息を殺して、横の男の指先を信じる。 短い呼吸音ののち、鋭く飛来していく矢が、音もなく兵を殺していた。
「三郎、まさか殺し屋?」 「失礼な女だな!はやく脱げ」 「やだ、こんなところで……」 「殺すぞ」
軽口を叩き合いながら、上品なコートを脱ぎ捨てる。 脱出時に必要になる可能性も考えて、木の上に素早く括りつけた。まぁ、取りに戻ってこれないと思うけどね。
「急げ、見張りの交代時間がきたらまずい」 「言われなくとも」
三郎が荷物から取り出したのは、縄。の、先に、鉤がついている。
私が黙って見ていると、三郎は縄の部分を持ち、先を投げた。鉤が綺麗に上階の窓枠に引っかかる。
……まさか、こいつ。
「行くぞ、歯ァ食いしばれ」
この状況でターザンする気だ!?
文句をいう暇もなく、首裏あたりをむんずと掴まれる。 ここでとっさに奥歯を噛み締めた自分の、判断能力を褒めたい。私、すごい。 あと、三郎の胸のあたりにしっかりしがみついた自分の握力も褒めたい。私、すごい。
これでもサルートのスラムで、自分の店を持っていた私だ。根性だけは、そこらの女に負けるつもりはない。 そのギリギリの自負で、あがりかけた声を飲み込む。か、かぜが、いたい!
本能からしがみつこうとする動きをなんとか殺し、三郎の足を自由にする。見事に目的の窓の上の壁に足をついた三郎は、あろうことか、私を窓から投げ込んだ。
「……」
三郎が射った矢が刺さったままの兵の横に転がり込んで、グッと悲鳴を飲み込む。 お前、下手したら死体の上だぞ。そこに女投げ込むか、普通。 いやこれ、状況がすでに普通じゃないけどさ。
「よし、うまくいったな」 「……あんたはね」
すちゃりと格好よく決めた三郎が、微笑んで髪をかきあげる。すでに雷蔵の顔だ。は、腹が立つぞ!なんだこいつ!
「さて、第二王子にご挨拶といくか」
雷蔵なら絶対にこんな表情はしないだろう。複雑な気分だ。
そこから廊下を走り、壁に身をつけ、見回りの兵や業務中のメイドをやり過ごし(たまに三郎が殺したり私がアイテムで気絶させたりし)、1時間は経ったろうか。
今まで来た道を警戒しつつ、背後の三郎が廊下を覗くのを待つ。 くい、と服の背中をひかれたので合図ととり、振り返って進もうとした矢先、三郎にド突かれた。
「っは!?」 「黙れ」
……なんでこの男、いちいち命令口調なの?慣れても、腹が立つよ。
言われた通り黙って身を隠すと、今まで見た兵より上等な装備の兵士が2人、通り過ぎるところだった。おぉ……あんなのに見つかったら大変だね……なんで三郎は合図してきたんだよ。
「ところで、殿下にはご報告したのか」
兵士の声だろうか。くぐもった声が廊下に響く。
「しましたよ」 「よし。……まったく、殿下の偽物が璧内に入り込んだだと?門兵は何をやっとるんだ」
殿下?第二王子のことかな。 何はともあれ、もしかして、ありがたい事態かもしれない。 私と三郎が入り込んだことより、第二王子を騙る偽物の方が大事だろう。多分。
その2人の兵の声が充分に遠くなった頃、三郎は駆け出した。音もしない。忍者かよ。 それに続いて私も走る。あぁ、彼らが無事でありますように。
「……これ……!」 「武器か?」 「持っていくよ」
荷物になるからやめろ、とは言われなかった。 私がよほど、文句を言わせない顔をしていたのだと思う。
琵琶を背にしょって、雷蔵と勘ちゃんのアイテムポーチを左腕に抱える。よし、万力鎖とやらは勘ちゃん自分で持ってるな。 最後に残った剣は、三郎が取り上げた。
「右手は自由にしておけ」 「う、ん」
三郎が薄く笑って、勘ちゃんの剣を自分の腰に佩く。 ……なんだか、すごく、自然。弓の腕前はかなりのものだともうわかったけれど、剣も扱えるのかしら。
三郎。底の見えない男だ。
当たりをつけた部屋には、2人の武器がまとめておいてあるだけだった。 焦りがつのる。2人は1体どこにいるのか。
三郎が部屋の壁をとんとんと叩き始める。……なるほどねぇ。 私も真似て反対側の壁を拳で叩き始めれば、ほら。
「三郎!ここ、音が違う」 「お、お手柄だな」
すぐに三郎を呼んで、壁を2人で確かめる。ちょっと押したくらいじゃ何も変化はない、と。
壁の右側を押すと少し沈む。三郎と目を合わせた。 荷物を落とさないように握りしめて、息を合わせ、三郎と2人、同時に体重をかける。
面白いくらいに、世界が回転した。
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