短編格納庫 | ナノ

石田なりの優しさを目撃する

黒こげになった塵芥が視界に映った。馬の蹄が地面に当たる音が脳裏に反響する。具足の音がそれに呼応するように鳴る。被っていた傘を目深にして、あまり視界に移さぬ様に手で押さえた。空気が湿っている。戦火に飲み込まれた村々を雨がしとしとと濡らしている。当たれば仄かに冷たさを感じる程度の春雨のような雨であった。視界の端に幽かに手綱を引いて歩く藤色が見える。暫く歩いておれば遠くの方から幽かに女の咽び泣くような声が聞こえた。その声はだんだんと大きくなってくる。ちらりと傘を上げて見遣ると、視界の先には押し重なった民家の中で黒こげになった塊に縋る様にして泣き崩れる女の姿があった。女は声の限りに泣いていた。私たちがすれ違っても見向きもしない。気が違ったようにただ只管泣いていた。死にたいと、叫んでいた。傍らの男はちらりと刹那見ただけで、すぐさま視線を前にした。通り過ぎて大分たった後、私は何となく口を開いた。

「先の戦火で夫を亡くしたのかもしれません。」
「………。」

男は口を開かなかった。ひたすら馬を引いて目的地まで歩く。私は何となしに後ろを振り向いた。先ほどの女はもう見えないほど遠ざかり、もう森に入って間もなかった。男は先を急いでいた。男の陣羽織には赤黒い染みが所々に染み付いていた。しかし男は怪我を負ってはいなかった。森は不気味なほどに静かであった。

「貴様は、あれを見てなんとする。」
「見るも哀れでしたわ。」

本心であった。しかし男は突然くつりくつりとのどを鳴らした。霞みがかった森の中で男の喉が震える音が反響する。

「くだらん。」
「まあ、なんてことを。」
「では問うが、貴様はあの咽び泣く女に何をしてやれる?よもや背を撫ぜ泣くなと声を掛けるとでも言うのか?あの女は見知らぬ貴様に心開くか?それで泣き止むというのか。あのような草に感けることなど詮無い。」

思わず私が口を紡げば、男は見たことかと言わんばかりに鼻を鳴らした。それから私は頭の中で考えた。確かにあの女の素性など知らなんだ、勿論あの女とて私を知らない。その上ただの憶測であの黒焦げの塊を夫と仮定しそうし、それを苦に泣いておるのだと勝手に思っていたのだ。しかし死にたいと叫ぶあの女のなんと哀れな子とか。心ある人間ならば、素性など知らないとて同情ぐらいはするもの。腹の内で私は男をひどく軽蔑した。きっと私がそう思っている間にもこの男はあの女のことなど微塵も考えずに戦のことばかり考えているに違いない。私の方が余程心を持った人間であると自負した。しかしながらこの乱世にはたしかに仕様のないこと。あれをいくら助けようが何もならない。私の思考は馬の歩みと共にあの女から離れていった。そのようなことに感ける等、徒労の極みであった。はてさて城まではあとどのくらいであろうとぼんやり考えておれば、突然それまで動いていたはずの節奏が止まった。男が突然その滞りなかった歩みを止めたのだ。合わせるように馬も少しばかり鼻を鳴らしてゆるりと止まった。

「いかが為さいましたか。」

静穏が支配する森の中で男はまた黙った。

「……貴様はしばらくここで待っていろ。すぐに戻る。」

そう言って私の乗った馬の手綱を近くの木に括るとそのまま来た道を急いで戻っていった。何事かと思ったが、声を掛ける暇もなく男は道を駆け抜けてゆく。溜息を吐いて視線を下げれば小さな地蔵の頭が見えた。山賊などはまさか出まいかと思いながら過ごしておれば、半刻もないうちにまた男が戻ってきた。

「一体、何があったというのです。」
「………。」

男は私に視線を合わせて、俯いたまま一言も発せずにまた手綱を引くと歩き出した。私はそれよりも、男の頬にかかった一筋の未だ真新しい赤黒い筋にくぎ付けとなった。そうして私が何が起きたかもわからず怯えておれば、男は小さく口を開いた。

「先の女を斬滅したまでのこと。」
「………。」
「貴様にも見せるべきだったか?刀を抜けばあの女は手を合わせて礼を述べた。夫の下に行かせてくださいますかと。有難いと。……全くとんだ茶番だ。」

男の声が幽かに震えているように感ぜられた。私はそれ以上何も言うことが出来なかった。

2012.07.15.


本来なら石田はほっとくと思います(^q^)

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