頼りになる大人?
「お、起きたか」
ガチャリと扉を開けて入ってきた深紅の髪の男を見て、思い出した。初対面のシャンクスに助けられた直後、どうしてか彼の腕の中で寝てしまったのだ。
「すみません!初対面の方の前で寝てしまうなど……!」
上半身を持ち上げ、足をベッドの外に出そうとする。しかしシャンクスはそれを制止し、勉強机の前に置いてあった椅子を持ち上げた。ベッドの近くに向き合うように置くと、腰かけて名前に輝かしい笑顔を向けた。
「初対面ってわけでもないし、そう固くしなくていいぞ!」
八十島の家で会ってるから初対面ではないという理屈なのだろうか。名前はそうは思えなかったが、否定するのもよくないと思い、あいまいに返事をしておいた。
「先ほどは助けていただきありがとうございます」
座ったまま、深々と頭を下げた。八十島の家で結婚させられそうになったところを助けてくれたことは、経験則がなくともきっと自身の人生の大きな転換点になったことだと、名前は理解していた。シャンクスは人生の恩人、とも。
「助けられてない。苗字さんを助けることができなかった」
しかし彼は渋い顔で首を振る。両親の病死を相当悲しんでくれていることは娘として嬉しいところもあるが、初対面の人をどう慰めればいいのか分からなかった。とりあえず当たり障りのないことを言うにとどめる。
「両親は急性の病気になって亡くなったので、シャンクス様でも助けることはできませんでした」
だから気にしないでください、と困った顔で笑いかけようとした。
「病気じゃない。毒殺だ」
だが、思いがけないシャンクスの言葉に、え、と言葉を詰まらせる。苦虫をかみつぶした表情で、苦し気に顛末が語られる。
とあるパーティーで両親を狙って、料理に数日後に致死効果が出る毒を盛られ、それを口にしたから両親は亡くなったというのだ。
二人そろって病に倒れたなど、よく考えれば不自然だ。しかしラグーンの今後の話が直ぐに舞い込み、深く考えていられなかった。
許せない。犯人への怒りで身体はこわばり震える。その様子を見て、シャンクスはさらに眉間に皺を寄せた。
「関係した人間は全員始末した。俺ら赤髪組の今回の失態における処罰は名前に任せる」
失態、ということは目の前の彼が本当は両親を救えたということだろうか。憤りのまま詰ろうと思ったが、“赤髪組”という単語がなぜか引っかかった。聞き覚えはないが、どこかで聞いたような言葉。レッドフォースホールディングス所属であることは知っているが、それの別称でもないことは分かる。
正体不明の組織を罰しろといわれても困るのだ。
「あの、赤髪組ってどういう団体なんですか?」
「普通の交渉よりも強い力で相手に要求をのませて、ラグーンの用心棒しているのが主な仕事だな」
具体的なことはラグーンの警備、ということは分かるが、強い力というのは権力的なものだと理解してしまった名前には、本当の意味は理解できなかった。これが映画での話なら彼女も察することができただろうが、現実でいきなりそういう人だと思い至るには、裏世界での経験がなさ過ぎた。
「ラグーンの警護が仕事なら、やっぱり私たち家族の家で起こったことは関係ないじゃないですか」
「対象外といえば対象外だが、俺の恩人だ。護るのは当然だ」
「契約対象外のことを罰するなんてできません。それに、ラグーンがどうなるかもまだ決めていないのに」
名前は両親がいなくなったことを嘆き悲しむよりも先に、ラグーンのことを決めなければならなかった。両親の作ったカジノだから、という思いもあるが、それ以上にラグーンがこの国の経済を支える柱になっている以上、廃業することは許されなかった。
「それはどうするつもりなんだ?苗字さんの意向は聴いていなかったから、次期経営者は未定だ。そしてそれを決められるのは名前だけ」
改めて自分の役割の重大性を示されて気が重くなる。つきたくもない溜息がこぼれた。
「貴方も、ラグーンの利権が欲しいんですか?」
「ん?くれるのか?」
あまりにあっけらかんとした答えに虚を突かれた。まるで欲しいと思っていない純粋な人に質問をしたかのような、軽い受け答え。
「渡す相手は考えた方がいいぞ。悪ーい大人は都合の良い言葉しか言わないからな、名前は騙されやすそうだから気をつけろよ!」
はっはっは、と快活に笑うシャンクスの様子に、名前の気が少し緩んだ。陽気な気持ちを伝播する彼をみていると、久しぶりに口角が上がっていた。
しかしその休息時間も、ごく少ない時間にしかならない。名前が再び口角を落としたのを見て、シャンクスも真面目に話を聞く体勢に戻った。
「いつまでに決めないといけませんか?」
「1週間以内には。政府が介入してくると厄介だ」
「そう、ですか……」
視線をシャンクスから外し、目を伏せた。両親の葬儀が終わったらすぐに期限だ。なのに、まだ候補すら思い浮かばない。いっそ誰でもいいと投げた方が最善なのだろうか、とも思う。煮詰まった思考に、先ほどよりは軽い声でアドバイスが投げかけられた。
「俺としては、ラグーンの健全運営と、少なくても名前が成人するまでは生活を支援する気のある奴がおススメだな」
自分のアピールではない、初めてもらった基準軸にハッとする。
先ほどもこの人は、自分がラグーンの経営者になるつもりのないように見える。ということは中立な相談役となってくれるのではないか、と淡い期待が浮かんでくる。
ただ、自分に関しての項目は蛇足だろう。前経営者の子供を養う次代の経営者なんているわけない。
「そんな人いるとは思えません」
「ここにいる」
その力強く短い言葉が、本来ならば救いの光になるはずなのに、今の名前には絶望を突き付ける。
結局、自分の良いところを言っただけで、この人も経営者になりたいだけみたい。彼女にはそう感じられてしまったのだ。
「名前、もし誰もいないなら。少しでも信用できると思ったなら、俺に任せてくれないか」
真剣に見つめる瞳はもう、彼女を頷かせたいだけにしか思えなくなる。
「すいません、考えさせてください」
結局大人は頼りにならないんだ。どの大人がましなのかだって、子供がわかるわけがない。
騙されそうになった彼の瞳から逃げたくて、布団を被った。