- ナノ -






「ふう……」
街から図書館に帰ってきた私は、司書室の机に、買ってきた楽曲制作ソフトを置いた。電器屋さんに行ったはいいが、結局どんなソフトを選べばいいかわからず、店員さんに選んでもらったものだ。
かなり高性能なソフトを選んでもらったので、そこそこの金額が吹き飛んだ。たくさんお給料が貰える仕事だからって浮かれずに、貯金をしておいて本当に良かった。図書館に住み込みの仕事なので、生活費を国が負担してくれているのにも感謝しなくては。ありがたや。
早速ダウンロードしようと、ノートパソコンを起動する。このノートパソコンも、特務司書になった時に政府から支給されたもので、かなり高性能な機種だ。まだ楽曲制作ソフトをダウンロードできるくらいの容量は残っているだろう。
というわけで、ダウンロードの傍ら、ソフトの説明書とにらめっこするが、書いてあることの意味が全く理解できない。
「……もしかしたら……」
ふっとひらめいたことがあったので、説明書を閉じて、ダウンロードが終わったパソコンに向き直る。ソフトを起動すると、作曲用の画面が現れる。
すると、頭の中にいきなり、次にどう操作すれば良いかが浮かんできた。
頭に浮かんでくる通りに、作曲ソフトを操作していくと、「紅蓮華」のメロディが出来てきた。
「やっぱり、トリップ特典か……」
ソフトを操作する手は止めずに呟く。転生トリップにチート能力付与はつきものだが、私もその例に漏れなかったらしい。ただし、私に付与されたのは、「音楽特化型のチート能力」だったのだが。この能力、文アルに全く関係なくない?
いやまあ、前世でプレイした文アルのゲーム音楽は神曲ばっかりだったし、そもそも主人公ポジな時点でこれ以上の贅沢はないけれど。それでも! 限定的過ぎない!?
というか、音楽特化型のチート持ってる割にはピアノ教室での私の腕前は人並みクラスだったよな? まあ、その頃からチートが発動してたら今頃私は作曲家かピアニストになってて、特務司書にはならなかっただろうけども。もしかしたら、チート発動のトリガーが、「前世の記憶を取り戻す事」だったって可能性もあるし。そういう事なら、色々と辻褄が合う。そこ、ご都合主義とか言わない。
でも、よくある逆ハー補正とかを貰ったところで、私には使いこなせる気がしないので、これで良かったのかもしれない。そもそも、気難しかったり繊細(笑)だったりする男が雁首揃えている文アル世界で逆ハーレムをやろうものなら、修羅場になるのは目に見えている。70人越えの個性(笑)豊かなメンズを、修羅場にならないように御するなんて私には無理な話だ。それができる夢主の皆さんのことは尊敬できる。マジで。

「ふう……」
作業開始から二時間後。どうにか「紅蓮華」の音源が完成した。作業中、休日なのに一心不乱にパソコンに向かう私の姿を数人の文豪さんに目撃され、不思議そうな顔をされたりしたが、私はやり切った。
さて、早速聴いてみようと、音源を再生する、が。
「うーん……」
音楽特化チートは伊達じゃないらしく、曲自体は上手く再現できた。しかし、あくまで「曲」だけだ。「歌」はないので、どうしても物足りない。カラオケで歌わずに曲を聴いているようなものだ。
といっても、この世界にLiSAさんはいないし、ボカロもない。誰かに歌ってもらおうにも、この曲を知っているのは世界で私一人だけ。
「……こうなったら、やるしかないか」
ここまで来たら、意地でもONvocalで聴きたい。それなら、私が歌うしかない。幸い、私には音楽特化チートが付いている。なんとか上手い具合に歌えるだろ!
私は早速、司書室に、音を通さない効果のある結界を張った。うるさいと文豪さんたちにも迷惑だし、何より私が恥ずかしい。
幸い、買ってきた作曲ソフトには録音機能が付いていたので、私はパソコンに支給品のインカムを接続し、録音モードに切り替えた。
深呼吸を一つして、私は曲の再生ボタンをクリックした。

「うへぇ……」
十分後。録音した音源と曲を合成し、結界を解いた私は、早速「紅蓮華(私エディション)」を再生してみた。しかし、それは酷い出来だった。
パソコンから流れてくるのは、綺麗でも何でもない平凡な私の声。飛びぬけて上手いわけでも下手なわけでもないが、結果として一番退屈な仕上がりの歌声になっていた。ただ音程が合っているだけで、盛り上がりに欠ける。そりゃあLiSAさんみたいに歌えるとは最初から思っていないけど、それにしても酷い。
そもそも、自分の歌声を聴くの自体がかなりの羞恥プレイなのだ。音楽特化チートで歌もなんとかなるだろうと思っていた自分を殴りたい。というか、こんな半端なチートを付与した奴をぶん殴りたい。全然駄目じゃねえか。
脱力した私は、机に突っ伏す。音楽再現計画は夢のまた夢だった。
「やっぱり、他人に歌ってもらわなきゃ駄目かあ……」
「そうかい? 僕はいいと思うけどね」
「ふぇ!?」
後ろからいきなり声がして、私は反射的に振り向いた。
「き、北原先生……」
そこには、北原白秋先生が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「いつからそこに?」
「君が曲を聴いている時から。随分集中しているようだったし、面白そうだから見ていたのだよ」
くすくすと笑いながら言われて、顔に熱が集まる。私の平凡な歌声を聴かれていたのだ。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「お見苦しいところをお見せしました……」
「僕が好きで見ていたのだよ、気にしないでくれたまえ」
北原先生は笑みを崩さずに言うが、私は死にそうだった。というか埋まりたい。
しかし、北原先生がここに来たという事は、何か用があるという事だ。それを聞かないことには、司書室を出て埋まりに行くわけにはいかない。
「それで北原先生、どういったご用件で司書室に?」
「休みなのに君がパソコンに向かっていると聞いて、何をしているか気になってね。もし休みなのに無理して仕事しているようだったら、叱りつけるつもりだったのだよ」
にっこり笑う北原先生。その笑みには、逆らってはいけないと思わせる凄みがあった。あっぶねー。
顔が引きつりそうになるのを抑えていると、北原先生はパソコンを覗き込んできた。
「で、これは何をしているんだい? さっき流れていた曲は、君が子どもたちにピアノで聴かせた曲だろう」
「えっ」
何で北原先生が知っているんだろう。
「なんで知っているか、という顔だね。子どもたちが鼻歌で歌っていたのを聴いたのだよ」
「は、はあ……」
そんなに気に入ってたのか。まあ、いい曲だしね。
それはさておき、北原先生の質問に答えなければいけない。下手に隠せば怒らせてしまう。
「えーっと、今パソコンの画面に映っているのは、作曲用のソフト……要するに、パソコンで曲を作れるように機能を追加して、それで曲を打ち込んでいたんです」
「ふむ……ということは、さっきの曲は、君が作ったということかい?」
「えっ……あ、はい、まあ……」
本当は違う。だけど、ここで転生トリップやら特典やらの話をすれば、話がややこしくなるだろう。下手したら鉄格子の付いた病院送りだ。だから曖昧な返事をする。
北原先生は、私の曖昧な態度を特に不審に思わなかったらしく、じっとパソコンの画面を見つめている。私は、なんとなく北原先生の顔を見ていると、彼は何故かハッとした顔をして、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「……ねえ、司書君」
「あ、はい」
北原先生は笑顔のままこちらを向いて言った。
「君は、この歌を他人に歌って欲しいと言ったね?」
「は、はい」
なんだろう、北原先生の笑顔が怖い。
「なら、この曲を僕の……すまほ、とか言ったっけ、あの端末に入れたまえよ」
「へっ!?」
いきなり提案されて、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
図書館にいる文豪さんには、一人一台スマホが支給されているが、使いこなしているのはごく一部の人だけだ。北原先生は「使いこなしていない側」なので、電話とメール以外の機能をあまり使っていないはず。なのに、いきなりスマホで曲を聴けるようにしてくれときた。どうしてだろう。
私の戸惑いを他所に、北原先生はどんどん話を進めていく。
「後、あの端末、録音機能も付いているのかい?」
「北原先生、ちょっと待ってください!」
私は大慌てで北原先生を止める。北原先生は首を傾げた。
「……出来ないのかい?」
「いえ、音源を入れたり、録音機能を追加することはできると思いますが……一体、何をするおつもりで?」
恐る恐る尋ねると、北原先生は呆れたような顔をした。
「決まっているじゃないか。僕が歌うのだよ」
「はいぃ?!」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの北原先生を前に、私はまた素っ頓狂な声を出してしまうが、彼は気にせず続ける。
「君は、『他人』の歌声でこの曲を聴きたいと言った。なら、僕でもいいのだろう? 君と僕は『他人』だからね」
そういって自信満々に微笑む北原先生だが、こんな個人的な事情に文豪さんを巻き込むのは気が引けるので、食い下がる。
「ま、まあ、そうですが……北原先生のお手を煩わせるようなことでは……」
「君は僕たちのためによく働いてくれているからね。これくらい手伝ってもいいと思ったのさ」
そのお気遣いは大変ありがたいが、別の時にしてくれ!
そう叫びだしたいのをぐっとこらえていると、北原先生が目をすっと細め、そのままにっこりと満面の笑みを浮かべる。
「……それとも、君は僕の歌唱力が信用ならないと?」
さっきよりワントーン低くなった声で問われて、喉から引きつった声が出た。顔こそは美しく笑ってはいるが、背後にはどす黒いオーラと不動明王像が見える。北原先生がイラついている証拠だ。
「め、滅相もない! 決してそんなことは思っていません!」
このままだと蜂の巣にされかねないので、必死に否定する。
「なら、つべこべ言わずに僕の言うとおりに支度をしたまえ。早く!」
もう断れる雰囲気じゃない。私は震えあがりながら、北原先生の指示通通り、スマホに録音アプリと音声合成アプリを入れ、「紅蓮華」の音源(オフボーカルと私エディション両方)を送ったのだった。

「はあ……」
その日の夜。私は、寝室でベッドに腰かけて大きなため息を吐いた。なんだかすごく疲れた。
曲を打ち込むのももちろん体力と神経を使ったが、その後の北原先生の提案で余計に気力を削がれてしまった。断ったら命が危ないとはいえ、プライベートな案件に文豪さんを巻き込んでしまったのだ。申し訳ないし、自分が恥ずかしい。
そりゃあ、北原先生はCV花江夏樹だから美声だし、綺麗な歌声だって出るんだろうけど、私と文豪さんの関係は、あくまでビジネスパートナーだし……って、ちょっと待てよ。
北原先生は、CV花江夏樹……?
「花江夏樹の、紅蓮華、だと……!?」
えっ、待って、ちょっと待って。花江夏樹って炭治郎やってたじゃん。皆大好き鬼滅の主人公じゃん。なんで気づかなかったんだ。主人公が主題歌歌うってめっちゃ胸熱な展開じゃん。
「もしかして、私、めちゃくちゃ運がよかった……!?」
すげえよ。公式でもやってないこと私がやっちゃったよ。いや北原先生は花江夏樹や炭冶郎とはノットイコールだけど。だけど、とんでもないファインプレーなのでは!?
「北原先生……ありがとうございます……!!」
湧き上がる興奮を発散するかのように、私は北原先生の自室の方向に向かって合掌したのだった。

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