- ナノ -






前回までのあらすじ。
前世の記憶を取り戻したのはいいけど前世で好きだった作品に触れられないと気づいて絶望しました。以上。

というわけで、私はすっかり落ち込んでいた。転生トリップなんていう美味しい体験をできたのは嬉しいが、失ったものが多すぎる。前世の娯楽にばかり気を取られていたが、それだけでなく、前世の家族も友人も地位も失ったのだ。向こうの世界は一体どうなっているのだろう。私がいなくなって、皆悲しんでいるのだろうか。
もちろん、この世界での家族や友人、仕事や趣味も大切だが、こんな寂しい思いをするくらいなら、前世の記憶なんていらなかった。何も知らずに、人生を終えたかった。

「あの、司書さん、大丈夫?」
項垂れていたら、上から声が降ってきた。はっとして顔を上げると、重治先生と一緒にずっと私を支えてくれた秋声先生がいた。
「秋声先生……」
「さっき頭を打って倒れたってね。まだ具合が悪いなら、休んだ方がいいんじゃない?」
眉を寄せる秋声先生。心配をかけてしまったのは申し訳ないが、「前世の記憶が蘇って寂しさに襲われてました」なんて言えるわけがない。
「大丈夫ですよ。ちょっと考え事をしていただけです」
私はなんとか笑顔を作って答えた。すると、秋声先生はそれ以上追求せず、「無理はしないでよ」と言って部屋を出て行った。
「はあ……」
本日二回目の溜め息。顔を上げれば、いつもと変わりない司書室が視界に入る。机に積み上げられた書類の山も目に入ってきた。
どんなに寂しくても、仕事は待ってくれない。
のろのろと書類に手を伸ばした時、ふと、部屋の隅に置かれたアップライトピアノに目が行った。
アップライトピアノは、司書室の家具として政府から支給されたものの一つだ。司書室の模様替えの時に、たまに出してきては弾いている。私は幼少期から高校卒業までピアノを習っていたので、演奏の腕には割と自信があるのだ。アニメソングを耳コピして弾いたこともある。ちなみに、前世でもピアノを習っていた。
「……ん?」
そこまで記憶を再生した時、私はハッとした。
「音楽なら、私が演奏すればいいんじゃない……?」

そう、こちらの世界のアニメソングを耳コピできる音感があるなら、私の脳内に記憶された音楽も演奏できるんじゃない?
そうすれば、好きな曲を聴けるのでは!?
「……よし!」
我ながらナイスアイデアだ。そうと決まれば、行動あるのみ!
思わず立ち上がった私だったが、そうしたら次は、書類の束が視界に飛び込んできた。
「……まあ、仕事終わってからにしよう……」
というわけで、私は物凄い速さで仕事を片付けたのだった。

仕事を片付けた後、私はアップライトピアノの前に座っていた。まず何を弾こうかな。
あれこれ好きな曲を思い浮かべる。
「……よし、『紅蓮華』にしよう!」
最終的に選んだのは、前世で大ヒットしていたアニメのオープニングテーマ。そういや、劇場版の無限列車編見たかったなあ……。
じわじわと心を支配していく寂しさを振り払うように、鍵盤に手を置いて、曲調を思い浮かべる。すると、頭の中に、どの音を鳴らせばいいかが次々浮かんできて、私はほとんど無意識に手を動かしていた。
大好きだった曲が、ピアノの音色で耳に届く。そうして私は、紅蓮華をフルコーラスで弾き切った。
と、ぱちぱちぱち、と、拍手が聴こえてきて、私は慌てて振り向く。そこには、童話作家トリオが立っていた。
「すごくかっこいい曲だね!」
「なんて曲なの?」
「司書さんはやっぱりピアノが上手だね!」
口々に言われて、私は思わず苦笑いしてしまう。一人で楽しもうと思ったら、早速聞かれてしまった。
しかし、ここで無視する訳にはいかない。
「これは『紅蓮華』という曲ですよ」
「へえ!」
「そういえば、もうすぐお夕飯ですね。先生方、食堂に行かなくてもよろしいのですか?」
私はなんとか話を逸らす。童話作家トリオは、ハッとした顔をした。どうやらお腹が空いていたらしい。私が、後で私も行きます、というと、三人は私に手を振って部屋を出て行った。
私はほっと息を吐く。私の頭の中にしかない曲について、深く突っ込まれたらまずい。
……というか、めちゃくちゃスラスラ弾けた。耳コピって、最初は拙くしか弾けないはずなのに。
「……もしかして、トリップ特典ってやつ?」
前世で好きだった曲を上手に演奏できる能力。いやめちゃくちゃ限定的かつ地味な能力だな!?
「まあ、主人公ポジションな時点でチートなんだけどね……」
頭を掻きながら一人呟く。
「でも、演奏するとどう頑張っても『ピアノアレンジ』にしかならないからなあ……できれば原曲を聴きたい」
そこまで口に出した時、今度は机の上のパソコンが目に入った。
「……そうだ!」
この世界にはボーカロイドはないが、楽曲制作ソフトくらいはあるだろう。それで、原曲に近い音声で曲を作ればいい。なんか今日の私は冴えてない!?
幸い、明日は休みだ。街の電器屋さんに行ってみよう。

考えがまとまり、私は立ち上がる。そろそろ夕食を摂らないといけない。
司書室を出た私は、軽い足取りで食堂に向かったのだった。

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