リクエスト | ナノ

▼ (後編)
私は独学で美術の勉強を始めた。画材屋で使い方を聞いたりクラスの美術部の子に描き方を教わりに行ったり。あっちにいったりこっちにいったりで毎日奔走していたからかなり目立っていただろうが、そんな凡人の努力を無駄だと言って笑う人は以外にも一人もおらず、皆が背中を押してくれたのは心強かった。

家庭のことについては、親には妹の面倒も家事もちゃんとやると言って説得した。今まであまり自分の意見を言う子供ではなかったからか、親は「そこまでしなくても部活くらいしっかりしなさい」とあっさり了承してくれた。どうやら私は家事を隠れ蓑にして自分を誤魔化していただけだったらしい。
誰も強要なんてしていないのに、自分から逃げていただけだった。

……けど、いまは違う。準備は整った。やれることは全部やった。

季節は本格的な夏を迎える7月下旬。美術部顧問にアポを取って、入部テストをしてもらえるよう頭も下げた。
時季外れの入部希望者に驚きつつもテストを受けることを許可してくれた顧問が指定した日にちは、なんの偶然か、青八木くんと手嶋くんがレギュラー争いをするという合宿の日程と被っていた。

それだけで心が強くなる。同じ時に彼らとともに戦っていると思うと自信がわいてくる。
それはとても不思議な気持ちで。だけど自分を押し殺していた頃には感じえなかった高揚感がある。





「このモチーフを2時間で自由に描きなさい」

私は用意されたキャンバスの前に座りながら、目の前に置かれたヴィーナス像を睨むように見つめていた。
周りでは美術部員たちが自分たちの作品を手掛けながらも興味深そうにチラチラとこちらの様子をうかがっていた。手のひらからどっと汗が流れてくる。静かな美術室の中、心臓の音が皆に聞こえてしまうのではないかというくらい緊張していて、呼吸すら震えているのを自覚していた。

「それでは、よーい……――始め!」

顧問からの号令がかかり、私は一瞬ギュッと目を強くつむる。途端浮かんできたのは私の背を押してくれた二人の顔で。彼らも今この時、戦っているのだと思ったらウソみたいに力がわいてくるのを感じて、ゆっくり目を開けた。

真っ白なキャンバスに、鉛筆で色を付けていく。技術なんてないに等しいけど、私には描くことしか道がないのだ。





**********






テストを終えて数日後、私はテスト結果を受け取りに美術部に寄った後、その足で自転車競技部の部室へと足を運んだ。
彼らももう合宿を終えて帰ってきているはずだ。結果をメールで聞けばいいのだが、これだけは二人の口から直接聞きたかった。そして私の結果も二人に聞いてほしかった。

初めて足を踏み入れる体育会系部の敷地は、どこに何があるかさっぱりで、私はオロオロしつつ青と白の自転車に乗った背の高い男の子におそるおそる声をかけた。

「あのう、すみません人を探しているんですが……」

切れ長の目が私をとらえて少しだけ見開く。この暑い中を走っていたのか、彼の額から汗が伝ってパタパタと地面に落ちていた。あまりの量だったので心配になって持っていたタオル地のハンカチを差し出すと、彼はハッとしたようにそれを受け取り、「ありがとうございます」と大事そうに握りしめて自分の練習着の裾で汗をぬぐった。

……え?使わないの?
混乱している私をよそに、彼は必死な形相で私に何年の何組なのかとか、好きな食べ物とか、血液型とかを聞いてくる。顔はものすごくイケメンだと思うのに、少し……いや、かなり怖かった。
完全に話しかける人を間違えた。どうにか逃げようと後ずさりすると、ガシリと手首を掴まれて引き寄せられた。いやー!!怖い怖い!近い!

「頼む、せめて名前だけでもっ……――」

言いかけた男の子の顔に、すごい勢いでボトルが当たった。随分と鈍い音がしたから、あれ、たぶん中身入ってる。
突然起こった衝撃的な事件。私は動くこともできなかったが、男の子が卒倒すると同時に離れた手を、今度は別の誰かが掴まれて後方へと引っ張られた。
バランスを崩した体を難なく受け止められ、私を隠すように、誰かが前に立ちふさがってくれる。

いや、『誰か』ではない。見覚えのありすぎる二つの背中に、緊張で強張っていた体から自然と力が抜けるのがわかった。

「なーにしてんだ、エリートぉ。練習サボッてナンパか?」

悪魔みたいな声色で、手嶋くんがボトルを手の中で軽く投げてはキャッチしての動作を繰り返している。さっきのボトルは彼か。普段そんな暴力的なことも、挑発的なこともしない優しい人だから、そんな一面があったなんて知らなかった。

「……相手が悪かったな、今泉。この子はダメだ。他を当たれ」

並んだ青八木くんの声には珍しく怒気が含まれている。私の手を引いてくれたのは彼で、その証拠に未だ私の手は彼に握りこまれたままだった。

今泉と呼ばれた男の子がよろよろと体勢を整え、立ちはだかる二人を睨む。あれだけの重量物が直撃したのに、ちょっと鼻血が出たくらいで済むなんて人間って存外丈夫だ。なんだか妙に感心してしまった。

「アンタたちには関係ないでしょう」
「へー!言ってくれるね!流石、インターハイレギュラー様は余裕だなぁ?」

そのセリフに、今泉くんがギクリと肩を揺らす。けれど反応したのは彼だけではない。私も、今しがた手嶋くんから発せられたその言葉が何を示すのかを考え、混乱していた。
どこか気まずそうな今泉くんが、向けていた視線をゆっくりと下げていく。そこに答えがある気がして、私も同じように二人の足元に視線を落とすと、ハッと息をのんだ。

思わず二人のTシャツをギュッと握る。言葉が出なくて、頭を擦り付けるようにして背中に縋れば頭上から優し気な吐息が漏れて私の頭を撫でてくれた。それがどうしようもなく悲しくて、切ない。

ハーフパンツから覗く、包帯でぐるぐる巻きにされた両脚。それが、合宿で起きたすべての結果を物語っていた。
両脚の肉離れだ、と青八木くんが静かな声で言う。

「でも別に、だからと言って何もかも諦めたわけじゃない」
「収穫はあったからな。まだ心は折れちゃいない。オレたちはまだ戦える」

言った二人の表情は、なるほど諦めた顔なんて全然していなくて、むしろ来年を見据えてギラギラと野心を燃やしているように見えた。
……本当に強い人たちだ。
見知った顔が、なんだかすごく眩しくて、目の奥がジンと熱くなってきてしまう。するとそれを見た青八木くんが今泉くんの方へ歩いていき、彼の握っていた私のハンカチを無理やり奪うと、少しクシャクシャになったそれで滲んだ私の涙を拭ってくれた。
何故か完全に撃沈してしまった今泉くんと、不器用だけど優しい青八木くん。そのギャップに思わず吹き出して笑うと、二人も安心したように笑い返してくれた。

「で、そっちは?入部テストどうだった?」

問われて、私は首を小さく横に振って少しうつむく。
先ほど結果を貰いに行ったばかりのテスト結果は、残念ながら不合格だったのだ。それを聞いて、「そうか」と私以上に残念そうに肩を落とす二人に、私は「でもね」と声をかけ、持ってきていた入部テスト用のスケッチブックを二人の前に出した。

「ココとココと、あとココを直してもう一回持ってこいって。見てやるからって」
「……っそれって!」
「うん。私もね、希望があるなら諦めないから。二人と一緒に走るから」

――だから、また一緒に戦ってくれる?
二人の前へ差し出した両手。握り返してくれたらとても嬉しい。
私の提案に二人は顔を見合わせて悪戯に笑うと、私を力いっぱい抱きしめることで答えてくれた。






〜おまけ〜

「あれはムリやでえ、スカシ」

大事なハンカチを奪い取られたショックで地に伏したまま動かなくなった同期の肩を、鳴子がポンと叩いた。

「無口先輩とパーマ先輩があのヒト傍に置いて離さへんのなんて有名な話やろ」
「知らない」
「はあ?知っとったから絡んだんとちゃうんか」
「一目ぼれしたんだ」
「……は?」
「惚れた」

うわ言のようにつぶやく今泉の目は、目の前でじゃれ合っている先輩たち……いや、彼女にしか向いていない。

「……冗談キツすぎるで、スカシ」
「ふざけるな!冗談なものか!鳴子頼む、彼女のハンカチ取り戻して来てくれ!涙も染みてるとかレア度高すぎ……――」

瞬間、ガスッと鈍い音がして、鳴子は今泉の頭が再び地面に沈んだのを視界の端でとらえた。彼の頭の上にはボトルが刺さっている。どうやら、今泉の言動に気が付いた手嶋が持っていたボトルで思いっきり彼の脳天を殴ったらしい。

「さあーて。言い残すことはないか、今泉?」
「イヤイヤイヤ、あるかないか以前に自分いまトドメ刺しましたやん!」
「どうした鳴子?ボトルならまだ沢山あるぞ。お前にもやろうか」
「……ナンデモアリマセン」

目を泳がせて、鳴子は答えた。

……スカシはいつもスカシとるし気に食わんけど、今回ばかりは気の毒に思う。諦めろスカシ。あのヒトらの執念深さは合宿で痛いほど身に染みたやろ。こればっかりは絶対手ェ出したらアカン物件や。

瞳の笑っていない手嶋に血の気の引いた作り笑いを向けて、もう一度今泉の肩を叩いてやった。



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