- ナノ -




気づいたら、赤ん坊になっていた。

自分の身体がベビーベッドに寝かされていると気づいた時、私はすぐに、「転生」だと理解した。残念ながら、どのように死んだかの記憶は曖昧だったが、大切な人の記憶まで消えていないので、安心した。
しかし、しばらくして、ただの転生ではないことに気づいた。気づいてしまった。
私は、自分のいた世界とは違う世界に転生してしまったと。
この世界にも、人間と魔族と亜人がいる。しかし、対立するのではなく、共存を選んだ世界だった。科学技術と魔法が上手く絡み合い、元いた世界よりずっと、発達していた。そんな世界の、特に治安の良い国に、私は生まれた。
しかし、私は絶望して泣いた。違う世界に転生したら、もう、大切な仲間にも、恋人にも会えないと思ったからだ。
平和も便利な技術もいらなかった。大切な人たちさえいればよかった。
さらに、その後風呂に入れられて気づいたのだが、なんと私は女の身体になっていた。しかし、私は私。男だった頃の私と、中身は全く変わっていない。ちぐはぐな身体と心に、私はさらに世界を呪った。
私の今世での両親と思しき人が、毎日のように喧嘩をしては、私に罵声を浴びせるのも、精神が弱っていくのに拍車をかけた。
私は、この世界が私にとって嫌な世界だということを、生後すぐに理解してしまった。

そして、私が世界に絶望して、数日が経った。
両親は、私の世話をしたがらず、顔すら見に来ない。全て家にいるメイドらしき人に任せきりだ。たまに見に来ても、罵声を浴びせるだけ。私は、自分が望まれていない子だということを理解した。
しかし今日は、私の両親が、ベッドに寝る私を、罵声を浴びせることなく覗き込んでいる。
すると、父親が、歪んだ笑みを浮かべた。欲にまみれた、汚らしい笑顔だった。
「こいつを、男として育てよう」
私は、一瞬、彼が何を言っているか理解できなかった。
女を、男として、育てる?
私は今、心だけは男だ。だから、男扱いしてほしい。女扱いは嫌だ。
しかし、こいつは、こいつらは、私がそういう意思を持っていることを知らない。知らないくせに、押し付けようとしている。
それが堪らなく嫌で、声を上げたが、意味のない音にしかならない。父親が、私を抱き上げて掲げる。父親、そして母親の、厭らしい笑顔がよく見えた。
「この子は、男だ。」
私は、ロクでもない世界に生まれたことを、再度突きつけられた。

数年後。
数年生きてきて、私は、自分の置かれた境遇について理解した。
私が生まれたのは、この国でも有数の魔族の名家だった。しかしこの家、考え方も技術も発達したこの世界の中でも、旧時代的な考えの連中の巣窟だった。男尊女卑は当たり前。極端な選民思想。それは私がかつて忌み嫌った人間の醜さそのものだった。
そしてそんな家の、待ちに待った跡取りとして生まれたのが、私だった。ただし、家督相続の権利のない、女として。
だから、両親は私に失望した。そして、私を男として育てようと決めたのだ。
そして始まったのは、虐待に近いような、厳しい教育。殴る蹴るは当たり前。食事を抜かれることや、寒空の下に薄着で放り出されたこともあった。
それでも私とて、伊達に魔将軍をやっていない。
前世から受け継いだ頭脳や魔力で、英才教育に食らいついた。
両親は私が跡取りに相応しい人物になればあとはどうでもいいようで、私の話は聞かない、娯楽は一切与えない、褒めないというろくでなし振りを発揮していた。いやあんな奴らに与えられるなどごめんなのだが。
また、ちぐはぐな身体と心は、この世界では、「性同一性障害」と呼ばれているようだった。あまりに男扱いを嫌がらない私を見て、家お抱えの医者が両親に進言していたのを聞いたのだ。両親は、私が男として振る舞うのに都合がいいと思ったのか、何も言わなかった。

そうして、私は、家でも学校でも、「エリートの少年」として振る舞った。金持ちの通う私立小学校内でのマウント合戦で、相手を言い負かして上に立つことだけが、楽しみになっていた。
しかし、そんな私の生活は、私が10歳になる頃に崩れ去った。

弟が生まれたのだ。
家督相続の権利のある男の子。私と違い、身も心も、正しく男である、弟。
両親の関心が、「不良品」である私から、「まとも」な弟に移るのは当然だった。
ある日、両親の部屋に呼び出された。そこで両親は、
「家に縛られずに、自由に生きなさい」
などとふざけたことを言い放った。両親は、私を捨てるつもりなのだ。今まで散々家に縛り付けておいて、なんて勝手なものか。
しかし、今の私には両親に抵抗する術はなかった。こうして私は、家に漂う空気も同然の扱いになった。

両親は、弟をそれはそれは可愛がった。私に施したような虐待紛いの教育どこか、甘やかしてばかりいた。私は、家の使用人にすら無視されるようになり、ひとりぼっちだった。
そんなある日。私は、資源ごみに出された新聞に、懐かしい顔を見つけた。
「グラマリオン、様…?」
それは、かつての私の主君。魔王様。テレビでニュースを見ることさえ許されなかった私は、彼がこの世界に転生し、さらに、この世界の魔族の代表に登りつめていたことを知らなかった。
しかし、知ることができた。これは、チャンスだった。
その後、私はグラマリオン様の情報をこっそりと集めた。彼は、魔族を纏めて、平和な世界を作ろうと活動していた。その組織は巨大で、数々の大企業が傘下となっている。
そして、私に一番希望を与えたのは、グラマリオン様の組織が、幼稚園から大学までのエスカレーター式の学校を運営しているという情報だった。私立共存学院。偏差値や学校の風紀も申し分なく、教育方針にも、この世界でのグラマリオン様の夢…共存する世界を作るという夢が反映されたものだった。外部からの受験も可能だという情報を見て、私は、ある一つの決心をした。
この家を出て、共存学院に通う決心を。

そうと決まればあとは行動。私は、必死に勉学に励み、また、両親の通帳やら実印やらの保管場所、パスワードなどの特定も行なった。
お小遣いすら与えられなかった私は、そこからお金を抜き出して買ったり、学校の図書室で借りた参考書で受験対策をした。
そして、小学校6年生の冬、年の瀬が近くなった寒い日の早朝に、私は、ありったけの金を親の口座から引き出し、少ない荷物を纏めて、家を抜け出したのだった。親の口座からお金を引き出したのは、仕返しという意図もあった。

グラマリオン様の率いる組織の本部である建物にたどり着いたのは、その日の午後だった。
建物に入ると、周りの大人が訝しげに見てきた。受付から女性が出てきて、私に迷子なのかと尋ねてきたので、私は、グラマリオン様に会わせてくれと懇願した。
しかし、女性は相手にしてくれず、私を建物から追い出そうとした。三魔将の立場なら顔パスだったろうが、前世の記憶を持って生まれ直すなんてことが信じられていないこの世界で、前世の私の立場は当てにならない。
それでも私は懇願した。グラマリオン様に会わないと、私は…!
その時だった。
「おいおい、なんの騒ぎだ?」
その声は、私が何より聞きたかった声。顔を上げると、そこには、私より少し年上らしきリディアさんを引き連れた、グラマリオン様の姿。
「お前…もしかしてアスタロト!?」
「グラ、マ、リオン、さま…!」
私はみっともなく大泣きした。グラマリオン様とリディアさんが慌てて私を宥めてきたが、涙は止まらなかった。

その後私は、グラマリオン様とリディアさんに、これまでのことを話した。どうやらグラマリオン様たちは、私や他の部下を探していたらしい。しかし、見つかったのは私とリディアさんだけのようで、見つかってよかった、と言ってもらえた。
私は、恥を忍んで、グラマリオン様に頼んだ。生活の援助をして欲しいと。金は腐るほどあるが、まだ子どもの私は、家を借りることすらできないと。そうやって頭を下げると、グラマリオン様は優しく、もちろんだ、と言った。
こうして私は、グラマリオン様のお力添えで、とある高級マンションの一室を借りることに成功した。グラマリオン様は、自分の屋敷に住むことも提案してくれたが、これ以上迷惑をかけたくないので断った。
男として登録されていた戸籍も、グラマリオン様が女に直してくれた。身体の性別に合わせた戸籍の方がいいと。しかし、女物の服は着たくなかったので、男装も許可してもらった。
その後、私は共存学院中等部の特進科に外部入試で首席合格し、晴れて入学することになった。

学校内では、首席の優等生として目立ってしまったが、クラスメートとは付かず離れずの関係を保ち、ある程度の平穏を手に入れた。マウント合戦もないので、気が楽だった。ちなみに、周りには男だと言ってあるし、教師も、グラマリオン様から言われて、私を男として扱ってくれる。
部活には入らず、勉強に励んだ。休日は、グラマリオン様の元で、側近の仕事を学んだ。グラマリオン様は、もっと遊んでもいいと言ってくれたが、私は、この頃には、娯楽に楽しみを見出せなくなっていた。
そうして、首席の成績で突っ走り続け、私は高等部へ進学した。

高等部に進学して数日。私は、中等部時代からの馴染みであるクラスメートに引きずられて、スポーツ特待生が練習している体育館に来ていた。なんでも、外部受験で高等部から入ってきた魔族のイケメンが、スポーツ万能で注目されているとか。
クラスメートが、その特待生を指差す。その時、時が止まった。
そこにいたのは、私の、前世の恋人、ベリアルさんだった。
ベリアルさんがこちらに気づいて、目を丸くする。そして、ずんずん近寄ってくる。
「アスタロト!!」
「ベリアル、さん」
クラスメートが冷やかしてくる。ベリアルさんは、私の腕を引っ掴んで、中庭へと連行した。
私は、移動中気が気ではなかった。なぜなら、わかってしまったからだ。女になった理由が。
私は、この人と結ばれたくて、女になったんだと。なんて浅ましい。ベリアルさんは、性別関係なく私を愛してくれたのに。

「まさかお前もここにいたとはな。魔王様には会ったか?」
「はい、まあ。」
「お前のことだから、どうせ特進だろ?」
「ええ。」
ベリアルさんは、嬉しそうに話を振る。私は、怪しまれないように必死だというのに。
しかし、ベリアルさんの勘は恐ろしかった。口数少ない私を訝しげに見て、そしてはっとした顔になった。
「お前、なんか変だぞ」
「…そうですか?」
「身体が細くなってる。声も高い。」
「…!!」
言わないで、気づかないで。
「お前まさか…女に、なったのか?」

それを聞いた瞬間、私は走り出していた。ベリアルさんの慌てた声。数秒後、腕を掴まれる。
「待てよ!何で逃げるんだ!」
「離してください!」
「何でだよ!俺は…」
「あなた欲しさに女になるような、浅ましい私なんて、あなたは嫌いになるでしょう?」
ベリアルさんが息を飲む。手の力が弱まると同時に、私は手を振り払って逃げた。
そのまま家に逃げ帰り、魔王様に電話。「あっ、ベリアル見つけたこと言い忘れてたな。すまんすまん」なんていう魔王様にずっこけた後、電話を切って、私は泣いた。魔王様に再会した時以来の涙だった。

【放課後、生徒会室に来てください】
ベリアルさんから逃げた翌々日。下駄箱に手紙を見つけた。この学校の生徒会室に入れるのは、教師と生徒会役員、役員が許可した生徒だけだ。ということは、生徒会役員の誰かからの呼び出しだ。断る理由はない。目立ちたくなくて部活にも委員会にも入っていないが、大きな権力のある生徒会に逆らえばもっと目立ってしまう。
私は、手紙をカバンに入れ、放課後まで授業に励むことにした。

放課後。
クラスメートたちに別れを告げ、生徒会室に急ぐ。
「失礼します」
そう言って入ると、生徒会室には、人影が一つ。
「来たね」
「なんの御用でしょう、生徒会長」
そこにいたのは、生徒会長だった。爽やかな雰囲気で丹精な顔立ちの人気者だが、ベリアルさんほどかっこよくないな、と思った。
生徒会長はにこりと笑う。
「単刀直入に言おう。君、僕の恋人になれ。」
「はあ?」
生徒会長はにこにこ笑っている。私は、頭を疑問符でいっぱいにしながら反論した。
「会長。私は男ですが」
「嘘だね」
その言葉を聞いた瞬間、さあっと血の気が引いていくのを感じた。
「僕は知ってるよ。君が絶対に人のいる場所で着替えないこと。人気のない場所で着替えること。君の実家や今の環境のことも、調べさせてもらった。」
うまく息ができない。心臓がうるさい。
「君は、肉体の性別が女だと言うことを隠して、学校での地位を築いている。でも、人望も信頼もある僕が、そのことを言ってしまえば、君の地位は崩れる」
ここまできて、私はようやく、脅迫されていることに気づいた。振り返ると、扉の小窓からは、不良たちの姿が見える。見張りだ。
ぶっちゃけ、見張りも生徒会長も素手で倒す自身はある。しかし、生徒会長という地位のある彼と、優等生ではあるがなんの地位もない私では、「周りの信頼」と言う点で、彼にアドバンテージがある。
もし男装がバレても、生徒会長を殴っても、周りからは冷たい目で見られるだろう。そうして学校に居辛くなったとき、誰より心配してくれるのは、グラマリオン様だ。
グラマリオン様に迷惑をかけたくなければ、この男と付き合わなければいけない。私に、逃げ道はない。
しかし、私の頭にチラつくのは、本当に好きな人の姿。女になってでも結ばれたいと無意識下で願ってしまうほど、愛した人。
それでも私は、頷くしかなかった。
「いい子だね」
生徒会長はにんまり笑って近寄ってくる。そして、私の腕を乱暴に掴むと、備え付けのソファに押し倒した。
「いった…!」
「あははは…女だけあって綺麗な顔してるんだよなあ…ようやく犯して僕のモノにできるんだ…たまらない…!」
そう言って、生徒会長は私に覆いかぶさる。
気持ち悪い。しかし、我慢しないと。グラマリオン様の為に。私自身の為に。
生徒会長の手が、私のネクタイにかかった、その時だった。

バキィッ
部屋の外が騒がしくなってきた。誰かが殴られる音がする。
生徒会長が、なんだ、と言って振り返った。すると、ガラガラと扉が開く。そして現れたのは…。
「てめえ、人の恋人に何してやがる」
「なっ、スポーツ特待生の、ベリアル!?」
ベリアルさんだった。彼はつかつかと私たちに歩み寄ると、生徒会長の襟首を掴み、私から引き剥がした。
「何するんだ!彼女は僕のモノ…」
「あ?ふざけんじゃねえぞ。どんな手使ってアスタロトを脅したかは知らねえがよ、こいつはずっと前から俺の恋人だ!!」
そうして、ベリアルさんは生徒会長をぶん殴った。生徒会長は、泡を吹いて気絶した。

「…立てるか?」
生徒会長を足蹴にしながら、ベリアルさんは私を抱き起こした。
「…どうして」
「お前のクラスの奴に聞いた。生徒会室の方に向かったってな」
「違います!どうして、私を助けたんですか!こんな、ちぐはぐな不良品を!浅ましい奴を!このことがバレたら、あなたは…!」
「バーカ」
ベリアルさんは、私の叫びを一蹴する。バカにバカと言われた私は、ぽかんとする。
「俺はな、お前が男だろうが女だろうが、それこそ皺くちゃの年寄りだろうが関係ねえ!お前が好きだ!愛してるんだよ!」
そう言って、ベリアルさんは私を抱きしめる。
「浅ましいわけあるかよ、お前はお前だろ」
優しくて、温かい声。それは、私が惚れてしまった人のもので。
「馬鹿はあなたですよ、もう…。」
私は、ベリアルさんを抱きしめ返したのだった。

その後、ベリアルさんが魔王様に報告したおかげで、生徒会長は、様々な生徒を脅迫したり、犯罪行為に手を染めていたことが明らかになり、退学させられた。
私は、男装はやめないものの、ちぐはぐな心と身体について偽るのを辞めた。幸い、賢いクラスメートたちは私を排除しようとはしなかった。
そして、もちろん、ベリアルさんとの関係も修復された。

「よお、一緒に帰るか」
「ええ。」
二人並んで帰る幸せな時間。私たちの関係は、リスタートを切ったのだった。



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