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殺した恋心


「私よりもずっとずっと賢くて、それだけど、ちょっと危険な人が好き」
彼女のこの言葉は一見漠然としていたけれど、確かに具体的なものだった。裏と表を含んだ、人を抉る刃物のような二面性を持ち合わせていた。それは決して意図的なものではなく、悪意など一切なく、むしろ彼女は聖女のように優しく残酷で、綺麗で狡い女性だった。それが見抜けてしまったから、賢くてちょっと危険で、だけど彼女にとって何かが足りなかった僕は、「僕なんてぴったりじゃあないか」、という浅はかな、しかし本気だった恋心を静かに黙って押し殺すことしかできなかった。僕の好きな彼女は、明らかに僕ではない、誰か、遠い人に恋をしていた。だから、この瞬間に僕は彼女に対する愛情や幼稚な束縛、物欲に似た支配欲、性欲だとか、嫉妬心だとか、とにかく、彼女にしか向けない情欲、そこら辺のものが満たされることはもう完全に無くなってしまったのだ、というあらゆる絶望を味わった。ただそれだけの話だ。
「私ね、ボスが好きなの。絶対に叶わない恋なんだけどね、好きなの、どうしても」
ある日、任務に向かう途中に名前がぽつりと呟いた。口を手で覆って、上品にはにかんで笑う仕草が素敵だった。普段の仕事の際には絶対見せない、擁護された子どものように安心しきった顔だった。僕は名前のそんな表情を初めて見た。僕ではない誰かを思いながら笑う名前は、余りにも幸福に満ち溢れていて、だけどひどく一方的で、献身的な恋愛の仕方で、美しいくらいに健気で…名前の全部を奪いたくなるような気持ちになった。それが、何故だかひどく気持ち悪かった。吐き気のするほど幸せそうな表情の名前を死ぬほど欲しいと感じた。僕は醜い嫉妬をしていた。ああ、今ここで微笑む名前を今すぐこの腕の中に閉じ込めたい。誰にも見せたくない。僕にしか見せないで。名前を愛している。そう思う度に彼女と僕が黒く濁った存在になっていく気がした。嫉妬による自己嫌悪に苦しむ日々が続いていたけれど、幸いにも時間はいつの間にか過ぎていく。名前に対する僕のこの思いも段々と変化していった。まだ名前を思っている部分は確かにあるし、僕の汚い感情を全て処理出来ているわけではなかったけれど、問題はすでに"どうすれば関係が上手く成功するか"、ではなく"どうすれば諦められるか"、になっていた。彼女と挨拶しなくなって、話さなくなって、距離を置いて、無事に任務から帰ってきたことだけは確認して、それだけの日々が続いた。もう君のことを忘れられる、君は完全に僕の中からいなくなった、僕はもう少し君に何かしてあげるような恋愛をしたかったけれど、これでもう充分だ。そう、思えるようになった。

暫く精神的に平和な日々が続いた。前のように笑えるし、前のように仲間とふざけあったり出来る。ああ、これくらいでいい。高望みの幸福は求めなくていい。こういう普通が一番重要で幸せだ。今の現状に満足することができる。仲間と昼食を食べながらそう感じた。丁度、その時だった。先程まで携帯で誰かとやり取りしていたブチャラティが神妙な面持ちでやって来た。また、難しい任務を任されたか、下っ端が小さなミスでもしたんだろう。そう思っていた。が、大きく違った。
「別チームの名前が任務中に死んだ」

「は?」
名前、名前。彼女の名前だ。彼女が、死んだ?死んだ、死。詳しい内容は分からない。ただ、ボスを護って死んだのだと、それだけはっきりと聞き取れた。血の気が下がった。目の前が真っ暗になった。数日、何も食べれなくなって言葉も発することができなかった。数ヵ月経って、ようやく名前の死を実感した。

僕は毎晩、誰にも見られることのない深い時間に名前のいる霊園に足を運ぶようになった。墓の前に数時間立ってただぼうっとして、冷たい石に彫られた彼女の名前を指でなぞって、すがりながら泣き崩れて、またうずくまってぼうっとして、朝日が昇って眩しい時間帯になるまでたくさんたくさん、名前を思って考える日がまた続いた。何故彼女が死ななければならなかったのか、だとか何故守ってやれなかったのか、だとかはあまり考えなかった。ただ無気力に、どうして、自分でも分からないけれど名前のことしか考えられないようになった。君はなんて狡い人なんだ。君はなんて酷い人なんだ。君はなんて、なんて、なんて…ボスはファミリーの幹部でさえも会えない人物だったんだ。そんな叶わない恋を、自ら知っていながら続けていたんだ。彼女は、名前は…僕はいつか君を忘れられる日が来るまでこの霊園に通い続けるんだろう。それでいい。もう少ししたら僕も君を忘れることに専念するから。

ところで、いつも君のお墓の上に置いてある花束は誰からなんだ?ぴったり君サイズのウェディングドレスはなんなんだ?増えていくブランド品が入った箱はなんなんだ?今日、新しく置かれているこの小さな包みは誰からのなんだ?また、また黒い気持ちになっている。震える指で中身を確認するとダイヤの指輪だった。明らかに、結婚指輪だ。くるり、と指輪の裏を確認すると、そこにはDiavoloという男の名が彫ってあった。
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