- ナノ -




世界に絶望した誰か

──今日はよく晴れているが、風の強い日だなあ。




びゅうびゅうと音を立てる冷たい風が、私の髪を揺らす。このまま風に煽られたら、自分から飛び降りるまでもなくここから落ちそうだ。

でも、それではいけない。「死ぬタイミング」くらい、自分で決めたいから。

通っている学校の屋上。転落防止用のフェンスを越えた先に、私は立っている。一歩足を踏み出せば、私はたちまち転落し、地面に叩きつけられるだろう。

そう、私は自殺しようとしている。このろくでもない人生とおさらばしようとしているのだ。

私は野坂 鈴美。中高一貫の名門私立校への進学を勝ち取り、友人や家族に囲まれて普通に暮らしている、オタク趣味の中学2年生だった。
家庭環境は至って平凡。わがまま放題もできないが、生活に不自由もしたことがない。容姿も人に不快感を持たせない程度のもの。だけど、勉強に関してだけは必死に努力を重ねて、トップクラスの成績を維持していた。オタクゆえ本を読むのも好きだったので、様々な知識もあった。在籍していたのは全体的に仲のいいクラスで、友人もたくさんいた。
だから、私は幸せだった。そして、愚かにも、この幸せがずっと続くと思い込んでいた。

夏休み明けに、私のクラスに転入生がやってきた。
私は、仲の良い友人たちと、どんな子が来るかと話してはしゃいでいた。
ホームルームの時間になり、先生に呼ばれて教室に入ってきた転入生を見たクラスメートたちはざわめいた。
先生の隣に立っていたのは、かなりの美少女だった。黒髪に明るい茶色の目。ただ、顔は海外の血が混じっていそうな彫りの深い顔立ちで、彼女は舶来の人形と見紛うような可憐な雰囲気を醸し出していた。
『初めましてぇ〜! 木下 樹里愛っていいまぁす! 仲良くしてねぇ〜!』
……私はこのかわいこぶった自己紹介で萎えた。折角見た目がいいのに、あんなぶりっこなんて勿体ない。
しかし、周り、特に男子の反応は好意的で、大きな拍手が起こった。

その後、転入生……木下 樹里愛は、すぐにクラスの人気者になり、私の友人たちも彼女と仲良くしだした。しかし私は、どうしても彼女と仲良くしようと思えなかった。

そして、木下 樹里愛が転入してきてから一か月くらい経った頃。
『野坂さぁ〜ん、ちょっといいかなぁ〜?』
先生に頼まれた雑用を一人でこなしていた時に、彼女は私に声をかけてきた。
『え……何?』
私はどうしても彼女が好きになれなかったし、大して仲良くもなかったので、戸惑いながら振り返った。
『野坂さん、学年で成績トップなんだってねぇ?』
『え、まあ、そうだけど……』
私が答えると、木下は厭らしい笑みを浮かべた。
『あの、木下さん、一体何の用?』
木下の笑みに嫌なものを感じた私は、彼女に目的を尋ねた。
『決まってるじゃなぁい。野坂さん、あなたが邪魔なの』

……は?

突然言われて、私はぽかんとしてしまった。しかし、そんなことを知ってか知らずか、木下は好き勝手続ける。
『ジュリアはぁ、全てにおいて完璧なヒロインじゃないといけないの。勉強、運動、容姿。全て一番の、みんなのアイドルである定めなの。なのに、地味なあなたが成績一位? 冗談じゃないわ。おかげで、まだあなたの方がクラスで慕われてるじゃなぁい。その立ち位置はジュリアのものなのに。そんなの許せない。だから……私が完璧なヒロインになるために、あなたは消えて?』
訳がわからない。ヒロイン? 何それ。痛々しすぎる。
そんなことを考えていると、彼女はポケットからカッターを取り出した。そして、自分の腕を切りつける。
ああ、嫌われ夢でよくあるやつだ、なんて冷静に受け止めてしまって、それがいけなかった。
『キャアアアアアアアアアッ!! 誰か助けてぇぇぇぇぇぇ!!』
彼女が悲鳴を上げるのを、止められなかった。

その後の展開は、あまり思い出したくない。
駆けつけた生徒たちに、木下は嘘泣きをしながら、『野坂さんに切りつけられた』と主張した。
私は、皆がこんな馬鹿げたこと信じるものかと、冷静に抗議しようとしたが、皆は口々に私を罵倒し、やがて私をリンチし始めた。私が何を言ってもやめてくれなかった。
先生が駆けつけてきて、私と木下を生徒指導室へ連行した。しかし、先生も私を信じてくれなかった。先生たちは私に罵詈雑言を浴びせた。木下はいけしゃあしゃあと、『大ごとにはしたくない』と言った。
学校から連絡が行き、両親も騒動を知ることになった。しかし、両親ですら、私を信じなかった。
私を殴って、蹴って、罵倒して、最後は引きずられて木下の家に謝罪に行かされた。私は謝らなかった。木下の両親は彼女を溺愛しているようで、私を好き勝手罵った。

それが、地獄の始まりだった。

学校は騒動を隠蔽したから、私は退学にはならなかったが、学校に行けば暴力や嫌がらせを受けた。
友人だと思っていた子たちも、私を無視したり嫌がらせをしてきた。
先生も私に雑用を押し付けてこき使った。
両親は私が何度話しても聞く耳を持たず、最終的に空気扱いして食事すら与えてくれなくなった。
全てを失った私は絶望した。自分が今まで築いてきたものが、全てまやかしだと気付かされてしまったのだ。

しかし、ある時、私を嵌めておきながらのうのうと幸せを享受している木下の姿を見て、私の絶望は怒りに変わった。

それが、復讐開始の合図だった。

私は世界的に有名なSNSに実名でアカウントを作り、毎日いじめや虐待の内容を書き込んだ。落書きだらけの机や壊された私物、下駄箱に詰め込まれたゴミや虫の死骸の写真も添え、学校名、悪口を言ったクラスメートや無視する両親の実名も書き込んだ。
貯めてきたお小遣いでICレコーダーを買い、木下が一人になった瞬間を見計らってわざと話しかけ、あいつが本性を現した場面を録音した。
屋上や校舎裏でわざと一人になり、それを見た馬鹿な奴らがリンチをしてきたところを、隠しておいたスマホで隠し撮りして、これまた実名でアカウントを作っておいた動画サイトに無修正で投稿した。
そして、木下の本性を録音した証拠を、クラスや同学年の、口が軽くて噂好きな奴の机に放り込んだ。さらにはいじめや虐待の証拠も、警察や児童相談所、遠方に住む祖父母、ついでに地域のテレビ局に、助けを求める手紙と共に送りつけた。

私の撒いた火種は、あっという間に大きく燃え上がった。

学校では、たちまち木下の本性がバレて、私の無実が証明された。
それだけではない、ネット上やニュース番組では悪質ないじめとして取り上げられ、警察や行政が動き出した。
私に暴力を振るった奴らは書類送検なり少年院送りなりと処罰を受け、そこまでの罪がない連中も、ネット上で炎上して自宅やSNSアカウントを特定されて非難された。
両親は児童相談所や親戚たちからきついお叱りを受け、町内の人々に白い目で見られるようになった。
主犯の木下はというと、両親からもクラスメートからも手のひらを返されて、毎日皆から暴力を振るわれるようになった。

しかし、私の苦しみが終わった訳ではなかった。

私を信じなかった連中は、私が無実だとわかった途端に私に馴れ馴れしく絡んできた。まるで何もなかったように、前のような仲の良さを演じようとした。
誰も、謝罪の一つもしなかった。
それどころか、どいつもこいつも、『私たち友達だよね?』『私たちは家族なんだから』と言ってきやがった。そういう言葉に、「だから全部水に流せ」という意味が込められているのが容易に見て取れて、吐き気がした。

あぁ、私の周りの奴らは、皆腐った奴らばかりだったんだ。

素直に、誠心誠意謝ってくれたなら、まだ少しずつでも許せただろうに。
なのに、奴らはそれすらしなかった。

だから、これは奴らに一生の十字架を背負わせる、最後の復讐。

証拠を送りつけた警察や児童相談所、テレビ局、祖父母などに、今度は、私を裏切った全てへの恨みを綴った遺書を送りつけ、私は今から死ぬ。
そうすれば、もう取り返しがつかないと、どんな馬鹿でもわかるだろう。

あいつらは一生、私の死を背負っていけばいい。

さて、そろそろ誰かに見つかりそうだな。
私は、一歩足を踏み出す。ぐらりと身体が傾き、そして。


ぐちゃり。


私、野坂 鈴美は死んだ。









「ん……?」
目を覚ましたら、私は、豪奢な部屋の豪奢なソファに座っていた。
部屋を見回し、私は考える。私は、自殺したはずだ。
すると、目の前の空間がぐにゃりと歪み、私の前に、いるはずのない生き物が現れた。
『やっほー♪ 初めまして!』
ハイテンションだが心地のいいイケボで挨拶するそれに、私は思わず呟いた。
「……パルキア?」
そう、大好きなゲーム、ポケットモンスターに出てくる空間の神、パルキアだった。
私は夢小説というものが好きだったので、この手の展開で思いつくことを言ってみた。
「まさか、トリップ……?」
『おー、理解が早くて助かるよ! そう、君は選ばれたんだ!』
パルキアは楽しそうに言う。私は首を傾げて問う。
「なんで私を?」
『あー、それについては、まず、俺たちの事情から説明していい?』
パルキアがそう返してきたので、私は頷いた。
『うんうん、素直だね! じゃあまず俺たちの事情から話すけど、俺たち神と呼ばれるポケモンは、君らの世界から、俺たちの世界に少年少女を連れてきて、どうやって生きるかを傍観する遊びにハマってるんだよね!』
「はあ。人生ゲーム的な?」
『それに近いねー! んで、トリップを望まない人を連れてくるのはルール違反なんだよ。だから、丁度俺が君らの世界を覗いた時に死んだ君を連れてきたってワケ! だって君、向こうの世界に未練無いだろ?』
「無いね、うん」
世界に、人に絶望して死んだんだから、未練なんて無い。
『なら、俺たちのゲームに参加して、ポケモンの世界で生きてみない?』
「えぇ……」
正直面倒臭い。もう私は生きたくない。私は14年かけても、まやかししか築けなかった。そんな私が生きたところで意味などない。
「……拒否権は?」
『もう、そんな嫌そうな顔しないでよ! 拒否すれば、君は全てを忘れて輪廻転生の輪に戻るだけだよ? それよりは、君のまま第二の人生を歩まない? それに、こちらの世界に来てくれるなら、君の願い事を三つ叶えてあげるよ!』
「はあ……」
どうやらパルキアは、どうしても私をポケモンの世界に連れていきたいらしい。これ、何を言っても食い下がってくるな、と感じた。
「まあ、そこまで言うなら行くけどさ……」
だから、私は了承した。すると、パルキアのごつい顔が、嬉しそうな表情になったように見えた。
『そうこなくっちゃ! 旅の荷物とトレーナーカードと戸籍、容姿変更は全員サービスだから、それ以外に三つの願いを言ってね!』
「結構至れり尽くせりだね。それなら、うーん……」
私はしばらく考えて、一つ目の願いを出した。
「私の全体的な『スペック』の底上げはできる?」
私がそういうと、パルキアは感心したように口笛を吹いた。
『つまり、運動神経や頭の良さとか、君の『人間としての価値』を底上げすればいいんだね? 君、なかなか賢いね。『頭の良さ』と『運動神経』を別々にお願いする子もいるのにさ』
「まあ、こうすれば自分で自分を守れるからね」
嵌められても、暴力を振るわれても、自分を守れる力さえあれば面倒なことにはならない。そう思いついての願いだった。
「んで、二つ目は、パルキア、あなたと自由に連絡ができるようにできる?」
『え? まあできるけど、どうして?』
パルキアは驚いたように言った。
「何かあったときに、あなたからアドバイスが欲しい。あと、バックにあなたがいるっていう安心感のためかな。ついでに……」
『ついでに?』
「あなたが私好みのいい声だから、聴いてたいってのもあるよ」
冗談めかして言うと、パルキアが唖然としたのがわかった。
「……パルキア?」
『っえ?! あ、うん、ありがとう……? 声を褒められたのなんて、初めてだったから……』
あたふたするパルキア。案外可愛い。思わず頬が緩んだ。
パルキアは咳払いをして、私を見た。
『最後の願いはどうする?』
尋ねられて、私はまた考える。しかし、自分を守る手段は揃えたし、何を願えばいいか思い浮かばない。私は、パルキアに訊くことにした。
「思い浮かばないんだけど、パルキア、あなたのおすすめの特典とかある?」
『おすすめ? うーん、やっぱり人気が高くて、俺たちの世界を楽しめる特典といえば、ポケモンとの会話能力かな?』
なるほど。夢小説でも、ポケモンの言葉がわかるという設定は鉄板だ。最後の願いくらいは、ちょっとはしゃいだ願いでもいいかもしれない。
「じゃあ、ポケモンとの会話能力で」
『うんうん、いいよー。容姿はどうする?』
「醜くなければ好きにしていいよ」
『りょーかい! まあ、醜いと、君の『スペックの底上げ』っていう願いに抵触するから、それなりの容姿は保証するよ〜』
「律儀だね」
そんな気の抜けたやり取りのあと、パルキアは私をじっと見る。
『さて、確認することは確認したから、そろそろ行ってもらうよ』
「あ、うん」
いよいよか。少し緊張している自分がいて、びっくりした。
どうせ何も為せなかったのだから、向こうでも何も変わるまい。どうして、緊張しているんだろう。
そんなことを考えていると、パルキアの身体が光り始めた。
『いってらっしゃい。またね!』
パルキアのその声を最後に、私は目を開けていられなくなり、そのまま意識を失った。



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