ゼログラビティ | ナノ

10

嘘をつくのは得意な方だ。話をはぐらかす事も造作もない。
「石田君に嘘ついちゃった。」
帰り際に家康にそう伝えれば家康はいつもとはトーンダウンした声でそうか、とだけ言ってあとは兎に角養生するようにきつく念を押される。これまで幾度も入退院は繰り返しているがなんとも夜の病院ほど怖くて慣れないものはない。くるりと横を向けば窓があって、カーテンの隙間からは雨雲の分厚い黒が見える、はずである。こんな暗闇の中では包帯越しだと何も見えない。しかしこれが帰って救われる。怖いものも見なくて済む。人の表情を鮮明に目の当たりにしなくて済む。ガチャりと扉が開く音がする。夜の見回りのナースさんの足音が聞こえて、私を見た。まぶたを閉じようが閉じまいがこの姿では同じである。


「みょうじさん、夜ふかしはだめですよ。」
「……はあい。どうしてバレたんだ。」
「眼球が動いてます。トイレは平気ですか?」
「はい。ありがとうございます。」


ナースのお姉さんはそういうとおやすみなさいと言って扉を占めて行ってしまった。どこかさみしい心地がした。もし本当に光を失うとしたら、最後にこの目に家族と、友達と、そして彼の顔を焼付けたい。本当は買ったばかりの天体の小説だって読み終えたかったし、蟹座星雲だって観察したい。


「…………。」


声に出さず彼の名前を読んでみたら、とてつもなく会いたくなって、少しだけ声を殺して泣いた。








結局、約束の日になってもなまえは学校に現れることはなかった。クラスのみんなは風邪をこじらせたと嘘をつく担任の言葉を間に受けている。馬鹿だなあアイツは、というクラスの男子に殴りかかりそうになったのを家康に止められた。真実を知っているのは家康と、伊達と、私と、少数の幼馴染しかいないようだった。家康に容態を聞いても相変わらずふざけたふうにはにかんではぐらかすので私の苛立ちは頂点に達していた。


「本人に連絡すればいいだろう。」
「……アドレスを知らん。」
「そうなのか?」


心底驚いたように家康は私を見る。隣り合って用を足すのはいけ好かないが致し方がない。真実を伝えれば家康は手洗いを終えると学蘭のポケットからiPhoneを取り出した。赤外線ついてないんだ、と言いながら私の携帯を差し出すように指示する。バーコードのやつはよくわからんので直接自分で打つことにした。


「触るな、汚らわしい。」
「いやいやワシ手洗ったぞ、ひどいなあ。」


差し出された画面のメールアドレスと電話番号をきちんと保存すると家康に感謝を述べることなくいつものように歩き出す。後ろで笑う家康を蹴り飛ばしたい衝動に駆られるも今は兎に角あいつの連絡先を聞けただけでもどこか安心していたので余計なことはしなかった。








するりと包帯がとれて、それまで感じていた弱い締め付け感と圧迫感はみるみるうちに消えていく。指示通りゆっくりとまぶたを開ければ真っ白い世界が見えた。視力が落ちているせいかぼんやりとしたモヤモヤがかかっているように見える。なんとか文化祭には出れる許可が出たものの、それ以外は目をいたわるように大量の薬とメガネの生活に耐えねばならない。久々に携帯を開ければ大量の受信メールを改めた。ほとんどメールマガジンと、私をいたわる友人たちからのメールだ。


「そういえば学校には肺炎か何かになってんだよね。」
「ああ。風邪をこじらせたってな。」


家康が横でiPhoneをいじりながらそう言った。文化祭に出ればまたこの病室に逆戻りだ。冬まで待とうと思っていたが手術は早いほうが良いと言われてしまった。確かに早いほうがいいだろうと両親にも進められての決断である。どっちにしろ私は文化祭に出れればそれでいい。随分私は恵まれている。普通は一刻も早く受けるものを待っててもらえるのだから。もう十分だ。楽しい思い出を作ったなら、もし手術がダメになってもそれでいい。十分幸せだ。


「あれ、」
「なんだ?」
「知らない人からメールが来てる。」


迷惑メールかな、なんて言いながらメールを開いて思わず目を見開いた。

『約束を破るな。……容態はそんなに芳しくないのか。ならば文化祭に無理して出ることもない。貴様がいなくとも私は見事に白雪姫を演じきる。今は忙しい身で見舞いには行けん。気に食わぬが家康がいればおそらく案ずることはないだろう。』


「これって、」


『文化祭も終え、手術までの少しのあいだに時間があるのならば、私に少しだけ付きあえ。勿論無理にとは言わないが。』


読み終えると同時に横から何かが入り込んでくる。家康の方向を見れば何かを握りしめてこちらに差し出す彼が見えた。


「家康、」
「三成のおとしものだ。代わりに渡しておけって言われたんでな。」


家康はそう言って満面の笑みを見せ、私の手を取ると、私の手のひらにそれを載せる。クシャクシャになったチケットだ。隣町にある寂れたプラネタリウムの。


「はは、雨でもふりそうだね。」
「全くだ。」


視界が先ほどよりも霞んでくる。こんなのあんまりだ。十分だって言ったのに。これじゃあ余計に心残りだ。かすかな希望さえ感じてしまう。期待してしまう。これならいっそ嫌われた方がマシね。世界の終わりでも人生の終わりでもあるまいのに、くしゃくしゃのチケットとおんなじ位くしゃくしゃになって泣いた。



2013.03.11.

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