石田と笑えない話 彼に名前を呼べれたのはあの夜が最初で最後であった。彼はまるで死神のような人間だった。彼は酷い猫背で、そのくせ長身で痩身だから余計に猫背が目立つ。一度注意したことがあるが死ねと言われて相手にしてくれなかった。それから彼は肌が白くてその瞳は宝石みたいにきれいだ。彼は私が求めればなんでも与えた。食べ物も、着るものも、暖かい寝床もくれた。彼は私に何かを与えるだけの力がある。私に持っていないものを持っている彼に少しのあこがれと嫉妬を抱いていた。けれども彼も私におんなじ位あこがれと嫉妬を抱いていたということを知るのは本当に最近になってからだ。 「なんだ、三成の心臓もちゃんと動いてるんだね。」 「貴様は馬鹿か。当たり前だ、私はまだ生きている。」 「三成はいつも生きてんるんだか死んでるんだかわからないんだもの。」 「フン、」 彼の胸に耳を当てればことことと小鳥のさえずりのように心音がする。そして初めて気がついたことなのだが、彼の胸は思っいていた以上にあたたかい。生きている。彼は珍しく私に反抗しない。今朝からおかしいなあとは思っていたのだが、それでも何事もなかったかのように今日一日を過ごした。湯浴みを終えて、部屋に戻って何となく時間を持て余していた。湯に使っている際に髪がやや濡れて毛先がしっとりとしている。布団の上で明日のことを考えておれば突然常時が開いた。彼だった。 「暖かいよ。」 そういえば彼はああ、と小さくそう言ってまた黙った。私の乾ききらないしっとりした毛先を指で絡めて、それから暫く弄んでいた。そうして私が付けた香油の匂いが気になるのか時折くんくん匂いを嗅いだりした。 「いい匂いでしょう。同じやつまたつけたいから買ってほしいな。」 「下女にでも頼んでおけ。」 「うん。」 私はそう言って今度は彼の項の匂いを嗅いだ。特に匂いはなかっいたけれど心地よい感じがした。そうしてしばらくすると思い出したように彼が口を開いた。 「明日遠出する。」 「そうなんだ。じゃあ帰りは遅いの?」 「わからん。もしやすると、」 そう言って彼は黙ってしまったのは、私が唇を塞いでしまったからだ。彼は少しだけ驚いたようだけど甘んじて受けたらしかった。 「ねえ、お願いがあるの。」 「なんだ。」 「私の名前読んでよ。」 そういえば存外その願いが平凡なのに驚いたのか彼は目を丸くさせた。いつも死人みたいな青白い顔をした顔が今だけ燭台の灯火に照らされて生き生きと感ぜられる。 「新しい香油もいらないし、可愛い髪飾りもいいから。」 「なまえ。」 「うん。」 返事を返せば彼は少しだけ笑って、それからもう寝ろと言った。 死人みたいな彼が本当に死んだということを知ったのはあの夜からすぐのことだった。戦に負けたからだという。城は忙しくなった。私も殺されるかもしれないと言われたけれどなんだかどうでもよくていつもどおり過ごしていた。それから、敵方の大将がやってきた。彼は別に私に危害を加えそうになかった。相変わらず優しそうで、温厚な青年であった。快活で、聡明で、三成とは相対していると思った。彼は私に一つの死体を見せてくれた。それは紛れもなく死神みたいだった三成の本当に死んだ姿だった。何となく手を握れば冷たくてかたかった。胸に耳を当てても音がしない。無理やりまぶたを開こうとしたらまぶたは容易に動かない。やっと見えたと思ったら瞳の金緑は濁って瞳孔は開いている。 「三成はお前のことを最後まで気にかけていたんだ。好きだったんだよ。わしにはわかる。」 間遠に男の声が耳に入ってきたかと思えば、気がつけば男はいなくなっていて、私と三成の死体だけになっていた。腐る前に来てくれたんだと思った。なんだか妙に悲しくなって、無理やり彼の手と自分の手をつなぎ合わせた。それでもやっぱり一向に暖かくならない。涙がポロポロこぼれた。 「死人みたいなのが本当に死人になるなんて、全然笑えないよ。心臓の音も聞こえないし、本当はもっと暖かいくせに。ねえ、もういっかいだけでいいから私の名前呼んでよ、呼んでよ、ねえ。」 2013.02.18. |