赤いりんごに唇寄せて
- ナノ -



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カジッチュを好きな人に渡すと、恋が叶う。
これはガラル地方でまことしやかに語られる噂で、カジッチュは、たくさんの恋する人に欲しがられるポケモンとなった。
そして私も、その噂に縋るほど大切な恋人がいた。
 



ガラル地方生まれのパパと、シンオウ地方出まれのママの間に生まれた私。パパの仕事の都合で、私は生まれながらに「転勤族」というもので、両親とあちこちの地方を飛び回っていた。
そのせいで、同世代の友達はおろか、ポケモンを持つこともできず、私は随分寂しい思いをしていた。
しかし、7歳の頃、ようやくパパの仕事が落ち着き、ガラル地方のララテルタウンに定住することになった。
遺跡が見守る太陽の眩しい街の一軒家に辿り着き、荷物を家に運び入れた後、私は両親と、隣の家に挨拶に行った。

そこで、私は運命の出会いをした。

ハンサムな男の人と綺麗な女の人の夫婦が、パパとママと挨拶を交わす。私も両親に倣って頭を下げると、夫婦は、ウチにも貴女と同い年の息子がいるの、と言った。女の人が家の中に声をかけると、一人の男の子が家から飛び出してきた。
その男の子を見た瞬間、時が止まった気がした。雪のような白髪に、銀色の瞳。人との関わりが薄い私でも、美少年だとわかる、綺麗な男の子だった。
「はじめまして!ぼくはローガン。ミチコちゃん、だっけ、よろしくね!」
男の子がにっこり笑って手を差し出してきて、私は我に帰った。
「は、はじめまして……ミチコ、です」
絞り出すように挨拶をして、ローガンと名乗った男の子と握手をする。それを大人たちは微笑ましげに見ていた。
その日、私に初めて友達が出来た。


ローガンとその両親は、とても親切だった。ローガンは街の子どもたちの中でも人気者で、私を子どもたちのグループに紹介してくれた。おかげで、友達がたくさんできて、楽しい毎日を送ることができた。
ローガンの両親は、よく私たち家族に料理や食材をお裾分けしてくれて、私たち家族とローガンの家族は、とても仲良しになった。
そんなある日、ローガンと私はリビングで遊び、ソファでお互いの両親が話している時に、こんな言葉が聞こえた。
「ローガンとミチコちゃんは本当に仲がいいわね!」
「ええ、ミチコったらローガン君にすっかり懐いてて!」
「大人になったら、二人は結婚するかもなあ!」
「それはいいね!ミチコちゃんならローガンのいい奥さんになるよ!」
そして笑い声。私とローガンは、親たちの冗談めかした話に顔を見合わせた。でも、なんだか恥ずかしくなって、顔を背けた。

その次の日から、ローガンと一緒にいると胸がドキドキするようになった。ローガンといる時間はあっという間だし、ローガンとずっと一緒にいたいと感じるようになった。他の友達の前では感じないことだったから、不思議だった。
だから、パパとママに聞いてみた。
パパとママは穏やかに笑って、ミチコはローガン君に恋をしたんだね、と言った。その「恋」という言葉がすとんと胸に落ちて、私は、自分がローガンに恋をしていたと自覚したのだった。

と言っても、当時の私に、恋心を隠すという慎ましさも羞恥心も無く、子どものグループで遊んでいる時に、ローガンにあっさり、自分の気持ちを言ってしまった。「私はローガンに恋をしてしまったみたいだ」と。
今ならどんな羞恥プレイだと思うが、ローガンは怒らなかった。それどころかローガンは、「ぼくもミチコが大好きだよ」と言ってくれた。
他の友達に祝福され、私とローガンは、「恋人」になった。

その後も、私とローガンは仲良しだった。パパもママもローガンの両親も、私たちを祝福してくれた。ただ、恋人同士は何をするべきかわからなかったので、仲良く遊んだり、トレーナーズスクールで勉強したりと、今までと変わらない態度で過ごした。
しかし、私は幸せだった。将来はローガンのお嫁さんになると、信じて疑わなかった。

しかし、私がララテルタウンに引っ越してきて3年が経ったある日、転機が訪れた。

ローガンのパパが仕事でシンオウ地方に転勤になり、ローガンも両親と、シンオウ地方に引っ越すことになったのだ。
寂しがる友達に、申し訳なさそうに笑うローガン。私はその場では何も言えなかったが、夜、自分の部屋に帰ってから、声を抑えて泣いた。寂しいどころの話ではなかった。大好きな人と離れ離れになる未来が、ただただ信じられなかった。
その日から、私とローガンは気まずくなってしまった。

しかし、時間は止まらず、ローガンの引っ越しの日がやって来てしまった。
私は両親とともに、ローガンとその家族の見送りをすることになった。
ローガンの家の前で、お互いの両親が別れの挨拶を交わすのを見ていると、ローガンが私のもとに歩み寄った。私は、涙を堪えてローガンを見る。
「ミチコ、この子を受け取って」
ローガンが、後ろ手に隠していた何かを差し出してきた。私はそれを見て目を丸くした。
「この子、カジッチュ……?」
ローガンが両手に抱えていたのは、りんごぐらしポケモン、カジッチュだった。
私は、友達の女の子に教えてもらった噂を思い出す。

──カジッチュを好きな人に渡すと、恋が叶う。

私は、ローガンがカジッチュを渡してくれた意味を悟り、震える手でカジッチュを受け取る。涙が溢れてくる。
ローガンは穏やかに笑った。
「離れ離れになっても、ぼくはミチコが好きだよ。いつか、必ず会いに来るから」
私は、カジッチュを抱きしめて、震える声で返した。
「うん、約束だよ……!」

そうして、雲一つない晴天の下、ローガンと家族は車に乗り込み、空港に向けて走り出した。私は、車が見えなくなるまで、手を振り続けた。

その日の夜。
ローガンと別れた寂しさと、カジッチュを貰えた嬉しさ、そして、念願のポケモンとの暮らしへの期待がごちゃごちゃになった心を抱えて、私は両親と夕食を摂っていた。
その時だった。
いきなり、テレビがバラエティから、ニュースに切り替わったのだ。ニュースキャスターが、緊迫した声で言う。

<臨時ニュースです。シンオウ地方行きの、ガラル航空の飛行機が、海に墜落した模様です。繰り返します、シンオウ地方行きの──……>

頭から冷水をかけられたような感覚がした。ローガンは、飛行機でシンオウに向かったはず。
まさか……!
嫌な考えが頭をよぎり、私は頭を振る。まさか、そんなことはない。きっとこの飛行機ではない、大丈夫。それに、仮に墜落したとしても、生存の可能性だって十分にある。大丈夫、大丈夫。
だって、約束したもの。「必ず会いに来る」って。
カジッチュが心配そうに鳴く。両親も、呆然とテレビを見ている。
ねえ、みんなそんな顔しないでよ、ローガンは大丈夫だから。
バクバクと嫌な音を立てる心臓を無視して、私は祈り続けた。

テレビはその後も、飛行機は空中でバラバラになりながら墜落したらしいとか、墜落した海域はドラミドロやブルンゲルがたくさんいるところだとか、生存は絶望的だとか、私の不安を煽るようなことを言い続けた。
いつもなら寝ている時間になっても、私はテレビにかじりついていた。両親も、早く寝なさいと叱ることをしなかった。
にわかにテレビに映るスタジオが騒がしくなり、ニュースキャスターが慌てた様子で口を開いた。
<先ほど、ガラル航空が、墜落した飛行機の乗客名簿を公表しました。ただいまから、公表された乗客名簿を流します。>
そうして、テレビの画面が切り替わり、私は目を皿のようにしてテレビに縋り付いた。次々と流れてくるのは、聞き覚えの無い名前。どうか、このまま知らない人の名前が流れてくれと、そう祈ったのに。

神様は、そんな願いすら叶えてくれなかった。

私の目には、ローガンとその両親の名前が飛び込んで消えて行った。

身体中から力が抜けて、私はその場にへたり込んだ。全ての希望は打ち砕かれてしまった。こういう時、ドラマなどでは大声で泣き叫ぶが、涙も、声も出なかった。
膝に軽い衝撃があり、そちらを見ると、泣きそうな顔をしたカジッチュが、キィキィと鳴いていた。
両親が駆け寄ってきて、私を抱きしめた。
両親の温もりの中で、ああ、ローガンもおじさんもおばさんも死んでしまったんだ、もう二度と会えないんだということがゆっくりと現実味を帯びてくる。そして。
「あ、ぁ、ああぁあぁあああぁぁーー!!」
気づけば、私は声を上げて泣いていた。一度溢れた涙は、もう止まらない。
私は一晩中泣き続けた。

結局、必死の捜索活動の甲斐なく、飛行機が墜落した海域からは、生存者はおろか、遺体すら見つからなかった。見つかったのは、焼け焦げた跡のある飛行機の破片と、数点の遺品のみ。その僅かな遺品の中には、ローガンやその両親の持ち物は無かった。
あの海域に住むドラミドロやブルンゲルが、全て持って行ってしまったのだろう、と、テレビで偉いコメンテーターが重々しく告げた。

一週間後、墜落した飛行機に乗っていた皆のための追悼集会、要は合同の葬儀が、ナックルシティで開かれた。両親は、私を集会に連れて行ってくれた。
黒いワンピースを着て、カジッチュを抱きかかえて周りを見る。
静かに涙を流す人、沈痛な面持ちで俯く人、泣き崩れる人、そして、泣きながらガラル航空の関係者に掴みかかる人。
私の腕の中で、またカジッチュがキィ、と鳴いた。
私は恋人を喪ったことを再認識し、再び涙を流したのだった。


それから6年。
私は、まだあの悲しい日に囚われ続けている。


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