- ナノ -






前世の記憶を思い出した。



そんなことを口に出したら、十中八九精神の異常を疑われるだろう。私だって、そういう人に出くわしたら全力で逃げるか精神病院行きを勧める。
しかし、私は思いだしてしまったのだ。


始まりは、仕事の合間の休憩時間に、帝國図書館の開架を訪れたことだった。
政府が、文豪さんたちと侵蝕者の戦争についてを世間に公表したのに合わせて、国民に文豪さんたちの存在を広く認知させるためのキャンペーンを考えろと命令してきて、酷く頭を悩ませている中の休憩タイムだった。
大学で国文学を学ぶくらいには読書&文学マニアな私にとって、読書タイムは至福の一時だ。さて今日は何を読もうかと、本棚を眺めていた。
ちょうどその時、萩原先生と室生先生が本棚の掃除をしていた。しかし、ドジっ子な萩原先生が、室生先生の静止を聞かずに脚立に登ったのがいけなかった。
案の定脚立の上でよろめいた萩原先生の腕の中から、分厚い本が一つ飛び出して、それが私の額にクリーンヒット。
その瞬間、私の頭の中で、ここではない世界で生きていた記憶が蘇って来た。しかし、いきなり溢れて来た記憶に脳がついていかなかったのか、私はそのまま意識を失ってしまった。遠くで室生先生の悲鳴が聞こえた。
次に目が覚めた時、私は医務室のベッドにいた。
初期文豪として苦楽を共にしてきた重治先生がずっとついていてくれたらしく、心配したんだよと言われた。私が重治先生に謝っていると森先生が入ってきて、問診をされた。その後は北原先生と室生先生に付き添われてやってきた萩原先生に泣きながら謝られた。なんとか彼を宥めすかして司書室に帰ってきて、今に至る。


「はあ……」
椅子に腰掛けた私は、大きな溜め息をついた。前世の記憶と、自分に関する情報を脳内で整理する。

私は日比谷 詩織。職業は特務司書。海外の血が混じっている以外は普通の家庭に生まれた。アニメ漫画ゲームが大好きなオタク女で、それと同じくらい音楽鑑賞と読書も好き。国内で知らない人間はいないくらいにはレベルの高い大学の文学部に入学したはいいが、就職活動に苦戦。そんな時、家に政府の使いがやってきて、私に特務司書になれと言ってきた。なんでも、私の父方のご先祖様はアルケミストだったらしく、私にもその力があるという。戸惑う家族を余所に、私は、なんとなく、自分がやらなくてはという使命感に駆られて、特務司書となったのだった。
それから、季節が何周かして、図書館にはたくさんの文豪さんが転生し、彼らとそれなりの信頼関係を築けてきた……と思う。

よし、今世での自分のことは覚えてる。
前世の記憶が蘇ると同時に「今世の私」が消えてしまう、なんてことにならなくて良かった。そんなことになったら仕事にもプライベートにも支障が出る。

……しかし、記憶を取り戻すタイミング、中途半端すぎないか?
普通、政府の使者が来た辺りで取り戻すのがお約束じゃないのか。まあ、あの時感じた使命感は魂に刻まれた業みたいなものだったのかな。
業といえば、前世でも今世でも私はオタクなんだな。それこそ魂が背負った業じゃないか。十字架だ。
「でもまあ、美味しい立ち位置に来れたんだなあ……」
思考が言葉となって漏れ出る。好きだったゲームの主人公ポジションに転生なんて、美味しい展開以外の何物でもない。私、前世でそこまで徳を積んだっけ?
私と共に戦ってくれる戦友のような存在の文豪さんたちを萌えの対象にするのはちょっと申し訳ないが、やっぱり嬉しい。

……と、ここまで考えて気づいた。
「異世界なら、前世で好きだった作品、読めなくない?」
そう、この世界にも漫画やアニメ、ゲームなどの娯楽はあり、前世ほど大っぴらではないがオタク文化が市民権を得てきている。
しかし、この世界にはジャンプはない。サンデーもマガジンもチャンピオンもない。全く別の漫画雑誌が出回っている。
漫画だけじゃない。ジブリもディズニーも、東方シリーズもFateシリーズもとうらぶもポケモンもドラクエもFFも忍たまもボカロも……前世で好きだった作品は、何もかもない。
そりゃあ、この世界で好きになった作品もたくさんある。だけど。
「前世の娯楽、全部奪われるのは切なすぎるよ……!」

天を仰いで呟いた言葉は、誰にも届くことなく消えたのだった。

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