リクエスト | ナノ

▼ (前編)
総北高校の部活を捏造しております。
あくまでこの短編での設定なのでご了承ください。




自分を表現するための単語をあげろと言われたら、『凡人』という言葉しか浮かばない。
身長・体重は平均で中肉中背。顔も可もなく不可もなく、性格は大人しくも明るくもないが、何かを成し遂げて学校で目立ちたいとか、そういった感情は一切ない。むしろ下手に他人と違う所を見られて目立つのは避けたいという方だった。
唯一家事に関しては同年代の女の子よりはこなせると思ってはいるが、それも両親が共働きのため、妹の世話と家事手伝いをしなくてはならないゆえの産物であった。

将来の希望はとにかく安定した職について、機会があれば結婚して子供を産んで幸せに暮らしたい。これに尽きる。

自分でも笑ってしまうほどの平凡加減。それが私という個体だと自負していた。


そんな、呆れるくらい面白みに欠ける私にもたったひとつだけ『趣味』と呼べるようなものがあった。
しかしこの趣味に至った理由もまあ単純。昔通っていた保育園で保育士さんに褒められたからという、それだけである。

長く続いているというだけで誰にも披露したことがないし、これからも誰にも言うつもりはない。ひとりぼっちでひっそりと行われるその趣味は酷く孤独でもあったが、それ以上に心を満たしてくれる、私にとっては何よりも大切な時間だった。



**********




今日もお風呂の後すぐにキッチリ宿題を終わらせ、私は5冊組400円で購入したノートをパタリと閉じた。
机の上の小さな時計に目をやれば時刻は午後8時。この時間なら父はテレビを見ながら晩酌をしているだろうし、母も妹を寝かしつけている頃だろう。
……つまり、ここからは邪魔が入らない時間帯というわけだ。

私は本立てに手を伸ばし、教科書やら参考書やらが並んでいるそこから一冊のノートを抜き出した。
先ほど閉じた授業ノートと色違いのもの。けれど、授業の板書を書き写し、宿題の問題を解くためのノートを開くときとは心の持ち様が違う。

さあ、私の時間だ。

見慣れたノートの表紙をそっと開く。
そこには私の『趣味』が隠されていた。


鉛筆描きの風景画。ネットで拾ってきた動植物の写真を模写した絵。
ぎっしりと描き詰められたこの白黒の世界を作り出すことが私の隠れた趣味なのだ。

絵を描くくらい普通のことだと言われるかもしれないが、例えば誰かにこの趣味のことを話して、描いたものを見せたときガッカリされたりしたら。私の絵が下手糞だとクラスのみんなに知れ渡るようなことがあったら。
そんなことを考えただけで小心者の私の心臓は恐怖でキュッと縮み上がってしまう。

安物のノートに描いている理由だって『他の教科ノートと一緒に保管していてもバレないから』という『木を隠すなら森』精神そのものだ。

独りで描いて、自己満足して、それで終わり。
とにかく私は自分の心の平穏のために絵を描き、心の平穏の為にそれを隠すという行為を日々細々と行なうのが楽しみなのであった。





**********





「佐藤さん、ちょっといいか」

放課後、帰り支度をしていた私に話しかけてきたのは、二年生になって初めてクラスが一緒になった青八木くんだった。
ちなみに私は両親が共働きゆえ家事をしなければならない身であるので帰宅部である。今日も帰りにスーパーに寄ってタイムセールの1パック98円の卵を買いにいくつもりなのだが、そんな時に彼が声をかけてきたものだから、私は今日の晩御飯候補がいくつは頭の中から零れ落ちてしまった。

「え……あ、はい」

とりあえずコクリと頷いてみる。青八木くんとはこの間の席替えで隣の席になったのだけれど、彼は見た目通りに大人しくて、滅多に喋らない人という印象だった。
隣の席になっても彼の声を聞く機会があるのはホームルームの出欠確認の返事の時か、授業中に当てられた時くらいだ。いや、それすら小さすぎて聞き取れないこともあるが。

とにかく、そんな彼がいきなり話しかけてきたのだから驚くなという方が無理だ。言葉を待っていると、彼は大人し目な男子そのものという感じの、周囲の声に容易にかき消されてしまいそうな声のトーンで言った。

「……今日の……ノート、」
「え?」
「今日の地理の授業ノート、貸してくれないか」
「……ああ!」

我が総北高等学校の地理の授業といえば、かなりのんびりした喋りのおじいちゃん先生が受け持ちなのだが、あまりに心地の良い単調な声に、その声を子守唄にして寝入ってしまう生徒が非常に多いという魔の教科なのだ。

いつも顔を伏せがちにしているので気が付かなかったが、どうやら青八木くんもあのおじいちゃん先生の魔術にやられてしまっていたらしい。
私も今日の授業こそ起きていたが、ついうつらうつらしてしまった日は友達に助けを求めてしまうこともしばしばだった。

身構えていた分、話の内容にホッとする。私はカバンの中にしまった地理のノートを引っ張り出すと、それを青八木くんの前に差し出した。

「もちろん良いよ、はい!」
「……ありがとう」
「どういたしまして。こんど私が寝ちゃった時は助けてね」

冗談めかして言えば、彼はコクコクと頷いて恥ずかしそうに頬を染めている。
わかるわかる。あんまり親しくない人にノート借りるときって妙に緊張するよね。断られたらどうしようとか考えちゃうよね。

失礼ながらも彼に自分と同じ凡人の雰囲気を感じ取って親近感を覚えつつ、部活に行くという青八木くんを見送り、私も帰路についた。





家に帰り、いつも通り妹の面倒を見ながら夕飯を作る。その間、ふと、そう言えば青八木くんの部活はなんだっただろうと疑問が湧いて思い返してみた。

ええと、そう。確か新学期の自己紹介で自転車競技部に入っていると言っていた。うちのチャリ部は少人数ながらもインターハイ常連校だから結構目立つ人が多いんだけど、見るからに大人しそうな彼がチャリ部だと知ってちょっと驚いたんだった。

煮込んでいる筑前煮の鍋がコトコトと美味しそうな音を立て、ご飯が炊飯器の中でフツフツと音を立てながら炊ける匂いが部屋の中に広がっている。

インターハイ常連校だと練習もキツいんだろうなあ。そりゃあ授業も寝ちゃうよなあ。
私が今日起きてたのだって地理の教科書に綺麗な風景の写真が載っててそれをノートに模写するのに夢中だっただけで、黒板の板書は起きてるついでみたいなものだっ……――

そこまで考えて、私の頭はフリーズした。

あれ?私ノートの落書き消したっけ?いや、消していないはずだ。今日のは結構出来が良くて、家に持ち帰って写真を撮ってから消そうと思っていたのだ。
それが珍しく青八木くんが話しかけてくるものだから、そっちに気を取られてすっかり忘れてしまっていた。

真っ青になって時計を見ると、時刻は6時45分。今から学校に行ったってもう部活も終わっているだろう。もちろん彼の連絡先は知らない。家なんて以ての外だ。

「……最悪だ」

誰にも言っていない趣味を、今日初めてまともに話したようなクラスメイトに知られてしまうなんて。
当然ながら、明日も平日。学校である。明日も顔を合わせるであろう彼の反応を思って肩を落とす私の後ろで、お米の炊ける軽快な音楽が流れた。







**********




「おはよう」

次の日の朝、朝練を終わらせてから教室にやってきた青八木くんに真っ先に挨拶されて、私の肩がギクリと震えた。おそるおそる見上げた先には相変わらずの大人しそうな顔。けれどその顔からはノートに描かれた下手な絵を馬鹿にするような表情はおろか、何の感情も読み取れない。

「……おはよ」

気まずさから思わず目をそらしてぼそりと返せば、彼は少しだけ不思議そうな顔をしながらも、カバンからごそごそとノートを取り出して私の目の前に差し出してきた。

「これ、ありがとう。助かった」
「うん」

受けとりながら小さく頷く。何か言われるとしたらこのあとだ。ドキドキしながら次の言葉を待っていると、彼はそんな私の心中を知ってか知らずかさっさと席に着いてしまった。
ホームルームまでの短い時間を、彼は誰と話すでもなく独りで過ごす。
そしてどうやら今日もその気らしい。

いやいや、あの絵を見たなら何か一言くらいコメントあるでしょ!それともコメントすら思い付かないほど私の絵がド下手だったんだろうか。
思考をぐるぐると回しながら、受け取ったノートの問題のページを恐る恐る開くと、そこには当然ながら見覚えのある落書きが描いてあった。

昨日は晴れていて、窓から見えるポコポコと浮かぶ白い雲と空の青がとっても綺麗だったからそれを書いた。鉛筆書きだったからもちろん色はモノクロだけど、空の濃淡とくっきりとした雲の具合がよく描けたと思っていたのだ。

……今すぐ消そう。そうしよう。

まだ写真も撮っていないのでもったいないといえばそうだが、今はそんなちっぽけな自尊心よりも羞恥の方が勝ってしまっているのだ。
ペンケースの中から消しゴムを取り出して、少しだけ開いていたノートを左右にガバリと開く。




――途端、目に入ってきたのは夕焼けだった。

ノートの上半分を使って描いたモノクロの青空の下に、同じくモノクロの夕焼け空が描かれていた。
影の陰影で色がわかる。空のグラデーションの強さで時間がわかる。
持っていた消しゴムがポロリと手のひらから滑り落ちて、バウンドして机から転がり落ちていった。

慌てて消しゴムの行方を目で追うと、それはちょうど隣の席の青八木くんのすぐそばに落ちている。彼がゆっくりとした動きでそれを拾い、綺麗な指が私の方へ差し出される。私も無意識に彼の方へ手を伸ばすと、その時彼と目が合った。

「また見せてくれ、それ」

言った彼の頬は赤い。それを見ながら私は、ああ、そういえば昨日の夕焼けもこんな風に綺麗な色をしていたなあなんててんでおかしなことを考えていた。

青八木くんが絵が好きなんて初めて知った。これだけ描ける人だってことも初めて知った。もしかしたら彼も私と同じように趣味を隠していて、ひっそりひっそり自分の風景を描いていたのかもしれない。

聞きたいことは山ほどあったが、そこで先生が教室に入ってきたので会話は強制的に終わってしまう。
物足りなさにチラリと青八木くんに視線をやれば、彼はそんな私に少しだけ口端を上げてそうして先生の声の方に耳を傾け始めたようだった。

私はといえば、彼のように切り替えが出来ずに机に広げたノートの絵を見ていた。二つ並んだ空の風景。モノクロのそれがなんだか眩しく感じて目を細める。
誰にも見せたことのない、見せるはずがないと思っていた趣味がこんなところで意外な人と繋がってしまうなんて。

でもなんだろう、秘密を知られてしまったのに嫌ではない。
初めて感じる趣味を誰かと共有するという感覚に、高鳴る鼓動が抑えられなかった。


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