短編格納庫 | ナノ

愚直故に大胆になれる石田

「何をしている、」
「自慰。」
「………。」


頭が痛くなった。女は此方を振り向くことなくひたすら白いキャンバスの上に油絵の具をペタペタのせていた。これといって自慰をする様子もない。況してやそんな類いことをする場所でも、雰囲気さえもなかった。女は悪びれた様子も見せず、弁解さえもしなかった。ただ無言のまま、ひたすら手に握っている筆をキャンバスに滑らせていた。片手には木製のパレットを持ち、まるで有名な画家気取りで描いていた。部屋は油絵の具特有のつんとした何とも言えない香りと、女の愛用する香水の匂いとで充満していた。窓は少しばかり空いていて、涼しさを帯びた風が入り込む度に女の前髪を揺らした。ふわりと、女の髪が靡く度に、何故だか腹の辺りが擽られるような感覚に陥った。教室の片隅には有名な彫刻のレプリカや、石膏の西洋人の胴体やら下半身やらが並べられていた。所々汚れたそれは、今にも此方に視線をカッと向けそうで不気味である。壁には沢山のペンキやらが付着しており、中には男性器やら女性器などの落書きとも書かれていた。下らない。それを横目で見ながら、沢山立ち並ぶイーゼルを掻き分けるように進んだ。やっとのことで女の背後に辿り着いた。誰もいない教室はまるで時間が其処だけ切り取られてしまったかのようだ。女の背後越しに、キャンバスに描かれた絵を注視した。キャンバスにはある一人の男の裸体が描かれていた。年齢は自分と同じくらいだろうか、肉付きはあまりよくなく、肌は色白である。西洋人か東洋人か、顔立ちははっきりせず、不細工ではない。目鼻立ちは程好く、端正な顔立ちであった。泣いているのか、笑っているのか、よく解らない、何とも言い難い表情をしていた。色は薄暗い色ばかりが使われていて不思議な印象を受けた。そよそよとそよぐ風に揺られて女の髪が頬に触れた。こしょばゆいそれに意識を半分取られながらも、やはり視線は女の描く絵を見ていた。決して上手い訳ではないが、この女の描く絵には何か不思議な物を感じてならなかった。絵心も無ければ絵を見る目なども無いが、それだけは素人の自分でさえも明瞭に感ずることが出来た。


「……どういう意味だ。」
「ああ、自慰のこと。」


女は小さく笑みを漏らすと、やっと此方を見たが、それはほんの刹那的なことで直ぐ様視線をキャンバスに戻した。細い手首には油絵の具か、幾つかの青やら紫色の飛沫がついていた。


「私にとってはこれは自慰行為とおんなじなの。」
「………。」
「自慰みたいに身体的な快楽を貪るのと、絵を描くことは私にとって全く同じなの。絵を描いてる時は凄い興奮するし、貪欲になる。それでいて酷くキモチいい。」
「………そうか。」
「うん。」


女はそれから暫く話さなかった。言ってからの女の筆つきが卑しく思えてならなかった。窓からは外で部活動をする野球部の千切れるような声が聞こえた。


「あのね、」
「何だ。」
「この絵の男、三成だよ。」


突然の告白に、目を見開いた。女は一段落したのか、両腕をめい一杯伸ばすと小さく欠伸をした。そして此方に身体ごと向けた。


「顔はいつも見てるから書けるけど、裸体は空想して描いたの。」
「なっ………!」
「気持ち悪い女だな、って思った?」
「……何故そう思う。」
「じゃあ逆に聞くけど、他人に自分の裸体を想像されて気分いい?」


女は悪戯をした幼子のような意地の悪い笑みを浮かべていた。私は反対に眉間に皺を寄せた。確かに驚き、ぎょっともしたが、不思議なことに驚きや不快感よりも先に「ああ、そうか。」という随分沈毅な感情が湧いた。そしてやっと自分の中で渦巻いていた、この得体の知れない感情の正体に気が付いた。そして気が付くや否や、己の手はネクタイをゆっくりと緩めた。驚いたような表情をした女を余所に、今度は此方が口角を上げて女に笑みを見せた。


「空想だと?そんなもの所詮貴様浅ましい妄想過ぎない。」
「……まあ、そうね。」


少々動揺している女に近付き女の襟元を強引に掴んで引き寄せた。むちゅり。柔らかく暖かなそれは瞬く間に自分の唇に温度を伝えてゆく。ゆっくりと離せば、名残惜しそうに女の温度が唇に残っていた。


「手伝ってやる。」


そう言えば女は可笑しそうに笑った。そして焦れったいような手つきで私のネクタイをゆっくり、ゆっくりと油絵の具のべっとりと着いた手で解いた。頬に当たる髪の毛が相変わらずこしょばゆい。



2011.11.20.

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