さようなら、夢見がちさん

激動の一日

常闇の世界で煌くのは、ネオンと金。ひと時のスリル、一攫千金、様々な思いを抱く人が光に群がる様子はまるで、楽園を目指す亡者。
だけどその光が消えてしまったら、亡者はどうなるのだろうか?楽園の住人は引きずり下ろされ、亡者の餌食になってしまうのだろうか?



名前は憔悴した様子でソファに小さくなって座っていた。
両親が突然亡くなったその日から、今後の経営はぜひ私に、と役員たちはもちろん、外部企業からも言いつのられていて、限界だった。
会社のことなど、ろくに関わったことのない高校生には分からない。それでも迫られる選択。
経営一族の娘として、両親が突然亡くなった悲しみに浸ることはできなかった。

「名前ちゃん、大変だったね」
名前の前に座っていた男性、八十島。八十島は名前に労わりの言葉をかけ、眉を下げながら微笑んだ。
彼は名前の両親と付き合いがあり、名前も小学生の頃から優しくしてもらっていた。信頼しており、社長でもある八十島にカジノ経営の今後についてアドバイスを貰おうと、名前は八十島の家を訪ねていた。

「いえ、八十島さんに会えて今は安心しています」
名前は笑みを浮かべ、ゆるく首を振る。
安心して相談できるのは、もう彼しかいない。両親と一緒に会っていた雰囲気そのままで会えたことに、底知れない喜びを感じていた。
彼もまた、いつも通りの優しい笑顔で応える。

「それは嬉しいね!それで、今後のご両親のカジノのことだけど、どうしたいと考えている?」
「まだ何も、考えていなくて」

名前は目を伏せて膝の上にのせた両手を見つめる。それを言うと大人たちは呆れていた。こんな世界にいて何も考えてなかったのか、と言われたこともあった。
でも大丈夫、八十島さんならどうしていいか教えてくれる、と心の中で繰り返していたが、どうしても失望される可能性も否定できなかった。怖くて顔が上げられない。

八十島はその様子を見て、ニコリと笑った。

「名前ちゃんは経営に関して、何も知らないのかい?」
「そうですね、無学なもので……」
「それじゃあ、自分で経営するというのは辞めた方がいいだろうね。カジノ経営は危険もあるんだ。ご両親が君に裏世界と関わらせなかったのは、名前ちゃんを心配してのことだからね」

その言葉にハッ、と目を見開いた。
何も分からないのは親から守られてきたから知る必要がなかった、という当たり前の事実に、今更気付かされた。
優しい家族がいた、あの数日前に戻りたい。

両親と一緒に過ごしていた時を、八十島といると思い出してしまう。暖かくも苦しい思い出に、瞳が潤んできた。



「そういうことは私に任せて、君は……愛人にでもしてやろうか」
「え……?」

名前が顔を思わず上げると、八十島は笑っていた。
薄暗い、欲を孕んだ瞳。いつも暖かく笑っていた優しいあの人からは考えられない表情だった。
瞳に溜まっていた涙が、頬を流れ落ちた。

「タダで与えて貰おうなど思っていたのか!経営代行する見返りを出す、当たり前だろう!」

呆然とただ見つめているだけの名前にしびれを切らし、八十島は声を荒げた。
怖い。こんな八十島さん知らない。突然の変貌に動揺しながらも、震える手をぎゅっと握りしめて声を振り絞る。

「あ、愛人って、その……き、キスとか、するんですか……?」
「なにも知らんのか。まあいい、そう思っておけば良い」

八十島は侮蔑した視線で名前を見下した。
裏世界で渡り合うこともできそうにない度胸、世間知らず、ただのカモの小娘だ。少し脅せば折れる。実際、強く言っただけでこんなに怯えて。
目の前の少女の青ざめた表情は、成果を如実に表していた。陥落も僅かだと確信し、ほくそ笑んだ。

「でも私、八十島さんのこと好きじゃないから、キスは、ちょっと……」
だが、名前の回答は、拒絶だった。

名前のくちびるは、好きな人にだけにキスしてもらうのよ。キスは名前に魔法をかけてしまうの。変な魔法にかかったら大変でしょう?

名前の頭の中では、幼い頃から母親に言われたことがぐるぐる巡っていた。魔法がどういうものかは未だに分からないけど、少なくとも、今の八十島さんは変な魔法をかけてきそう。
本能的に危機を感じ、ドアを横目で見やる。幸い、名前の方が出口には近かった。

思い通りに進まなかった八十島はフン、と鼻で笑い、腕を組み直す。
「では、従業員や利害関係者のことは知らぬ、と?損害を被るのは自分以外ならいいと?」
「なぜそのようなお話に!」
「同じことだからだ!裏のことどころか何も知らぬ子どもが!」

大声で怒鳴りつけられ、全身が硬直する。
怖い、怖いよ、お父さん。お母さん。心の中で叫んでもどうにもならないけど、一人で乗り切るのは耐えきれなかった。

この場を切り抜けるには、この条件を飲む以外ないんだ。

追い詰められた状態では、冷静な判断など出来なかった。

「……私が、愛人になれば、解決するのですか?」
「そうだよ、名前。よく分かったじゃないか」

気持ち悪い。親や友達に呼び捨てにされるのとは違う、全身に張り付いてくるような感覚。
褒めてくれた声色は昔通りなのに、何もかも違って聞こえる。
ガタガタ震える手を抑え、目を閉じる。これしかない、しょうがない。自分に何度も心の中で言い聞かせる。

「さあ、こちらにサインを。今なら優しく扱ってやろう、愛人としてな!」

紙とペンをテーブルで滑らし、名前の目の前に置かれた。紙の内容は、カジノ・ラグーンの権利を八十島に全て譲渡する契約書と、名前名義の愛人生活誓約書。

名前が小刻みに震える手をペンに伸ばす。

八十島は勝利を確信し、嗤った。



「名前、帰るぞ」



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -