- ナノ -

プロローグ


可もなく不可もなく、地味に平凡に生きてきたはずだった。
普通の家庭に生まれ、勉強も運動もそこそこに、家族とも友達とも付かず離れずの距離感を保ち、趣味にはそれなりに熱を上げて。
群衆の中であっという間に姿が見えなくなるモブのような人生だが、それで良かった。良い意味でも悪い意味でも、目立つのは面倒臭いし、私はそんな器ではないことも理解していた。
大きな成功も絶望的な失敗もいらない。お弁当に、たまに好きなおかずが入っているような、そんなささやかで平凡な幸せを享受して生きていたかった。
なのに、どうして、こんなことになったんだろう。

太陽が西に傾き始める、穏やかな午後。
授業が終わり、皆が帰途に着いたり部活を始めたりする時間。部活に入っていない私は、普段なら真っ直ぐ家に帰るのだが、今日は家とは別の方向に歩いていた。
学校の近くにある駅前の繁華街に、寄り道するのだ。本屋やアニメグッズのショップなどもある繁華街で、オタクの私には天国のような街だ。ちなみに、私の家は、繁華街と逆方向、学校の徒歩圏内にある。
朝食の時に母から、「今日の晩御飯はあんたの好きなグラタンよー」なんて言われたし、家の冷蔵庫には、おやつ用のプリンが待っている私は、いつもより機嫌良く、軽い足取りで繁華街へ向かっていた。
と、前方に人影。その人影を見て、私は思わず見惚れてしまった。
ゆるふわカールの金髪に、大きくてくりくりな琥珀色の瞳。すらりとした体躯。こちらに向かって歩いてきたのは、漫画から飛び出してきたような美少女だった。しかも身に纏っているのは、県内でも屈指の名門私立高校の制服だ。
数秒見惚れて、はっとした。いかんいかん、見ず知らずの子を凝視するなんてどこの不審者だ。でも、あんな美少女いるんだなあ。
そんなことを思いながら、目を逸らしてその子とすれ違った、時だった。
一歩踏み出したと思ったら、がくん、と身体がバランスを崩す。世界がスローモーションになり、私の眼前には、いつのまにか空いていた大穴が広がっていた。
そのまま数秒の浮遊感の後、べしゃっと腹から地面に叩きつけられた。
「いったたたた…」
じんじん痛む身体をゆっくり起こして、固まる。
そこは、360度何処を見ても真っ白な、何もない世界だった。
どうなってるんだ、と声を上げようとした時だった。
『ディアナ、ようこそ、我らの世界へ!』
『ああ、ようやく話すことが出来た!』
横から、二つの低い声が聞こえた。
慌てて横を向いて、息を飲んだ。
そこにいたのは、あり得ないもの。
でも、私が叫ぶ前に、可愛らしい声が聞こえた。
「あなたたち、ディアルガとパルキア?!」
その声に、なぜかいる…ポケモンのディアルガとパルキアの足元を見ると、先程の金髪の女の子がキラキラとした表情で彼らを見ている。
『ディアナ、君に会いたかった!』
パルキアが歓喜の声を上げる。
『ディアナ、君を我らの世界に招待しよう。』
ディアルガが優しく言う。
二体の慈愛のこもった視線に、ディアナと呼ばれた女の子はさらに嬉しそうになる。
「私、ポケモンの世界に行けるのね!嬉しい!ありがとう、ディアルガ、パルキア!」
二体と一人は、私に目もくれず、話を進めていく。でも、大体状況はわかる。あの子は、愛されトリップ夢主か。でもそれなら、私は…?
『我らから、向こうの世界で困らないように贈り物も用意した。』
『たくさんあるから、有効活用してくれ!』
『さあ、行きなさい』
『また会えるさ、必ず…』
優しいディアルガとパルキアの声と共に、女の子は光に包まれる。
「また会いましょうね!ディアルガ、パルキア!!」
その声と共に、女の子は消えた。
そして、沈黙。
私は、どうしたらいいかわからなくて、二体の神様を見つめた。
と、ディアルガとパルキアの目が、こちらを向いた。
『….ん?』
『え…?』
二体が、声を漏らす。私は、ようやく自分に気づいてもらえたと安堵する、が。
次のディアルガの一言で凍りつくことになる。
『ディアナを召喚した時にちょうど側にいた女…か。何故ここにいるんだ』
女の子の時とは違う、冷たく、面倒臭そうな声。ディアルガはパルキアの方を向く。
『どういうことだパルキア』
『ああ、ちょっとミスっちゃったかな。』
「…は?」
パルキアも面倒臭そうに答える、が、私はそれより、彼の言葉に反応した。
「ミスったって、どういうこと…?」
パルキアが、こちらを向いて、冷たく吐き捨てた。
『ディアナを連れてくる時、お前がそばにいたから巻き込んじゃったんだ。全く、タイミング悪すぎ…』
あんまりな言い草に、怒りが募る。それはこっちの台詞だ、と言い返そうとした時、次はディアルガの声が聞こえた。
『して、この女どうする?』
『うーん、ここに連れてきちゃった以上、もうあっちに帰せないしなあ』
「はあ?!」
帰せないって。私は、もう家に帰れないの?そっちのミスで連れてきておいて、そんな勝手が許されるのか。
抗議しようと口を開くが、それを遮るように、パルキアが言う。
『お前も、不本意だけど俺たちの世界に連れていく。野垂れ死なれても寝覚めが悪いから、旅ができる荷物だけは与えてあげる。お前なんかに情けをかけるんだ、ありがたく思ってよね』
「あんたたち…!」
ふざけんな、そう言おうして、そこからの記憶がない。



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