「もう補講はないんだろ。」 「はい。正真正銘の夏休み開幕です!」 「今年が最後か。」 「はい!ローさんは今年の夏のご予定は?」 「図書館。」 「え」 「みっちり勉強。研修医だからな。」 「はあ……そうですか、大変ですね。」 ゆるゆるとローさんが運転する車の中でとぎれとぎれながらもマイペースな会話は続く。さすが彼の車だけあって変な匂いはしないし、清潔だし、居心地抜群である。助手席に私を乗せ、ローさんは時折こちらをちらりと確認しながらハンドルを切っていた。 「合間に遊ぶけどな。」 「そ、そうですか。」 「海行ったり山行ったり、実家帰ったり。」 「ローさんの実家遠いですか?」 「車で三時間。」 「遠いですね…。」 「まあな。その前にサークルのやつらとツーリング行ったり祭りに行く。」 「お祭り!」 「乗り気はねえが誘われたから行くことになった。」 めんどくせえ、と呟きつつもお付き合いにはどうやら余念のない彼に思わずキュンとする。ペンギンたちにせがまれて仕方なく首を縦に振る彼を想像したら思わず笑みがこぼれた。おそらくこれからこんな感じでなんだかんだローさんと行動を共にすることになったのは私としては大変喜ばしいが、反面心臓が持つか怪しい。夏休みも始まるし、必然的に一緒にいれる時間も増えそうである。 「ツーリング、行くか?」 「えっ」 「お前のヤマハで。まあ俺のでもいいけどな。」 「い、行きたいです!でも、いいんですか、部外者なのに…」 「もともとインカレで社会人もいるから一人増えようが変わんねえ。」 「行きます!もう喜んでいきます!」 「元気だな。」 約束通りまさかのツーリングの約束も取り付けることができ、ピンチは着実にチャンスに変わっているようであるストーカーの目があろうと兎に角どんな理由にせよこの人とくっつけるなら好都合の種である。もう一つ交差点を曲がろうとした矢先、なぜかローさんはハンドルを切り替えて急にスピードを上げたので思わず後頭部が椅子にやや強めに当たり肩がはねた。 「あの、道ってこっちでしたっけ?」 「チッ……わりい、少し遠回りする。」 ローさんがバックミラーを見つつ舌打ちをしたので別の意味で肩が震えて、血の気が引いたような気がしたが恐る恐る後ろを向く。進行方向が同じ左側の白い車の後ろの黒光りの強いバン。ミラーのせいで内部は見えないが、確かにこちらを付けているようにも見える。それを理由にこちらが減速すればあちらのバンも不自然に減速し、急にスピードを出せばあちらもスピードを出した。あまりにあからさまでこちらが心配するほどである。 「随分舐めた野郎だな。」 「あの、大丈夫でしょうか…?」 「ああ。心配するな。」 なんとかする、彼の口から何度となく聞いた言葉を耳にしたかと思えば、彼はギリギリ赤信号になりそうになった交差点から急にアクセルを踏み込み、ぐわんとスピードを出した。かと思えばスピードを下げることなく俊敏にハンドルをきり続け、右に左にと道を進んでいき、細い裏道もお構いなく進んでいった。 「ひえええ!」 「ちゃんとつかまっとけ。」 私はもちろんシートベルトはしていたもののあまりのスピードに体を支えるのがやっとで、まるでジェットコースターである。冷静な声とは裏腹に荒い運転に私はまんまと翻弄されていた。 「あ、もう見えなくなりましたね…!」 「ああ。まあ正直これが撒けたとしても、家が割れてるからな。」 「あ……、確かに。」 「かといってつけられたままなのも癪でな。」 「はい。」 「少し遠回りしてから帰る。」 「……はい。」 そういえばとても重要なことを忘れていたが家が割れているんだよなあと今更ながら検めて認識した。視線は感じても今のところ実害はないので油断してあまり意識していなかった。ちらりと横を向けば、隈のくっきりと刻まれた鈍く光る眼光とばちりと視線が交わった。毎度のことだがこの人の視線が会うたびに思わず肩が震えてしまう。 「……怖かったか?」 「えっ。その、」 「急にスピード上げちまって。」 「いえ、ジェットコースターみたいで楽しかったですよ、」 「…………。」 「はは……。」 事故らなくて本当に良かったなと思いますがとは流石に言えまい。 「すまねえ。」 彼が小さくそう言ったかと思えば、頭上に何かぽんぽん、と柔らかな感触がした。そういえば今更なのだが、何度かこうして彼に頭を撫でつけられているが、これはやはりフラグと考えていいのだろうか…。 「…お前の頭、」 「?」 「いい形してんな。」 「はい?」 「あれだな。実家で飼ってる犬を思い出す。」 「なるほどペットフラグでしたか。」 どうやらそう簡単に恋愛フラグは立たないらしい。 ・ ・ ・ 「ありがとうございました。では、私はこれで。」 「ああ。何かあったら言えよ。」 「はい、すみません。」 別れ際に然りげ無くローさんは再び私の頭をなでるとふっと笑って自室へと向かっていった。すっかりペット扱いされている気もしなくはないが、イケメンから撫でられて悪い気もしないのでやめてとも言わずに甘んじて受けることにした。 「(さて、洗濯物でも取り込むか……。)」 荷物をソファに投げ込み身支度を整えると今朝干した衣類をたたもうとベランダに脚を踏み入れた。流石に14階ともなると下着ドロの心配もなく存分に選択ができて気持ちいいものである。アパート時代はあの辺は治安が微妙に悪く、下着は部屋干しせざるを得ず随分不便であったのだ。 「あれ…?」 上着の奥に隠すように干していたブラジャーに手をつけた刹那、何やら違和感を覚えて思わず手にとったまままじまじと見つめる。 「……うお!」 ぴろーんとブラのストラップ部分をつまんでみれば、違和感は確信へと変わった。ストラップ部分が、何やら鋭利な刃物で切られたような跡があるではないか。まさかと思い他の物を見れば、無事なものもあれば、やはり同じく人工的に付けられたとしか思えない刃物で切ったような跡があるではないか。ブラジャーは二枚、パンティーは一枚である。 「…………。」 まさか、という言葉さえ今は出ぬ程の衝撃である。 「てか、ここ、14階なんですけど…。」 まさか登ってきたのか!?思わずベランダの淵に駆け寄って下界を見た。めまいがするほどの高度に一瞬気が遠くなる。やはり熟練のロッククライマーでさえも尻込みするような状況である。ではどうやって、と思えば思うほど恐怖がこみ上げ背中の汗が止まらない。それよりも、まさかここに来て実害が起きるとはゆめにもおもわなかった自分に対する呆れさえこみ上げてくる始末であった。今日のあのカーチェイスはやはり前触れに過ぎなかったのかもしれない。 「(これ、ローさんに伝えるべき、だよなあ。)」 第十四話 桐の一葉 下着を見せるなんて、恥ずかしさで吐血しそうなんだが。 2015.10.18. |