「……腹いたい。」 時計を見れば午後10時半。引っ越して早々、急な腹痛に思わず身悶える。今日の夕飯は別段悪いものは食べた気がしないのだが。恐らく急な環境の変化についていけなくなったのかは解らない。が、きょうベビー5さんにもらったケーキをデザートに食べたのだが、それが原因ではないことだけは切に願いたい。 「胃薬どこだったけかなー……」 手当たり次第に段ボールを開けて中を検めるも、引っ越したばかりでどこに何があるのかさえも把握できずに絶賛ピンチである。もはやこうなったら薬局に行くが早いか。とりあえずパジャマの上にカーディガンを羽織るとスマホと財布を片手に薬局へと向かおうとした。この辺は詳しくないが、住宅街だし検索すればあるし、最悪駅前のマツキヨにいけばいいや 「あ、」 「……、」 ガチャリと玄関ドアを開けた瞬間、煙草特有の香りがしたかと思えば、視界に群青と町のフィラメントに交じって幾重にも絡まる紫煙が見えた。煙の先を辿って横を見れば案の定見覚えのあるTシャツが見えた。 「あ、トラファルガーさん、こんばんは……」 力なく答えてとりあえずエレベータに向かおうと彼とは反対側に向いた瞬間、彼はおい、と声を上げた。彼は煙草を吸いながらもう片方の手には缶コーヒーが握られており、廊下の縁に身を預けていた。 「どうした。……腹痛ェのか?」 私が片手でお腹を押さえた状態であったからか、彼はそういうとこちらを覗き込む。 「あ、あの大丈夫です。とりあえず薬買おうと思って。あの、近くに薬局ありませんかね?」 「もう一番近い薬局は閉まっちまってるぞ。」 「ああ、そうですか。じゃあ駅前のマツキヨに…」 「まさかさっきやったチーズが当たっちまったのか?」 「いや、違います、あれまだ食べてなくて(チーズだったんかあれ)。とりあえずマツキヨ行ってきます、じゃあ。」 早々に別れを告げていざ行かんとすれば、財布を握っていた方の腕が引っ張られた。 「十分かかるぞ。」 「まあでも、しょうがないですよ。済みません、ご迷惑おかけして、お構いなく。」 「構うだろ。顔真っ青だぞ。とりあえず薬やるから来い。」 「えっ」 あれよあれよという間に彼は煙草を缶コーヒーの中に入れると私を自分の部屋に引き入れた。何が何だかよく解らず言われるがままになぜだか彼の部屋に招き入れられると、サンダルを脱ぎ捨ててとりあえずリビングに上がることとなった。差し出されたスリッパを履くのもそこそこにとりあえず革張りの黒いソファに横になれと言われて横になると、あろうことか彼は当たり前のように私のお腹を触りだした。何ぞこの状況。 「あ、あのう……」 「触診だ。別にお前の体には興味ねえ。」 「ひど!って痛!」 「夕飯何食ったんだよ。カレーか?」 「すいませんでしたアクオ噛んどきます。」 「息じゃねえよベランダから匂いがしたんだよ。ちゃんと加熱調理したのか。他何食った。」 「……べ、ベビー5さんがくれたお菓子のケーキを食べました……」 「それだな。」 「即断!?」 「あいつが作ったのか?」 「いいえ、とある男の人から大量に買わされ、あ、いえ、頂いたと言ってました。」 「いやそれだ。」 「即断!?」 ベビー5さんに彼女の知らぬところで風評被害が立つのは大変申し訳ないが今は一刻も早くこの痛みから解放されたい。彼はとりあえず食あたりの薬だな、言ってと立ち上がると私をリビングに置いたまま別の部屋へと消えていった。私は彼の迅速な対応に感嘆すると同時に彼の部屋の広さといい家具の趣味に驚きを示した。シンプルかつ生活感のないこの部屋は正に彼にふさわしい。テーブルの上には高そうなワインの瓶しかなく、この人ちゃんと食べ物を食べているか不安になるほどだ。 「飲め。白湯でいいだろ。」 「あ、どうも。」 ウォーターサーバーからグラスに水を注ぐと、彼、トラファルガーさんは私に薬と一緒に差し出した。迅速な対応に驚きつつも言われるがままに薬を飲み干す。この人、できる男と見た。私よりも随分しっかりしてやがるぜ。 「これ飲んだらしばらく横になってろ。トイレはあっちだ。とりあえず我慢せずしたくなったら遠慮せず行け。白湯は此処に置いとくからこまめに飲んどけ。あとこれ掛けろ。」 彼は私に手ごろなブランケットをかけると、彼はリビングにノートパソコンを置いて向かい側の椅子に腰をかけた。あー、そのパソコン液晶とキーボードがセパレートになってて欲しいと思ってたやつだ、トラファルガーさんに合うわあとぼんやり思って何となく彼の様子を見ていた。 「吐き気や下痢はねえんだろ。」 「ああ、はい。吐き気はさっきあったんですけど、玄関出る前に一回出したら結構楽になりました。でもお腹痛いです……」 「まだマシだな。重度なら喋ることさえもできねえし死ぬかと思うぞ。救急車に連絡しなきゃなんねえしな。」 「へー、そうなんだ…」 「とりあえず今は安静にして明日病院行け。一番近い病院に一応連絡入れておいた。場所印刷しておくからちゃんといけよ。明日空いてるか?」 「明日授業は4限だけなので、午前空いてます……」 「じゃあ午前に入れとく。いい先生だから安心しろ。」 「え、知り合いなんですか?」 「大学のOBだ。」 「あ、トラファルガーさんもしかして医学部なんですか?」 「ああ。医学部の五年だ。」 「へー!」 すげー!めちゃくちゃ秀才だ!と驚きの声を上げたいのだが、今はお腹がアレなので心の中だけに抑える。一見怖い顔してるけど医者だなんてギャップ萌えにも程がある。だからこの人手際がよかったのかーと安心した。彼は言ったとおり紹介状と地図をプリントアウトして私に手渡すとここからの道順を説明してくれた。さすが医者の卵だけあって病人に対しては大変親切である。日常生活では結構ぶっきらぼうそうだが。 しばらく横になっておれば、薬が効いてきたのかだいぶお腹も落ち着いてきたようで、楽になってきた。これ以上彼に迷惑はかけられまいととりあえず起き上がるとそろそろお暇しようと彼に声をかける。 「あの、トラファルガーさん。」 「ん。なんだ、薬効かねえか。」 「いいえ、逆です。おかげさまでだいぶ良くなりました。本当にありがとうございます。もう遅いですし、これ以上迷惑かけられませんから、おうちに帰りますね。」 「そうか。」 彼はそう言って壁の時計を見て11時半を回ったのを見るともう11時だったかとぼそりとつぶやいてパソコンを閉じると立ち上がった。私を送るつもりらしい。まあ贈るといってもとなりだけど。 「明日は一限から授業があって付いてやれねえが、まあ難しい道でもねえしなんとか行けるよな。」 「全然大丈夫ですよ、地図までもらっちゃったし。本当にいろいろ済みません…」 「食いもんには気をつけろよ。特にあいつからのは大概必要以上に用心したほうがいい。」 「あはは……はい。」 あいつは間違いなく彼女のことだろうがそれ以上は私もコメントを差し控える。 「また痛くなったらとりあえずインターホン押せ。だいたいすぐ出る。」 「いや、流石にそれは申し訳ないですよ。もし何かあったらあとは自分で何とかしますから。」 「素人が余計なことすんな。余計悪化するだろう。動けねえほど痛ェならこれに連絡しとけ。」 そう言って彼は玄関にあったメモ帳とボールペンとメモ帳をとると数字の羅列を書いて直様手渡した。090から始まるそれは間違いなく彼の携帯番号だろう。思わぬ収穫というか、これを怪我の功名というのだろうか。まさかトラファルガーさんのスマホ番号げっちゅである。というか普通にこの人いい人だな。見かけに騙された。 「済みません、ありがとうございます。」 「もう夜ふかしせず寝ろよ。」 「はい。おやすみなさい。」 頭を下げるとここでいいときっちり断りを入れて彼の玄関の扉を締めた。湿った夜の空気が身を包見込む。本当に今日はいろいろあった一日で疲れた。お腹はもちろんだが体も安静にしたほうがいいだろう。家に入るとサンダルを脱ぎ、とりあえず寝る前にしっかりとトラファルガーさんのケー番をきっちり登録しておいた。 第三話 怪我の功名 「(明日みんなにイケメンのケー番手に入れたってに自慢しよー)」 2015.09.08. |