リクエスト | ナノ

▼  (後編)
箱根学園一のモテ男、東堂尽八の彼女はお人好しである。
しかもただのお人好しではない。重度なやつだ。迷子がいれば親が見つかるまで何時間も一緒に探すし、駅で財布を落として慌てている人がいれば自分のお小遣いを全部上げてしまう。募金活動をしている人を見かければ絶対募金もするし、週に一度は自主的に近所の公園でゴミ拾いをしているらしい。

困っている人がいれば、自分が不利益を被ったって手を差し伸べる。その結果が恩で返ってこようがアダで返ってこようが、本人はただニコニコと笑い「やりたかったからやっただけ」と答えるという、とても稀有な人であった。

彼女の性格を言葉で表すならば、『人の嫌がることを進んでやって、誰にでも分け隔てなく親切で、よく気が気を遣う人』……ああ、やっぱり『お人好し』だ。

そんな彼女が高校一年生で同級生の男の子にどうしてもと頼まれ、マネージャーとして入部したキツいと悪評の高い自転車競技部。その一年後に出会った、自分とは正反対の自信に満ちた後輩の東堂と恋に落ちたのは、たぶん当然の流れだったのだ。





今日も部活終わり、しおりは一人せっせと部室で作業をしていた。
部室の床を掃除してキレイに拭く。乾かして置いたボトルは仕舞い、部員が散らかしていったテーピングやらコールドスプレー、自転車雑誌なんかも元の場所に片付けて、活動日誌をつける。

遅くまで活動していた部員が帰ってくるまで待って、汗だくでなだれ込むように部室に帰ってくる彼らに乾いたタオルとドリンクを渡して「お疲れさま!」と微笑むのだ。

至れり尽くせりの環境に、彼女が彼氏持ちだと分かっていても『この笑顔を見るために遅くまでペダルを回している』とのたまう部員も少なくない。

ちなみに人の三倍練習をしろと言われた荒北も部活居残り組ではあるが、嫌なことは嫌とキッパリ断る派の彼の目にはしおりのお人好しは常軌を逸していると感じていた。良い人だし、マネージャーとして居てくれて非常に助かってはいるが、たとえ東堂という彼氏がいなくても残念ながら恋愛対象にはなりそうもないと思っていた。

「荒北くんも、どうぞ」
「……ドーモ」

手渡されたタオルを受け取って、流れ落ちてくる汗をガシガシと拭く。男臭い部活だと言うのに、タオルから香る柔軟剤の香りは甘く爽やかだ。
丁度良いタイミングで伸びてくるドリンクのコップも受け取って、カラカラの喉を潤す。一気に空になったそれを、これまたちょうどいいタイミングで伸びてきたしおりの手の中に戻して口元を拭うと、さすがの荒北も快適さについつい堕落してしまいそうだった。

視線を彼女にやれば自分より大分下にあるひとつ年上の先輩は今日もふわふわと邪気のない笑顔を向けてくる。
その様子に、荒北はハア、とため息を付いた。

「センパイ、これ三年マネの仕事じゃねえッスよね。一年マネの奴らどこ行ったんスか」

そうなのだ。部員の多い箱根学園自転車競技部は、仕事の多さゆえにマネージャーの仕事も学年ごとに割り振りされている場合が多いのだ。
荒北も全て知っているわけではないが、偵察、記録、マッサージなどは上級生、ボトルの用意や洗濯、掃除などの雑務は下級生がやることになっていたはずだ。

もちろん、部員へのタオルやドリンク配りも下級生である一年マネージャーの仕事なのだが、いま部室内に彼女らの姿はない。部活動時間中は姿を見かけていたので休みというわけではないと思うが。

問えば、しおりはいつもの顔でヘラリと笑って「見たいテレビ番組があるから帰るってー」とこれまたのんびり言った。

「そーか、そりゃしょうがない……じゃねェよ!イヤイヤイヤ、断れよ!叱れよ!」

あいつらの仕事だろうが!と、つい敬語を忘れて声を上げると、しおりは「でもまあ、私は今日ヒマだから!たまにはいいでしょ?」と嬉しそうに笑って、そうしてサッサと他の部員のところに行ってしまった。

運動部歴が長い分、荒北の部活での上下関係は完全に運動部脳だ。
たとえ用事があったとしても、仕事があるのに先輩より先に帰ったり、あまつ先輩に仕事を押し付けて帰るということが彼の中ではありえないことなのである。
彼女が去っても、当然荒北の中の不満は収まってはいない。感じているイラ立ちを吐き出したくてギロリと視線を部室内に這わせれば、今しがた練習から戻ってきた男を見つけて、ズカズカとそちらに歩いて行ってケリを入れた。

「ギャ!おっま……何なのだいきなり!」
「テメー、カレシだろが!しっかりしろよ!」
「はあ?何の話だ」

怪訝そうに首を傾げたその男こそ、みんなのしおり先輩をゲットした、東堂尽八その人であった。
不機嫌な荒北の凶悪ヅラにもひるまず理由を聞けば、東堂はしおりに視線をやって、何か考え込むように指を顎のあたりに持っていくと、そこでポツリと荒北に問うた。

「しおりさんがお前に『仕事を押し付けられて嫌だ』と言ったのか」
「あの人がンな事漏らすわけねェだろ。仕事押し付けられてもいつも通りのニッコニコだ」
「ふっ……だろうな」

そこで少し笑った東堂に、荒北は信じられないようなものを見る目で同期を見た。
自分だったら、彼女があんな風に理不尽にこき使われていたらきっと死ぬほど憤怒する。原因になった奴ら全員呼び出して泣くまで彼女に詫びを入れさせる。

けれどこの男は、違うらしい。ひとり健気に働く彼女を見ても動じることもなく、ただ『当然だ』と言うように笑うだけなのだ。
入学当初から美形だなんだと騒がれ、いまではファンクラブが出来るほどモテまくっているような男だとこういう思考回路になるのだろうか。理解が出来ない。カチューシャの隙間から垂れた長い前髪が宇宙人の触覚にすら見えた。

「東堂くんおつかれさま。はい、タオルとドリンク!」
「うむ、ありがとう」

目ざとく近寄ってきたしおりからそれらを受け取り、彼女がせっせと他の部員の世話を焼いている間に優雅に汗を拭き、ドリンクを飲む。そんな彼に荒北が遠慮なく軽蔑の眼差しを送ってやれば、東堂は少しも怯むことなく、くるくると働く恋人を見つめながら口元を少しだけ緩めながら言った。

「あれは彼女の意思だ」
「はあ?どこがだよ。お人好しすぎてワリ食ってるだけじゃねえか」
「それでも人を助けるのをやめないのは彼女がそれを選んでいるからだ。ギブ・アンド・ギブになったって構わないと本気で思っているのがあの人だ。オレは、その意思を尊重したい」

そんなことを、どこか誇らしげに告げる東堂に、荒北は一瞬言葉を失う。
今までこの男が恋人の話で惚気けているところなど一度だって見たことがない。むしろその扱いが淡白すぎて、荒北の中ではお人好しなしおりを過激なファンを牽制するための防波堤として利用しているのでは、とすら思っていたことがあるくらいだ。

けれどこの様子を見ていると、それが全くの間違いだったことに気が付かされる。歯の浮くような独白のあと、彼が見つめる熱っぽい視線のその先には間違いなく彼女が居た。

「なあに、彼女が本当にピンチのときはオレが助けて支えるだけだ」

つい惚気けてしまったことへの照れ隠しなのか、いつもの調子で胸を張って語りだした東堂に、荒北もクッと笑う。

「チョーシに乗んな!」

この男が意地っ張りなのは一緒にいてよーくわかっている。お望み通りにケツを蹴り飛ばし、シリアスな空気も一緒に吹き飛ばしてやった。




**********






「東堂くん、お弁当わけてー」
「なんだ、また誰かにあげてしまったのか」
「うん。お財布忘れてお昼ごはん買えないって言ってたから」
「なら仕方ないな」
「あ、東堂くん。ファンの子たちが手振ってるよ。私荷物持ってるから早く応えてあげて!」
「おお、本当だ!これは急がねばらなんな」

お昼時、学食でそんなやりとりをしているカップルを見かけて泉田が立ち止まった。丁度その時、ひと学年上の先輩、荒北もそこを通りかかって、二人は顔を見合わせた。
誰もがそのカップルを、不思議そうな目で見つめながら通り過ぎていく。いつもの彼らであれば、きっと他の者達と同じ視線をその二人に向けていただろう。

けれどこの日は少し違う。彼らは二人の内面を、少しだけ知ってしまったから。

「……まあ、なんだ。お似合いなんじゃねえの」
「むしろベストカップルですよね」

似た者同士の恋人たちに、生暖かい視線を投げるのだった。



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