企画 | ナノ


▼ このえ様




「アリババくん、先日渡しておいた資料の確認はしましたか?」

「はい」

「では来て下さい、作法がきちんと出来るか見せてもらいます」

「は、はい!」


通っていた大学を卒業し、大手貿易会社に就職して1週間。正社員とは程遠い研修員として、アリババは日々奔走していた。


「本当に確認したんですか?手順が逆ですよ」

「す…すみません」


他社との商談時におけるお茶出し、出迎え時の礼儀作法、言葉遣い等を覚えること。この会社での最低限の作法をたたき込まれて1週間になる(庶務をこなしながら)

空いている小会議室にて、これまで覚えたことの試験的なことを実施。しかし、彼―ジャーファル―は首を横に振った。


「お昼休みにきちんと覚えておいて下さい、午後からもう1回やり直しです」

「はい」


アリババの教育係として担当を請け負っているのは、この会社の社長秘書のジャーファル。
若くして会社を立ち上げ、業界トップに登り詰めたシンドバッドの右腕である。


時計の針が12時を差し、小会議室を出るジャーファルに続くアリババの表情は曇った。

どうしても上手くいかなくて…。


「よーアリババ!屋上行って飯にするぞ!」

「わ!あ、ちょっ!」


与えられたデスクに戻ったところで、肩を組み絡んできたのは2つ上の先輩シャルルカン。

アリババが通っていた大学の先輩であり、同じ剣道部に所属していた。その為こうして、空いた時間に話しかけてくることが多い。


「んな顔してっと、気持ちばっか暗くなっていいことねーぞ」

「あ、頭が…!」


アリババの頭を抱え、豪快に撫でつつさり気ないフォロー。昔から、こうだったな…と思いアリババは小さく笑った。


「へへ、ありがとうございます」

「おー」


行くぞ!と最後にバシッと背中を叩いて先を行くシャルルカンに、アリババも続いた。



暖かい日差しの下、アリババ本人が作ったお弁当を広げれば、ピスティに感心され。食べながらも話は学生時代の恥ずかしい思い出になり、それをシャルルカンに茶化される。
顔を真っ赤にして反抗したところで意味はなく。

この際無視だ、と食べ終わり先ほど指摘された箇所の覚え直しに入るアリババ。そんな彼を見て、ピスティがポツリと言った。


¨アリババくんのこと、
 すごく期待してるよね!¨

その言葉に、資料を見ていたアリババはポカンとする。期待?いや、あれは単に出来が悪くて…。


「あー…そうだな」


それに頷くシャルルカンに、首を傾げる。今まで会話にそう入らず、口数少ないマスルールも気持ち小さく頷いていた。


「それにジャーファルさん、アリババくんのこと気に入ってるみたいだし」

「ええ!?い、一体どの辺が…?俺むしろ嫌われてると…」

「………」

「………」

「………」


思わず本音を言えば、顔を見合わせる3人。それから、分かってねーなとシャルルカンに呆れられ、ますます首を傾げたアリババだった―――




昼休みが終わり、午後一番でやり直しを行い、なんとか良しとされた。その後雑務に回り、資料作成や倉庫整理を任されたりと終業時間の頃にはヘトヘトになっていたアリババ。


(今日も…覚えることが沢山あったなぁ)


フゥ…と1つ息をついて、荷物をまとめる。まだまだ未熟で学ぶことは沢山あると、遅くまで残っていたら窓の外はすっかり夜を迎えていた。


(早く帰ってゆっくり休もう)


少しばかりフラつく足に力を入れて廊下を歩く。既にほとんどの社員は帰っているのか、シン…と静まり返っている。

エレベーターのボタンを押すと、少しして到着を知らせる音。それに乗り込んで、無意識のうちにホッと息をついた、ら


「あ、すみません、私も乗ります」


閉まる扉の間に手が滑り込み、ビクリと肩が跳ねた。それから再び開いた扉の前にいたのは


「じゃ…ジャーファルさん…」


走ったのか、普段乱れることのない前髪が上がって僅かに額が見えた。


「ああ、すみません、驚かせてしまいましたか?」

「い、え…大丈夫です」


乗り込むジャーファルに、知らず緊張して体が固まる。
仕事を教わる以外で会話をするなど、ほとんどない。


「お…お疲れ様です」

「お疲れ様です」

「………」

「………」


当たり障りない挨拶を交わし、無言になるエレベーター内。稼働する音だけが静かに響く。


「アリババくんは…」

「へ?あ、はい!」


不意に、隣に立つジャーファルから声を掛けられピッと背筋を伸ばす。―――と、

ガシャンッ!


「!?うわ、あっ!?」

「っと…」


不吉な音と共に、大きく揺れたエレベーター。バランスを崩して倒れそうになったアリババを、咄嗟に支えるジャーファル。


「………」

「………」

「………これは…」

「どうやら止まってしまったようですね」


冷静に、状況を言葉にするジャーファルにいまだ彼の腕の中だと思い出す。慌てて離れて謝り、礼を言う。


「す、すみません!ありがとうございました」

「いえ、大したことではありませんよ」


男の自分をあっさりと受け止めて、さらには大したことではないと一言で片付ける彼はスゴいな…と純粋に思った。


「…しばらくすれば、警備の方が気付くでしょう」

「は…はい…」


照明も消えたエレベーター内。薄暗い中、相手の姿はぼやけて見える程度。


(………)


暗いところも、狭いところも平気だが、暗くて狭いところは……。


「…?、アリババくん?」


互いに座っていたところ、服を引っ張られる感覚にジャーファルは隣にいるアリババを呼ぶ。


「あ…す、すみません…その…」

「………」


ギュッ…

服を掴んだアリババの手を包むように、優しく握る。気配で驚くのが分かった。


「大丈夫ですよ」

「あ…」


反射的に引っ込めようとした手を離さないように緩く力を込めて、声に柔らかさを乗せる。


「……さっき、言いかけたことなんですけどね」

「はい…」


包まれた手から、ジャーファルの体温が伝わってほぐれる緊張感。


「アリババくんは、よくやってきてると思います」

「……え?」

「大体は、厳しすぎるとかで挫ける方が多いんですよ」

「………」


思わぬ言葉に、黙って耳を傾ける。ジャーファルが自分をどう思い、どう評価しているのか。


「でも君は真っ直ぐに取り組んで…だからこそ言い方がきつくなってしまうんですが…」

「あ、いえ、もともと出来ない俺が悪いんで」

「その謙遜するところも、私は気に入ってるんですよ?」

「!」


昼休みに言われたピスティの言葉を思い出し、頬に熱が集中する。
どう返事をすればいいのか言葉が浮かばず内心焦りを見せるアリババの手を、ジャーファルは引っ張った。


「!?、え?え…?あっあの、ジャーファル…さん?」


腕の中に閉じ込めれば、薄暗い中でも互いの顔が分かるほど。そんな近距離で、真摯な目と、目が合ってアリババは固まる。


「…アリババくん」


サラリと、ジャーファルの指がアリババの髪を梳いて……離れた体。何がなんだか分からないアリババに微笑みかけ、立たせると同時に閉じていたエレベーターの扉が開いた。




「すぐに警備の人が気付いて良かったですね」

「…はい」


無事にエレベーターから出ることができ、フロントを抜ける。外へ出ればさらに暗さを増していた。


「………」


抱き締められた…まではいかなくても、それに近いことをされた。感覚が、熱が、まだ残っていてジャーファルがまともに見れない。


「アリババくん」

「は、はい!」

「……ふっ」

「あ、あの…?」

「ふふ、そんな緊張しなくても、捕って食べたりしませんよ?」


意識しているアリババの素直な反応がおかしくて、小さく笑いを零すジャーファルに羞恥で顔が熱くなる。
それとなく顔を横に向けて、手で風を送るよう扇ぐ。


「疲れたでしょう?家まで送るんでここで待っていて下さい、車とってきます」

「え!?いや、そんな気を遣わなくても…!」

「ね?」

「〜ッ!は、い…」


優しく髪を梳かれて、微笑んだ顔は甘さを含んでいた。それに逆らうことが出来なくて…真っ赤な顔を俯かせてアリババは頷いた。

(わざわざ社長秘書の自分が、1人の研修員を教育するなんて……見え見えなはずなんですけどねぇ)




社内恋愛?
始まりの兆し




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