リクエスト | ナノ

▼ (中編)
それからというもの、私たちは急速に仲良くなった。
と言っても、隣の席のよしみとしておかしくないくらいの会話と、よく授業ノートを貸し借りする振りをして自分たちの描いた風景画の見せ合いをするくらいの仲だけど。
それでも今まで変に噂されたりするのが嫌で男の子とほとんど話さなかった私にとっては大躍進だ。

日直で彼と二人になった時には絵だって描く。人に見られながら描くなんて初めてだったけど、青八木くんの前でなら不思議と緊張せずに描けることに気がついてしまったのだ。

しかしある時、そうやって絵を描いているときに、他のクラスの男の子が青八木くんを訪ねてきてうっかり描いている絵を見られてしまった。
慌てて隠そうとして盛大に椅子から転げ落ち、それでもノートを死守しようと抱き込むと、その必死さに圧倒されたのか見知らぬ男の子はしばらくポカンと口を開けていた。
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。上を向けないし、もう立ち直れない。

「あー……佐藤さん、純太だ。同じ部活の。イイ奴だ」

地べたに座り込んだまま動かない私に、青八木くんも相当焦ったのか、何故かここで彼の紹介をしてくる。
ちょっと待って、いまそんな場合でもないし、反応もできない。
すると、パニックになっている私達の様子を見かねてか、純太と呼ばれた男の子が私の方へサッと手を差し出してきた。

「ごめん、先に声かければよかったな。オレ手嶋純太。よろしくな」

このスマートさは完全にスクールカースト上位の人のそれだ。目の前に出された手のひらにぎこちなく手重ねると、グイ、と上に引っ張り上げられて先程転げ落ちたばかりの椅子に座らされた。
そして何故か彼もそのへんの椅子を引っ張ってきて、私達と向かい合うように座る。目が合うとニッコリと微笑み返してきたので慌てて逸らせば、不躾な私の態度を気にも留めていないように今度は青八木くんの方へ話を振っていた。

「青八木、日直の仕事まだ時間かかりそう?」
「この日誌書いたら終わりだ」
「オーケーじゃあここで待ってる」

……ちょっと。ここで待たれると、とっても気まずいんですけど。

心で思っても、決して口には出せないのが私という人間だ。それに、今ここで万が一何か口走って角が立ってしまうようなことがあれば後々面倒だし。

ああ、出来るなら帰りたい。けど、同じ日直なのに青八木くんを置いて帰るのも忍びない。

とりあえずノートだけは仕舞おうと自分の机の横にかけてあったカバンに手を伸ばすと、目ざとくもそれに気づいた手嶋くんが私よりも早く手を伸ばしてカバンを持ち上げ、掴みどころのない笑顔を向けながら「はい」と渡してきた。

「あ、ありがとう」
「どういたしましてー」

男の子から親切にされることに慣れていない……というか、青八木くん以外の男の子と話すこと自体に慣れていない私がドギマギしながらノートを鞄にしまっていると、なんだか妙に視線を感じた。恐る恐る顔を上げれば、手嶋くんが私の手元のノートを凝視しながら興味深々といった感じで「ところで」と切り出した。

「佐藤さんって絵描くの?さっきちょろっと見えたんだけど」

……やっぱり見られてた!
途端かあっと顔が熱くなる。さっきみたいに無様に椅子から転げることはなかったけど、それでも傍目から見ればひどく動揺し
ていたのだろう。私の反応に驚いた手嶋くんが目を丸くして、少し前のめり気味になっていた姿勢を後ろに引いたのが見えた。

……今度は引かれた!
確かにこんな話しかけられただけで過剰反応する変な女が目の前にいたらカースト上位の男の子はドン引きだ。私は思わず青八木くんが日誌を書いている机に擦り付ける勢いで頭を下げ、応援団顔負けの声量で目の前の彼に謝罪した。

「下手な絵でお目汚しして申し訳ございません!」
「うお、何それ!?いや、誰も下手だなんて言ってないだろ!オレはうまいと思ったから話しかけただけで」
「まさか!うまいっていうのは美術部の人たちの作品のことだよ!」
「え、佐藤さん美術部じゃないのか」
「違う!まさか!私なんてっ……――」

最後まで言い切る前に、私はハッと我に返った。別に手嶋くんは悪くないのにこんな風に強く否定してしまうなんて失礼極まりない。誤魔化すように途中になっていたノートを仕舞い込む作業を再開して、鞄を腕で強く抱くと、私はつぶやくように先ほどの続きを声に出した。

「私なんか、入れないよ」

私がそう断言したのには理由がある。

我が総北高校の美術部は、プロの講師が指導をする文化部とは名ばかりのかなり厳しい部活だったりするのだ。

今現在プロで活躍している芸術家の中にもうちの美術部出身の人が何人も居て、それゆえ芸術家志望の生徒たちが毎年多く入学してくる。
けど、入部希望者を全員入部させていたら手が回らないということで、美術部には入部テストというものが存在するのだった。

美術部は、そこで先生に可能性を魅入られた生徒だけが入れる、ある種特別な部活なのだ。

……そんなところに人前で絵を描く自信すらない私が入れるわけがない。
再度念を押すように、けれをも今度は感情的にならないように気を付けながら否定すれば、手嶋くんは「ふーん」と少し腑に落ちないような返事をして机の上に頬杖をついた。

「でもオレはケッコー好きだけどな」
「お世辞とかはいいです」
「いやいや、素朴でいいじゃん。青八木の絵と雰囲気似てて見てると落ち着く感じ。なあ、もっかい見せてよ。青八木には見せてるんだろ?」

まっすぐに見つめられて私の体がギクリと強張る。もちろん見せられるわけがない。守るようにノートの入ったカバンを更に強く抱いて彼から遠ざけるようにすれば、そのやりとりを見かねた青八木くんが咎めるように彼の名を呼んだ。

「……純太」
「はーいはい、わかってるよ。ごめんね佐藤さん。もちろんジョーダンだから」

あはは、と笑った手嶋くんが椅子から立ち上がると同時に、図ったかのようなタイミングで青八木くんも席を立つ。
どうやら手嶋くんとやり取りをしている間に日誌が書き終わっていたらしい。

これから部活がある青八木くんの代わりに私が職員室に日誌を届けに行く係になっているので受け取ろうと手を出すと、青八木くんもコクリと頷いて黒表紙の日誌帳を渡してくれた。

「じゃあ頼む」
「うん、部活頑張ってね」

見送る私に青八木くんはいそいそとカバンを持って教室を出ていく。その後ろを付いて出ていこうとした手嶋くんが、去り際くるりとこちらを振り返った。

初対面だが手嶋くんの掴みどころのない飄々とした所はちょっと苦手だ。まだ何かあるのだろうかと体をこわばらせれば、彼はさっきまでのチャラけた態度とは一変した落ち着いた様子で口を開いた。

「青八木ってイイヤツだろ?」

コソコソと耳打ちするみたいな声。いきなりそんな話し方をされたから、私も咄嗟にコクコクと頷くだけの返事になってしまった。
けれど、手嶋くんにはそれで十分だったらしい。彼は私の返答に目を半月の形にして、本当に嬉しそうな表情をして笑って見せた。

「オレもさ、他のやつには見せないような自分を青八木には見せちゃうんだよなあ」

なんでだろうな、なんて。まるで独り言のようなセリフ。
ポカンとしている私に、手嶋くんは元のように悪戯な笑みを浮かべて手を振った。

もしかして、同類だと思われたのだろうか。いやいやまさか。どう見たって手嶋くんはクラスの中心になって目立つような、そういうずっと上の階層の人だ。

……気のせいだ、気のせい。
けれど彼が最後に放った言葉だけは共感できる。カースト上位の人と共感できる感情があるなんて、なんだか不思議な気分だった。





突拍子もない初対面となってしまった手嶋くんだが、彼はそれからというもの私と青八木くんを見かけると話しかけてくるようになった。
話してみてわかってきたのだが、手嶋くんは性格こそ派手で明るく見えるが根っこの部分は私達とそう変わらないらしい。つまりは彼も『凡人』だったのだ。

クラスの男子と仲良く騒いでいるように見えても、実はうまい具合に距離をとって傍観している方が多いし、頼まれればやる、というくらいで自分から目立ちに行くこともなかった。

悩みもあるし、どうしようもない劣等感も抱えている。その対象となるのは主に彼らの所属する部活のことで、彼はいつだって自転車のことで楽しそうに悩んでいた。
男子と騒ぐより、同じ志をもつ青八木くんの傍で互いを高め合っている方がずっと生き生きしている。
前に彼自身がそう発言したように、なるほど青八木くんの傍にいる手嶋くんは非常に居心地が良さそうだった。

そして私はというと、手嶋くんが熱心に通い詰めてくる青八木くんの隣の席なので、否応なしに彼らの悩みを聞いてしまう立場にあった。

うちの高校はインターハイ常連の強豪校で、何でも今年は一年ルーキー達に怪物が多いらしい。
ジュニアレースで優勝しまくっている子や、体格差をもろともせずに駆け抜ける関西人。自転車を初めて間もない素人なのにすごい走りをする子もいるらしい。

どうやら先輩に花を持たせるとかそういう感じの後輩たちではないようで、夏休みに開催されるインターハイのレギュラー選考合宿でも本気で勝負を挑んでくるつもりなのだ、と彼らは辟易したような……けれどどこか楽しそうな表情で語っていた。

だから、最近の休み時間の話題はもっぱらその合宿での作戦会議だ。
真剣な話をしているんだから、部外者の私なんて放っておいてくれればいいのに、手嶋くんは隣の席で大人しく座っている私がよっぽどヒマに見えたのか、事あるごとに「ここに自転車の絵描いて」だとか「この地図の赤く塗ってあるルートだけ抜き出して描いて」だとかコキ使ってくれた。

……ヒマだったのは否定しないけど、だからといって喜んで描くと思ったら大間違いだ。
でも口には出せない性格なのでしかめっ面しつつ言う通りに描いていたら、いつの間にか彼の前でも絵を描くことに抵抗がなくなってしまっていた。

隣の席でああでもないこうでもないと言い合い、時にはケンカにまで発展する彼らを横目に見て笑いながら私は、自由に好きな絵をノートに描く。少し前までは信じられなかった光景。だけど、それは確かにいま、私の日常になっていった。






「すごいなあ、二人は」

私が呟けば、その声に反応して二人がこちらを振り向く。
今日も作戦会議の真っただ中だった彼らは、突然の私の言葉の意味が本気で理解できなかったらしく「何が?」と言いたげな顔だった。

ああ。その人たちに自覚はないのか。なんとしてでも勝とうとするその努力が、傍から見れがすごいものなんてこれっぽっちも思っていないのだ。

だって、もし私が彼らの立場だったら、きっと早々にレギュラーを諦めて席を譲っていることだろう。自分を凡人だと理解していて、なおかつ相手が天才だとわかっているならそんなの勝負しても無駄だ。平凡は平凡の収まり場所があるから、輝かしい栄光をつかむ仕事など天才に任せてしまえばいい。

……けど、二人は戦うことを選んだ。
今までどれだけ負けていても、それに心折られても、自分の能力で天才に勝とうとしている。
注目されることを恐れて、後ろ指さされて笑われるのが怖くて万年不戦敗な私には絶対持ち得ない感情だった。

素直にそれを伝えれば、てっきり照れると思った青八木くんは予想外に不思議そうに小首をかしげていた。

「佐藤は戦わないのか」

彼らに巻き込まれているうちにいつのまにか「さん」の敬称が抜けたのは、それだけ二人が私と親しくなっている証だった。予想外の返しに、私の方がきょとんとしてしまう。

「私が?何と戦うの」

問えば、彼らの視線が同時に私の手元に落ちていく。これだけ一緒に居たからか、それだけで彼らの言わんとしていることに察しがついて、私は思いっきり首を横に振った。

「いや、無理無理!」

彼らが言いたいのはおおよそ「美術部に挑戦しないのか」という所だろう。
力いっぱいの否定に、クラスメイトの何名かが何事かとこちらを振り返っていたが、二人に巻き込まれてしょっちゅう注目を集めるような生活をしていたら、あんなに怖かった人の目も二人と一緒であれば怖いと感じなくなってきていた。

それでも二人は不服そうな視線を私に投げかけている。
壁に立ち向かおうとする二人のことは尊敬する。けど、同じことを自分もできるかと言えば断然『NO』だ。
いたたまれなくてうつむけば、机に置いた手の下には今しがた描いた私の絵があった。

……平凡で居続ける限り、絶対日の目を見ない絵だ。技法なんてわからないから鉛筆描きしか出来ない。水彩画も油絵も、どんな道具を使うかもわからない。

でもずっと続けてきた趣味だ。好きか嫌いかを問われたら間違いなく好きだと言えるくらいには大好きだった。



「け、けど。私の家、両親共働きで小さい妹もいるから放課後は帰らなきゃいけないし。あと家事もやらなきゃいけないし」

欲に負けそうになる自分を、言い訳でどうにか押さえ込む。話していないと肯定を口走ってしまいそうで。それだけはダメだと必死で堪えていた。

「選択科目で美術はとっているけど、通知表なんていつも3だよ。しかも二年の途中から入部したいなんて、何言われるか。ね、やっぱり私なんかじゃ……――」
「……前も言ったけど」

私の言葉を切るように、手嶋くんが静かな声で言う。真剣な目で見つめられて、作り笑いを浮かべてこわばっていた顔が、ヒクりと痙攣した。

「オレはお前の絵、好きだよ」
「……オレも。挑戦する価値がないとは思わない」

二人からそう声をかけられて、今度こそ逃げられなくなる。
自分たちだって絶望的な試練に挑もうとしているのに、それでも私にまでエールをくれるのだ。

強い人達だと思う。自分もそうなりたいと思う。
この人達とあがきたいと、そう思ってしまった。

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