「はいこれ、雷蔵の分」 「ありがとう」
タイミングを見計らってテーブルに置けば、雷蔵はおっとりと笑ってくれた。
「いい香りだね。なぁに、これ」 「さぁ、よくわかんない」
擬似ココアってところかな。ココア、本物は飲んだことないけど。
1口含んで、雷蔵の向かいのソファに身を沈める。うんうん、甘くて美味しい。
「今夜は赤い月だ」
カーテンの隙間から差し込む光が気になって、私はポツリと呟いた。 雷蔵もマグカップを手に、窓を見やる。
「せっかくだから」
雷蔵の指先が卓上照明の魔法道具を弾き、部屋が暗くなる。すぐに、カーテンの開く音がシャッと響いた。
「随分明るいね」 「今日は月の暦の、……えーと、何日だったかな」 「出た大雑把!吟遊詩人なのに!」 「そういうのは月読や星読の仕事だろ」
そうは言っても、今どきそんなものを生業にしている人間に会ったことがない。
「ここのところ、ずっと赤い月ね」
雷蔵は首を傾げた。
「青い月と赤い月は、同時には出現しないからね」 「そりゃ、そうでしょ。ひとつの天体が赤くなったり青くなったりしてるんだから」
赤い月と青い月、もう見慣れたものだ。サルートのスラムからは、半分も見えないけれど。
それでも生まれたときから、夜には眺めてきた月たち。
「それは一般論だね。違う月って説もある」 「それは……おとぎ話でしょ?」 「伝説だよ」
赤い月明かりのみの薄暗がりの中、雷蔵は微笑んだようだった。
「美味しい飲み物のお礼に、話してあげようかな」 「……創世神話?聞き飽きてる」 「吟遊詩人が語るんだ。無料で聞けるなんて、きり丸が聞いたら泣くよ」
それは、聞いていたら寝ちゃうって意味かしら。 私はマグカップを両手で握って、挑戦的に顎を上げた。
「じゃあ特別に、聞いてあげる」
やはり、知っている話だった。 この世界の創世神話だ。誰もが1度は聞いたことのあるおとぎ話。 やってきた青い月、星の危機、立ち上がる星の姫、姫を守るための5人の言霊使い。
知っている話、聞き飽きた話だ。それでも雷蔵の声は不思議な力を持っていた。 うっとりと、昔話を語る歌に沈み込む。
まるで、自分が星の姫になったかのような気分だ。 そう、話の続きも知っている。旅の終わり、青い月からこの星を守るために、姫はこの星そのものを魔石として祈りを捧げ、大いなる太陽を割った。 割れたひとつが赤い月となり、青い月からこの星を守り続けることとなった。
そして、姫は。
「……ん、……あ、さ?」 「はい、朝です」
細く鋭い、赤い光が差し込んでいたはずの室内は、柔らかい朝日に満たされていた。 ソファに沈む私の目の前に、微妙な顔立ちの滝夜叉丸くん。
「まったく、早朝鍛錬のために早く起き出してみれば……」 「なんか、ごめん。おはよう」 「おはようございます」
滝夜叉丸くんは大げさなため息をつくと、テーブルの上にあった二つのマグカップをキッチンへ片付けた。
「あ、それ、勝手にごめん。出る時に金吾君たちにお支払いはするつもりで」 「構いませんよ。土井先生が払っているでしょう」
マジ?どんだけ太っ腹なんだろう、あの人。きり丸くんは銭に厳しいのに。
「まだ皆寝てる?」
そこで滝夜叉丸くんは、私を振り返った。不思議な目で、こっちを見てくる。
「あなたは、……いえ、皆さん寝ています」 「うん……?」
何を言いかけたんだろう。
「雷蔵、起こしてくれればいいのに」 「……寝かせといてやってくれ、だそうですよ」 「え、会ったの?会話したの?」
なんだなんだ。寝てるんじゃなかったのか。
「こんなところで寝るなんて、七松先輩に見つかったら危ないですよ」 「えええ……寝てる間に命の危機?」 「そういう意味ではありません」
見つけたのが私で良かった、不破さんは危機感がなさすぎる、なんてブツクサ言う滝夜叉丸くん。意味がわからない。なんだなんだ。
「喉乾いたなぁ」 「水でよければすぐにでますが」 「あ、スラムでの生活長かったし贅沢は言いません。お水ください」
滝夜叉丸くんにお水をだしてもらって、すっきり。寝起きに1杯の水、気持ちいい。
「私はこれから鍛錬にでますが、どうします?部屋で寝るなら必ず鍵をかけてほしいんですが」 「いや、スッキリしちゃったからこのまま起きてるよ」 「そうですか」
滝夜叉丸くんはそれきり、未練もなにもなくさっさと部屋を出ていく。 あっさりした子だなぁ……常識人だし……これが七松さんの舎弟だなんて、信じ難い話だ。
そうこうしているうちに金吾くん達が起き出してきたので、お店のお手伝い。 雷蔵が持っていてくれたおかげで無事だった荷物から、売れそうなモンスターの毛皮なんかを彼らは喜んで買い取ってくれた。ありがたい、これがないと路銀に困るところだ。 宿泊費もあるし、かなりまけて売っておいた。お互いにありがとうありがとうと言い合っていて、いい関係だ。
そんな中で旅の仲間もボチボチ起きてきて、朝食を摂ったところで。
「さて、出発かな」
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