「あの、お風呂頂きました。」 「ああ。」 少し開かれた扉の隙間から声をかければ、こちらを振り向かずに帰ってくる返事。部屋からはいくらか光が漏れて来ている。一瞬部屋を覗いたが、彼の書斎のような私室はリビングや寝室と同様、無駄なものはなく、黒で統一されており、壁一面に分厚い本やら英字雑誌が綺麗に並べられていた。唯一私が未だに足を踏み入れたことのない部屋である。 ローさんは一日の大半をここで過ごす。今は私がいるから気を遣っているのかもしれないが、彼はここで勉強や何やら調べ物に専念しているらしい。とにかくこの部屋に一度入ったら基本的に出てこないのである。私がここでお世話になってからは、規則正しく食事をしていいるが、それ以前は思い出した時に適当にとっていたらしい。思い出した時に食べるってなんぞ?と食いしん坊の私にとってはあまりに衝撃だったのを今でも鮮明に思い出せる。 「(何か、飲み物でも持っていったほうが気が効いてるかな…)」 そう思ってそっと彼の部屋の前から遠ざかるとキッチンに向かう。リビングの壁掛けの時計を見れば22時過ぎを回っている。コーヒーよりは紅茶がいいだろう。昨日こっそりノンカフェインのものを駅ナカのカ●ディで買ってきたのだ、彼のために。彼は砂糖もミルクもレモンも入れないストレート派なので(ということを近頃共同生活を初めて知った)、ティーカップに紅茶だけ注いだだけのものを木の盆に載せる。普通ならばここにクッキーだの軽食もつけるべきだが、彼は例により夜食ももちろん彼は口にしないので不要だ。 「…ああ…そうか……」 「(電話中かな?)」 「……まだ直接は……そうなんだが……コラさんは…」 「(コラサン?)」 ローさんの私室の前で立ち尽くしたまま、然りげ無く耳を立てる。もちろん盗み聞きをするつもりはなあったのだが、やむを得ない。そういえば彼はこのように時折、というかほぼ毎日誰かに電話をしているように思われた。いつも手短に要件だけ伝え合っているようなので恋人ではないだろうし(いるのかこの間然りげ無く聴いたらいないと答えていたし)、かと言って話し方が結構砕けているので大学関係の人でもないらしい。 「(いったい誰なんだろう。)」 電話をしている時の彼の声は、とても柔らかくて優しくなる。彼自身気がついてるかは定かじゃないが、ここに越してから何だかんだ彼に注目してきた私にはよくわかる。ローさんはなかなか人に打ち解けるような人ではない。実際私も色々面倒を見てもらっているし嫌われていはいないのだろうけどじゃあ完全に心を開かれているようには思われない。現に、あまり自分のことも、今回の事件のことも未だに詳しく話してくれていない。心配かけまいとしてわざと話さないのかもしれないけど。 「(…なんだかなあ。そういうクールなところも好きなんだけど、寂しく感じることもある。)」 「盗み聞きとは随分いいご身分だな?」 「え、あ、いいえ、ごめんなさい!そういうつもりでは!ただ、お茶を持ってこようとして…!」 声に思わずはっとして見上げれば、もうすでに電話を終えたらしくスマホを片手に持ったローさんが扉の前で私を見下ろしているではないか。私があたふた必死に弁明すれば彼はふ、と笑った。 「冗談だ。最初からみかんがそこにいるの気がついてたが通話中で声かけなかっただけだ。」 「す、すみません。(気づかれてたんだ…)」 「謝るな。それに、ちょうど話しておきたいことがある。リビングに来い。」 そういって彼は私から盆を取り上げると、すたすたリビングに行ってしまう。私も取り敢えずついていくと、彼は自分の分のお茶を作れと指示したので、私はティーポットに残っていたものをローさんに買ってもらった私専用の猫のマグに注いでソファに腰を下ろした。彼は悠々とその長い御御足を組んでソファにゆったり腰をかけている。一挙一動絵になる人だなあと感心しておれば、ローさんはもうぬるくしまったであろうカップに口をつけてソーサーに置くと切り出した。 「この間言ってたツーリングの件なんだが、」 「ああ!はい。」 もう随分前からはなしに登っていたし、私も今月のシフトを聞かれたので随分話が煮詰まっているらしい。 「急な話になるが、ちょうどお前の三連休の日に決まりそうだ。」 「おお」 「ツーリングして、そのまま知り合いのコテージ借りてそこで一日二日過ごして帰るっていう話でまとまってきてる。」 「コテージ!?おしゃれですね、どの辺ですか?」 「○○ヶ原だ。コテージは山にあるが二輪を5分も走らせれば海にも行ける。」 「わー!素敵!」 あそこは有名人の別荘も多いし高級コテージも多い地域だ。商業施設も充実してるし、アクティビティも満載のるるぶやヒル●ンデスでも特集されるほどのスポットである。知り合いって誰かしらんけどありがたい!と有頂天になる。私を見てローさんは苦笑する。 「一応今は変な奴に追われてるってことは忘れるなよ。」 「もっちろんですよ!」 「本当にわかってるのか。」 去年は彼氏もおらず、夏休みに辛く苦しい思い出しかないが、今年は本当にハッピーなリア充夏休みを過ごせそうである。私の浮かれまくる様子にローさんは苦笑した。 「取り敢えず荷物は先に送らねえとだ、明後日に宅配で頼むから、急だがそれまでに必要なものはまとめといてくれ。」 「了解です!水着とかいりますかね!?」 「好きにしろ。」 「好きにします!」 ツーリングに山に海と来たら、水着や虫除けスプレーは欠かせないだろう。この三日間でどれほど遊べるかわからないが、海好きだし持っていこう。まさか楽しみが三倍になるとは。どうせ来週はせっかくの連休なのにやることもなくてどうしようと思っていたし、ちょうど良かった。明日午前中に買出しして服取りに行って、ちゃちゃっとまとめよう、と瞬時に算段する。 「あ、ローさん明日はお出かけですか?」 「ああ。午後からな。帰りは遅くなる。俺を気にせず先に寝とけ。」 「分かりました。明日はお休みなのでおとなしく卒論やってます。」 私がそういえばローさんは返事の代わりに紅茶を飲み干すとテーブルにおいて立ち上がった。片手のスマホを覗き込むと、私に視線を下ろした。私はマグに口をつけたまま彼を見上げる。 「俺は部屋にいる。もう遅いから寝ろ。」 「はい、今日は先に休ませていただきます。」 私が素直にそういえばローさんはふ、笑っていつものように私の形の気に入った頭を撫でた。相変わらずのペット扱いぶりであるがもう不満はない。 「(もうちょっと女としてみて欲しいんだけど、今の私じゃやっぱりダメかなあ。)」 ・ ・ ・ 『ツーリング来週になったんだね。』 『早速お前にも連絡来たか。』 『うん。ペンギンたちもう準備した?』 『まだ。久しぶりだからメンテナンスしねーとなー。』 駅前のマツモト●ヨシで宿泊用の化粧水を吟味する。この時間はまだこんでいなくて、日用品を会いに来た主婦が多く、化粧品コーナーは人は疎らだ。BGMは最近流行りのアイドルグループの曲が流れている。 『てか、あの例のストーカーは?一応俺たちにも連絡来たんだけど、何しろ俺とみかんが友達なの知られてねえから詳しく教えられてねえし、あれから全然それに関する連絡先輩から来ないんだよ。ツーリングと飲み会の連絡ばっか。』 『やっぱりそーなんだ…。実は私も全然聞いてなくて。ていうか、教えてくれないというか。』 『あの人自分一人で抱え込むタイプだからなー。』 化粧水を手に取り、今度はシャンプーとボディークリームのコーナーへと足を運ぶ。やっぱりそうなんだと少しローさんが心配になる。結構あれでいて無鉄砲というか無謀なところがあるみたいだということは、あの例のカーチェイスの時にぼんやり思っていた。 『俺も何度も本当大丈夫すかって聞いても今回は面倒かけねえの一点張りで困ってんだよ。』 『なんか、ローさん誰かとしきりに連絡とってるみたいなんだけど、やっぱ二人じゃないんだね。』 『連絡?』 『うん。…ええっと、なんだっけな、コアラサンとか、コーラさんとか…言ってたような。』 『はあ?コーラサン?……ああ!コラさんか?』 『あ、多分それ。』 『その人だ!高校んときに助けてくれたおじさん!』 『へえー、そうだったんだ。』 それを聞いて合点がいった。それで彼は今回もおじさんに相談していた、ということだろう。それほどまでにローさんに信用されているとは、いったい『コアラサン』とは何者なのか…。 『じゃあ、今回もなんとかなるかもな。ま、とにかく、ツーリングは楽しもうぜ。詰まんねえことばっか考えてちゃ折角最後の夏休みが勿体ねえし。』 『そうだよね。じゃあ、また連絡するわ。』 『おう。』 ペンギンからのラインを切ると、本格的にボディクリーム選びに専念する。ちょうど家のも切れそうだったし、この際大きいのを買っといて帰ってからも使おうと思っていた。 「(ここはいつもどおり無難にニ●アか、それとも種類のあるジョ●ソン&ジョ●ソンか……)」 二つのローションを両手にもって凝視する。いい匂いの方がモテるかしら。いや、保湿力で言えばニ●アか。悩みどころである。ローさんはどっちの匂いが好きかな。無難なのはニ●アな気がする。あんまりちゃら付いた香りはあの人は好きそうにないような気がしてきた。ニ●アにしとこうかな。 「……ん」 しゃがみこんであまりに真剣に選んでいたため今まで気がつかなあったが、視界に何かを捉えた気がして右を向けば、そこには思い切り至近距離で私を見つめるサングラスの男の存在に、私は全く気がつくことができなかった。 「ぎゃ!」 思わず飛び跳ねてそこから退けば、私を見つめていた男の全容を見ることができた。見慣れた白衣に黄色と黒のエプロン。エプロンには「マツモト●ヨシ」のプリントがなされている。背は高く、肉付きがいいのか来ている白衣からうっすら浮き上がっている。サングラスに強面、おまけにあろうことかそのイカつい頬には、 「(…め、目玉焼き?)」 間違いない。白と黄色のコントラストが織り成す物体、目玉焼きがかの男の頬にはくっついていた。名札を見れば「ヴェルゴ」と書かれている。このお店の人らしいが、明らかに人一人やふたりは殺っていそうな、殺伐とした空気を背負っている。間違っても街の気のいい薬剤師には見えない。「ヴェルゴ」ならぬ「ゴルゴ」の間違いではないかと思わず二度見してしまう。 「あ、あの…」 「お客様、ローションでお迷いなのですか?」 「え?ええ、そうです、ね。」 男はそう問いかけてきたので思わず返事を返せば口角を上げてにこりと笑った、かと思えば何事もなかったかのように棚に手を伸ばすと商品を手にとった。可愛らしい箱に入った商品で、見たことのない商品である。 「最近入荷したばかりのこれなんかがオススメですよ。」 「はあ、」 「そちらのニ●アと比べると百円ばかりお高めですが、保湿力はその数倍、なめらかでしっとり、不快感はなく、吸い付きたくなるような肌となります。ロイヤルゼリー入りで香りはほのかに香るフレッシュベリー。」 「なるほど…」 「オススメですよ。」 にこり。男が笑うと頬の卵焼きがずるり、とやや右に移動した。思わずことらの笑顔もひきつる。これ、多分ここで私が買わないと殺られるな、ということは私の本能が訴えている。取り敢えずそれを手に取ると、どうも、と一言いってかごに入れてその場をあとにする。 「(なんなんだ、あの人は…)」 早く選んでさっさと帰ろうとそのほかの買い物を適当に済ませ、ようやくレジに並ぶ。結構混んでいるのか私の前には三人並んでいる。 「こちらどうぞ」 「はい、…て」 ようやく自分の番の精算かと思えば、目の前には先ほどの目玉焼きの男性。思わず足が竦んだが、ほかのレジは空いてないし後ろにはもう数人並んでるしで、行くしかなかった。渋々私がかごを置けば「ヴェルゴ」さんは何事もなかったかのようにレジ業務を開始する。 「(…この人、ここのマツキヨに前からいたっけかな…。)」 「ポイントカードはお持ちでしょうか。」 「あ、はい。」 普通にスムーズに業務をこなすあたり、新人さんでもなさそうである。駅前なのでここはよく利用するのだが、こんな危ない人始めてみた。だいたいこの人は鏡をちゃんと見てるのか。彼は商品を淡々と袋に詰めると私に手渡した。 「ありがとうございました。」 「どうも、」 にこりと笑って私に感謝を述べた。まあ、きっと見かけてなかっただけなのかもしれない、そう思って店を後にした。これでなんとか荷造りは大丈夫だろう。 第十七話 青天の霹靂 「これでオッケーかな。」 夕食後に荷造りをしようとスーツケースの中に洋服と今日買ってきたものをぼんぼこ詰める。ローさんの家に持ってくると、忘れないようにリビングに置いておいた。明日宅配便でお願いすると言っていたし、これで問題はなかろう。 「さて、卒論の続きでもしようかなー。」 今日はローさんも遅いと言っていたので、リビングでしばらくパソコンをいじろうとソファに座った直後、ガチャり、と玄関の扉が開く音がしたので、思わず視線が玄関のある廊下へと向く。 「(今日、速かったのかな。)」 不審に思ってスリッパを履きなおすと玄関へと向かう。私が玄関についたと同時に扉が開き、外から見慣れた背の高い姿が見えた。 「あ、おかえりなさ、」 「みかん、」 「えっ」 ローさんの姿が見えたかと思えば、突然倒れこむようにこちらに向かい、結構な力で両肩をがしっとホールドされた。いきなりのことで驚きのあまり声を上げてしまったが、それ以上に彼がいつものクールな顔ではなく焦燥しきった表情を浮かべていたので思わず目を見開いた。 「みかん、怪我はないか?何もされてないか?」 「ええ、別に、普通ですよ?怪我も、ないですし」 私の言葉を聞きつつも彼はつま先から頭の先まで丹念に私の体を見て、それから本当にかわりないことを確認するとようやっと安心したように息をついた。 「そうか……良かった。」 「何かあったんですか!?、わあっ」 ローさんは頭を私の肩に預けると、呼吸を整えるように息を吸ってはいてを繰り返した。いい匂いが急に近くに来るわ顔が近いわであわあわアホのように私も焦ったが、この期に及んで喜んでもおられず、ただ事ではない、取り敢えずお話を聞かねばと自分の手を彼の両腕に乗せた。すると、私の左手に何やら生暖かな水っぽい感触がしたので思わず手のひらを見て心臓が飛び出しそうになる。 「ち、血!ローさん、血がッ」 「…ああ、平気だ。」 「いや、平気じゃないですよ!ああ!取り敢えず中へ!」 「軽症だ。これくらい自分で始末する。」 彼の右腕からまあまあの出血が見えて、ようやく私は事態の深刻さに気がついた。とにかく傷口がどれほどかわからぬのでリビングでいろいろ手当をせねばと思っているうちに彼はややおぼつかない足取りで土足のまま自分の家に上がり込んだ。 「みかん、荷物まとまってるか。」 「ええ、はあ。コテージの分はさっき済みましたって、そんなことよりあなたの怪我が、」 「良かった。取り敢えず車出すから必要な荷物持って出てこい。」 「え、車って、どこ行く気ですか!?病院?」 「違う、いいから準備しろ!今すぐだ!」 「え、はい!(ひええ!)」 ローさんが今までにないほどの気迫でそう怒鳴ったものだから私はわけもわからぬままに彼の寝室に置いてあった財布やカバンを片手に持つとリビングへと向かう。リビングで半裸になったローさんに出くわして、思わずまた素っ頓狂な声が出たが、応急処置をしているのを見てすぐに私も手伝った。テーブルには救急箱が開けられ、消毒液やガーゼなどのが広げられている。 「あの、例の組織の人ですよね、刺されたんですか…?」 「ああ。でも傷は浅い。これぐらい平気だ。」 「平気じゃないですよ!警察呼びましょうよもう!」 「いい。無駄だ、証拠もない。あいつらは警察にもコネクションがあるし、金を積めばいくらでもなんとかなる。癪だがアイツ等は金だけは持ってやがる。」 「もうそれゴットファーザーやミッションインポッシブルの世界じゃないですか!!」 弟が小さい頃、サッカーでよく怪我したから包帯をまいたりするのは慣れてるが、泣きながら包帯を巻いているのでもうわけがわからない。ボロボロバカみたいに泣き始めた私を見て、ローさんは心底驚いた様子だった。 「…なんで怪我してねえお前が泣くんだよ。」 「泣きますよ!こんな怪我、ひどすぎです、一歩間違えれば本当に死んじゃうかもしれないんですよ!?」 「お前じゃなくて良かったろ、俺が死んでも別にお前が怪我なく生きていれば……巻き込んだのは俺だ。迷惑被ってんのに俺のために泣くな。」 「馬鹿なこと言わないでください!」 「おま、馬鹿って、」 「死ぬとか、そんな簡単に言わないでください、もう冗談に聞こえないです…。ローさんいっつも一人で抱え込んで私もペンギンたちもよくわからなくてすごい心配してるんです、皆。だから死なないでください、絶対に。」 包帯をぎゅっとしばる。彼は視線をそらさず私を見ている。私は怪我を負った右腕を見たまま動けない。未だに涙が止まらずずるずる鼻水をすする化物とかしておれば、ふ、と頭上から笑う声が聞こえた。なんだ、この顔面白いってか。 「…俺にそんなに死んで欲しくないのか。」 「当たり前です…」 「………そうか。」 「はい……。」 「…………。」 その声が聞こえたか否か、急に頭に感触を感じたかと思えば、視界が暗くなった。 「…悪かった。避けようと思ったんだが、間に合わなかったんだ。」 「、」 「だが傷は深くない。…これからは出来るだけお前に言うし、出来るだけ危なくねえやり方を考える。」 「…は、はい。」 ここでようやっと頬に当たる暖かなこれは人の皮膚の感触であると発覚した。そう、自分は今彼の胸の中に顔をくっつけているらしい。らしいというのは私が努めてそうしているのではなく、彼が私の(彼曰く形のいい)頭を抑えつけているから。あまりに急なことで、暫時頭が回らなかったし、だいたいこの事件からこんな展開になるだなんて露にも思わなかったから何も言えず、何も考えることができない。ただ、自分の顔に熱が集まっていることだけはわかった。なめらかなローさんの皮膚の感覚が頬や唇に伝わってきて、頭が真っ白な割には「あ、これ、私キスしてますやん」というコメントを冷静に起こしてしまう辺りロマンスもクソもない自分を殴りたい。 「(し、心臓が、破裂するっ…!てか私の鼻水ローさんの胸についちゃう!)あ、あの!」 「なあ、みかん…」 「(近!)」 恥ずかしさのあまり取り敢えず彼の肩に両の手をついて顔を話して見上げれば案の定至近距離。ともすれば、私の名を紡ぐ彼の唇が近くて耳が熱い。どうしよう、これ、ひょっとしたらひょっとするのでは!?と思わず生唾を飲み込む。夕食後は歯磨きしたし、あ、でも、リップクリーム塗ってない!それが悔やまれる。 「(ああもうなんでリップ塗ってなかったんだろう!もう!自分のばかばか!)は、はい。」 「…………なんでペンギン知ってるんだ?」 「あ」 そういえば。 「あ、あのですね、それは、隠すつもりじゃなかったんですけど…!」 「…まあいい、後で聞く。」 そう言って彼は立ち上がると自室に向かうのか歩き出した。私はその後ろ姿を呆然と見つめる。 「先に玄関で待ってろ。着替えたらすぐ行く。」 「……はい。」 「ペンギンの話も後で詳しく聞くからな。」 「…………はい。」 私が力なく返事を返せば、くつくつ笑う声がローさんの部屋からかすかに聞こえた。 2015.11.08. |