすらと月が見えて、東の空には優しい陽の光が顔を出す。ああ、夜明けが来たのだ。 2015.07.25. |