食堂のおばちゃんには断りを入れて、昼まで寝ていた。
「お前だけ元気いっぱいなの、ずるいだろう」 「お前じゃなくて、エリコね」
疲れた様子の三郎に足蹴りをいれる。避けられた。
「私は昨夜も登ってたんだぞ……」 「1度降りてきたってことは、寝たんでしょ?風呂の取り合いしたじゃん、昼」 「お前が昨夜入っておかなかったのが悪い」 「勘ちゃんとトランプしてたら入りそびれちゃって」 「なんなのお前ら仕事しないの?」
私は里の塔に足を踏み入れるのは初めてだった。 三郎の持つ魔法照明を頼りに、石造りの螺旋階段をゆっくりと登る。
今夜は明るい月がでていた。紅い月だ。
「あ、ねぇ、三郎?」 「なんだ」
ぞんざいな返事に、背中を軽く小突く。 いてて、折れた、なんて脇腹を押さえるけど、私が小突いたのは背中だ。
「聞きたいことがあるんだけど」 「いつものことだろう」
カチンとくる言い方だった。こいつ、私が無知だと思って!
さっきより強めに背中を殴る。今度はまともに入ったらしく、三郎は階段から足を踏み外した。素晴らしいリカバリ。背後には私がいるので、転がり落ちてきても困るのだけど。
「今までのことなんだけどさ」 「普通喋り続けるかお前!?謝罪とか」 「勘ちゃんと3人で脱出したあと、大丈夫だったの?」
三郎は一瞬黙り込んだ。
「オロゴスタの城か」
かつ、かつ、と階段を登る足音が二人分響く。暗い塔の螺旋階段は少しどころではなく、不気味だ。
「すごい、手練みたいだったけど」 「あぁ。噂には聞いていたが、やはり強かった」 「知ってるの?」
異様な風体の、隻眼の大男を思い浮かべる。あの雰囲気は忘れようったって忘れられない。
何故か三郎が立ち止まった。その背中に鼻をぶつけそうになって、既のところで止まる。
「ちょっと!なに!」 「お前、知らないのか!?」
三郎はぐるんと振り返った。 だから、なに!
「あれが、あの男が、雑渡昆奈門だぞ!」
「マジか……」
長い螺旋階段の上、扉を開けて全身に月の光を浴びながら呆然と呟く。マジか……。私そういえば、雑渡昆奈門に会ったことなかったわ。
塔のてっぺんは意外に広さがあった。円形の、ちょっとした広場みたい。 中央に大きな水盆が置いてある。……と思ったら、水盆ではなかった。中身は水ではなく、不思議な光で満ちている。 1組の星読らしき男女が、その盆の中を覗き込んでいた。男が中の小石を動かす。女が手元の紙に何かを記録した。
「……あのふたり、星読?」 「星読。今この里に月読は2人しかいない」 「三郎と?」
まぁ答えはわかっていた。
「学園長先生だ」
だよね。展開は読めてる。
赤い月の光と満天の星空を見上げる。少し、高い位置に来るだけで、なんだか空が近くなった気がするから不思議だ。
「ねぇー、三郎」 「あのな、私は仕事が溜まってるんだぞ」
三郎は冷たく言い放って、中央のオブジェの向こう、石でできた譜面立てのようなものに向かってしまった。本物の月読の仕事、見られるのか。なかなか稀有な体験だ。
三郎が構ってくれないので、仕方なくふたりの星読に声をかける。これ多分、その場にいるモブ全員に話しかけてからじゃないとストーリー進まないやつだ。ふたりだけで良かった。
「こんばんは」 「こんばんは」
挨拶したら、ごく普通に返ってきた……。
「三郎さんのお客さんですよね?」 「はい。エリコといいます。今なにをしているんですか?」 「光盆と空を照らし合わせています」
こうぼん。光の盆か。 男の方がまた、中の小石を移動させる。 近くでよく見ると、光盆の底には細かく不思議な模様が描かれていた。そこに大小様々な小石がいくつも配置されている。小石は色も何種類かあるようだ。
「……神秘的ですね」 「まぁ、神秘ですからね」
思わず正直な感想をもらすと、女の星読が楽しそうに言う。そうか。神秘なのか。
「おふたりは何歳くらいから星読を目指しているんですか?」 「生まれた時からですよ」
当たり前のような返答に、目を瞬いてしまう。
「そうなんですか?決められてるんですか?」 「あぁ、いえ。決まってるわけではないんですけどね。里で生まれた子供は皆星読、さらには月読を目指します。途中で諦めた子が、他の仕事をするんです」
男の星読の答えに、首をかしげてしまう。 ん?月読って、星読よりさらに上位の職なのか……? 私の疑問を感じ取ったのか、また女の星読が笑った。
「星読になるには大量の学びと、強い精神力と決意を必要とします。月読を目指すのは、さらに一級品の勘を持った稀有な星読だけなんです」 「三郎さんはすごい人なんですよ、あの若さで月読ですから」
えっ。
三郎って、すごい人なの。
ぐりんと振り返ってしまう。細い背中はなにも言わなかった。腕を組んで真剣に夜空を見上げている。
「三郎も……生まれた時から、めちゃくちゃ努力してるってことです、か」 「いや……」
ふたりの星読が苦笑する。
「彼はこの里の生まれではないですから」
ひそめられた言葉に、えっ!?と大声をだしそうになった。必死にこらえる。 初耳だ……。いや、そもそも三郎のこと、そんなによく知らないけれども。
「彼は物言わぬ存在から歴史を読み取ることにとても長けているんです」 「あれは才能ですね、とても自分には真似できません」
勘がいいのか。それが、才能なのか。
黙り込んだ私に、もう満足したと判断したのかふたりが星読の作業に戻る。 やはり三郎の背中はなにも言わなかった。
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