- ナノ -



復讐の程度


マサコ視点






「目には目を、歯には歯を」という言葉をご存知だろうか。
これは私の好きな言葉なのだが、有名なものだと、古代バビロニアのハンムラビ法典などに見られる、報復律のことだ。
これは、人が誰かを傷つけた場合、その罰は同程度のものでならない、という意味を表し、特定の犯罪に対し、その苦しみに相応しい処罰を明記した法制度に広く利用できる言葉だ。法で裁けぬ悪を裁く仕事とはいえ、復讐屋である私に、相応しい言葉ではないだろうか。
しかし、私は、この言葉が報復律だから好きなわけではない。
この言葉は、一見、「復讐は何も生まない」なんて綺麗事無しに、復讐を容認しているように見える言葉だが、その実は、「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の処罰にとどめる」という意味合いを持っていると言われているのだ。
これは、報復合戦の拡大を防ぐためだとされている。そしてこれは、私自身にブレーキをかけるための言葉でもあるからなのだ。











「このクソ親父!よくも私たちを捨てて自分だけ幸せになろうとしやがって!」
廃工場にそんな叫びが響く。一人の中年女性と二人の女の子が一人の男を殴ったり蹴ったりしている。私とノーラちゃんはただそれを黙って見ている。
今回のターゲットは、浮気をして妻子を捨てて家を出て行ったクソ野郎と、そのクソ野郎を誑かし、捨てないでと追い縋る、クソ野郎の妻子を嘲笑った雌豚だ。依頼者はもちろん、クソ野郎の妻子。そして現在、その妻子によってクソ野郎は絶賛リンチ中なのだ。え?雌豚の方?雌豚はすでにボコボコにし終わって床に転がしてある。起き上がれないようにジョーカーくんにサイコパワーで動きを止めてもらっている。
しかし色恋が絡んだ復讐の依頼は泥沼化するから怖い。いや復讐なんてみんなドロドロしてるんだけど。
そんなことを考えながらリンチを眺めていると、クソ野郎の娘のうち、姉の方がリンチをやめた。そして、姉の様子に気付いた妹や母親もリンチの手を止める。クソ野郎は地面に這いつくばって三人を見上げている。ちなみに、こいつもサイコパワーで動きを止めてもらっているので起き上がりも抵抗もできない。姉は口を開いた。
「あんたさぁ…なんで生きてんの?私たちが死ぬほど辛い目にあってんのに、なんであんたたちだけ幸せになってるわけ?」
言いながら、姉はズボンのポケットに手を突っ込んだ。あ、嫌な予感がする。
「浮気して人を傷つける奴なんかに、生きる価値なないよね」
そういって姉が取り出したのは、ナイフだった。予感的中。これは止めないとまずい!
そう思った時だった。今までされるがままだった男が口を開いたのは。
「ま、待ってくれ!確かに、浮気したのは俺が悪かった!許してくれ!それに、元はと言えばそこに転がってる女が俺を誑かしたのがいけないんだ!殺すならあいつを殺してくれ!それで、また家族四人でやり直そう!な?!」
「!」
このクソ野郎、救いようがない。自分が助かりたいが為に、妻子を捨ててまで選んだ女を売りやがった。隣でノーラちゃんがゲラゲラ笑っている。女は、「あ、あんた…!」とか言いながら絶望した顔をしてる。そして、依頼者さんたちは一瞬、一切の表情を失った後、怒りを剥き出しした。男の命乞い(笑)は火に油を注ぐだけだった。姉がナイフを振り上げた。
「ふざけんなああああああ!!!」
そして振り下ろされるナイフ。が、そのナイフが男に届くことはなかった。なぜなら…。
「な、なんで…」
「ナイスだよ、ジョーカーくん」
ジョーカーくんがサイコパワーで姉の動きを止めたから。
『マサコ、今一瞬、『このまま殺させてもいいや』と思ったでしょう。ダメですよ。自分の美学に逆らっちゃ』
「あはは、バレてた?」
ジョーカーくんの咎めるような声に応える。私は頭の中で「目には目を、歯には歯を」と唱え、未だ動きを止められている姉と、ぽかんとしている妹と母の方へ向き直り、ぱんぱんと手を叩いた。
「はい、そこまでにしましょう」
「復讐屋さん!どうして止めるんですか!」
姉がまた叫ぶ。妹や母も同調する。
「そうですよ!こんな奴生きてる価値もない!」
「復讐していいんでしょう?!」
私はできるだけ静かに言う。
「復讐にも『程度』があります。今あなたたちがここでそれを殺したら、あなたたちは殺人犯です。つまり、『そいつら以下』になりますよ?」
すると、依頼者さんたちがはっとした顔になった。
「私は、あなたたちに、『そいつら以下』になって欲しくない。私の最終目標は、『依頼者さんの幸せ』ですから。」
「復讐屋さん…」
誰かがそう呟き、それと同時に、ジョーカーくんが姉のサイコパワーを解いた。ナイフが落ちて、からん、と音が鳴った。依頼者さんたちがこちらを向く。
「復讐屋さん、ありがとう」
「いえいえ」
皆笑顔だった。しかしその笑顔はすぐに冷たい表情に変わる。依頼者さんたちは未だ転がっているクソ野郎と雌豚に視線をやる。そして、
「二度と私たちの前に現れるな」
と言った。
「行きましょう、復讐屋さん」
「そうですね」
そうして、依頼者さんたちは廃工場を出て行く。私は、ターゲット二人に歩み寄った。
「どうですか?少しは彼女たちの痛みがわかりました?恨むのはお門違いですよ。自業自得なんですから。あ、あと、今夜のことや私たちのことを口外するようなことがあれば…わかってますね?」
二人は顔を青くする。
「そんなわけなので、私たちは帰ります。お二人はどうぞご自由に。末長く仲良くしてくださいね。できたら、の話ですが。さあノーラちゃん、ジョーカーくん、行くよ」
こうして私たちも廃工場を出て行く。




こんな風に、私の目標である、「依頼者の幸せ」を達成するために、「目には目を、歯には歯を」という言葉で、私は自分にブレーキをかけるのだ。