リクエスト | ナノ

▼ 最終日(東堂)
東堂庵は『おもてなし』を大事にする老舗旅館である。
数百年の歴史があり、名を残した著名人が多く訪れた由緒正しき旅館では、いつだって礼を重んじ、礼を尽くし。変わりゆく時代の中でニーズに合った最高峰の接客とサービスを提供することを経営理念として掲げている。

その最高の『おもてなし』を実現するために絶対に必要なもの。それは、お客様を出迎える旅館の従業員たちである。
なぜならお客様への送迎、出迎え、料理、掃除、配膳、接客……――東堂庵の経営に関わる何もかもに従業員が携わっているからだ。

もっと簡単に言えば、従業員が足りなければ東堂庵の『おもてなし』は成り立たないのだ。
洗練された修行を積んだ、従業員がすべての要。

だからこの日。
盆時期最大ピークを迎えるこのときに、ただでさえ足りていない従業員が体調不良で更に減ってしまった東堂庵は、非常にまずい状況に陥っていると言っても過言ではない。

いや、間違いなく、絶体絶命の大ピンチに直面しているのであった。





**********







「……ということで、仲居のヘルプをお願いしたいのよ、どうかしら?」

小鳥がさえずる清々しい朝。
しおりが神妙な表情の女将に呼び出されたのは、身支度を整え、さあ働こうと部屋を出た矢先であった。案内された女将の部屋へ入れば、待っていたのは先に呼び出されていたらしい東堂の姿。
不穏な気配を感じながらも、勧められるがままに畳の上に腰を下ろした彼女に投げかけられた言葉は、女将からの『お願いごと』だった。

「どうかしら……と言われましても」

あまりに突拍子もない依頼に、思わずしおりの目が泳ぐ。それもそのはず。事前にされていたアルバイトの内容説明では、お客様への接客諸々は仕事に入っていなかったからだ。
もちろん、お客様がいる環境下で働くのだから従業員として多少の接客はある。道すがら東堂庵内の施設の場所を尋ねられたり、風呂の入浴時間を聞かれたり。その程度だ。

しかし、それが仲居ともなれば話が変わってくるのは、この業界のことに疎いしおりにだって十分にわかる。
彼らは言うまでもなく接客のエキスパートであり、女将と並んで、東堂庵の顔なのだ。もちろん助けたい気持ちはあるが、自分のような初心者が付け焼き刃でできるようなものでは到底ないということは東堂庵でのアルバイトで従業員を見ていれば嫌でも実感していた。

何も答えられないまま時間が過ぎ、遠くから従業員たちが慌ただしく作業している音が聞こえてくる。長い沈黙に、しおりはじわりと膝の上で握りしめた手のひらに汗が滲んでいるのを感じていた。

(どうしよう)

頭の中を占めるのはそればかりで、一向に考えがまとまらない。
そんな彼女の代わりに重い口を開いたのはそれまで黙って隣に座っていた東堂だった。

「いくら疲労で免疫力が低下していたと考えられるとはいえ、体調管理は自己責任だ。その責任を無関係なしおりに押し付けるのはいくら母さんでも許さんよ」

吐き出した言葉は、いつもの彼と比べると随分と冷たい口調だ。
思わず隣に目をやれば、東堂が全く乱れのない姿勢で背筋をピンと伸ばし、鋭い視線を母親に送っている。ひと目で『怒っている』とわかるくらいに厳しいものだった。
そんな彼に、女将は微笑を浮かべていた目をスッと細めてみせる。

「わかっているわ。だからね尽八、アナタが盾になって頂戴」
「……――もしや元からそういうつもりだったな」
「ふふ、でもそれなら納得でしょう?」
「まあな」

たったそれだけのやり取りだったのに、東堂は何かを悟ったらしい。何が起きているかちんぷんかんぷんのしおりとは逆に、腑に落ちたという顔をして軽く頷いていた。

……結局自分はどうすれば良いのか。

オロオロしながら東堂と女将を交互に見れば、東堂は少しだけ体の位置をずらしてしおりに向かい合うように座り直すと、酷く真剣な顔をして彼女に説いた。

「オレがしおりとペアになって仲居をする。接客は全部俺がやるから、しおりは一切話さなくていい。ただ料理運びとか、荷物運びとか布団敷きとか、オレ一人じゃ手が足りないところを手伝って欲しい」
「ちょっ……え、えっ?」
「絶対嫌な思いはさせない。オレがカバーする。頼む」

――今日一日、仲居として仕事してくれ。

見つめてくる瞳には、確かな意思が宿っている。しおりは彼のこの目を何度も見たことがあった。絶対負けられないレースの前……特に総北の巻島と対戦するレースの前は、いつだってこんな決意の目をしていた。

この旅館の息子である東堂はこの数日間、培ってきた経験がある分しおりたちアルバイトの比ではないほど働いているし、仕事を任されていた。接客も雑用も、全部こなす。人手が足りないと見るやいなや飛んでいって、誰かのフォローをしていた。それは朝でも、昼でも夜でも関係ない。
しかし、いくら家業の手伝いに慣れているからといっても。自転車乗り故に体力に自信があると言ってもそんな生活をしていれば疲れが溜まるのは必然だ。

見つめた東堂の目の下に、薄っすらとクマができているのを見た。変わらず美しい笑みを浮かべる女将も、化粧で隠してはいるが疲労が溜まっているのは容易に想像がつく。次に誰かが倒れるとしたら疲労具合から見ても間違いなく彼らだろう。

……この人たちを、自分なんかが助けられるのなら。力になれる方法があるのなら。

「わかった。私やってみるよ」
「っしおり!!」

答えた言葉に、東堂がパッと表情を明るくして抱きついてくる。
いつもなら容赦なく張り倒しているところだが、母親の前で息子が張り倒されるところを見せるわけにはいかないので、甘んじて受け止めた。まあ、仕方がない。彼もいつも以上に頑張っているし、たまには……――

……と思ったら、彼は女将によって強制的に引き剥がされたかと思うやいなや、次の瞬間にはふっ飛ばされていた。

「嫁入り前の女の子に気安く抱きつくんじゃないよバカ息子!」
「何を!これはスキンシップであって、べべべつにやましい気持ちなどはない!!」
「どもってる時点でやましいわ!」

身だしなみが崩れてしまうのも気にせず掴み合うという激しすぎる親子喧嘩を前に、緊張していた気持ちが驚くくらい解れていって。
しおりはその日初めて声を上げて笑ったのだった。







*************








「カバーする」との約束通り、東堂は一日中しおりをかばいながら仲居としての仕事をこなしてくれた。
その仕事ぶりたるや凄まじく、たとえ客がいかにもしおりに向かって話しかけていたとしても自分が出張って受け答えたりするのだ。もちろんそれだけでは失礼に当たるので、巧みな話術で客の気を自分に向けさせ、しおりに話しかけたという事実さえ忘れさせてしまう。

『しおりに負担をかけてはいけない』

その信念には気迫のようなものすら感じられて少し怖いくらいだが、ちょうどしおりをかばって接客をしている東堂の姿を目撃した荒北に言わせればただの『過保護』らしい。

……ああ、そう言えば彼がご執心中の巻島にも、体調管理やら食事管理の口出しをしていたな。

毎日これでは巻島もさぞ大変であろう。守られるたびにそんな考えを巡らせて苦笑しながらも、しおりは何とか仲居という慣れない仕事をこなしていったのだった。





「しおり、この大広間への配膳が最後だ」

延々と続く仕事の中。ようやく見えた終わりに、しおりは思わず感嘆の声を上げてしまった。だって、いくら自分が引き受けたとはいえ、仲居の仕事は想像以上に激務だったのだ。ひとつ終えたと思ったら、息をつく間もなく次の仕事、そしてまた次の仕事。喋らなくて良いとはいえ、慣れないしおりにとっては十分すぎるくらい過酷だったので、次で終わりと言われればそりゃあ、安堵の声も漏れてしまう。

そんなしおりに東堂はくすりと笑って気合を入れるように背中を軽く叩いてくれた。

「このお客様方はウン十年来の常連だ。みな性格もおおらかだし、新人にも寛容だ。失敗したって間違っても怒鳴られるようなことはない。ただ……」
「ただ?」
「いや、何でもない。いつも通り、オレの側から離れるなよ。行こう」

東堂の号令とともに、他の仲居たちもシャンと居直る。大広間への配膳は、お客様の人数が多いため他の従業員と共同で行うのだそうだ。後ろにズラリとならんだ従業員の長い列に、一体どれほどの団体様なのかと多少不安になるが、東堂の言葉から察するに特段警戒しなければいけないこともないのだろう。
失礼致します、とよどみない動きで入室した東堂のあとに続いて、しおりも一歩足を踏み入れた。




その団体様は確かにおおらかで、慣れない手つきで配膳するしおりにも寛容だった。けれど、酒が回って来た頃になると中年の男性たちを中心に、やたらと仲居へのスキンシップが多くなっている気がするのだ。
ご飯やお酒のおかわりを持ってきてくれた仲居に感謝の意を、とかこつけて握手をする。着物を褒めるふりをしてボディータッチをしている。
連れの何人かがたしなめたりしてはいるが、酒が入っている為かあまり効き目はなさそうだった。

「……東堂くん。これって」
「基本的にはいい人たちなんだが、酒が入ると手が早くなるんだ。怖がらせたくなくて言わなかった。すまん」

しおりは東堂が片時も離れようとしないので今の所無事だが、なにせ人数が人数なのでひっきりなしに呼ばれるのだ。かばい続けるのも無理がある。毎年の常連であるし、経験豊富な他の仲居は慣れているのか迷惑そうにしながらも上手にかわしているが、自分にそれができるとは思えない。

「キミは見ない顔だねえ、随分若いけど新人さん?可愛いねえ、よろしくね」

不安にかられている丁度その時、陽気に笑いながら顔を火照らせた男性がしおりに向かって手を差し出してくる。このくらいの接触なら、他の部屋でもされた。表情筋が僅かに引きつるのを感じながらも、お客様の隣で膝をつき笑顔で対応すると、突然、男性が不自然なほど強い力で握手した手を引いてきた。

当然バランスを崩す体は、男性の方へ倒れる。すると、最初からそのつもりだったと言うように、男性はしおりを抱きとめようと両手を広げて待ち構えていた。

(転ぶ……!!)

そう思った瞬間、しおりと男性の間に腕が差し込まれ、そのまま後ろに引き寄せられた。驚いて顔を上げれば、救世主であるその人……東堂は、しおりを男性から隠すように自分の背の側へ追いやって立ちふさがっていた。

「……申し訳ありませんが、これ以上はご容赦ください」

凛とした声は、柔らかい口調ではあるが確かな鋭さを持っている。しおりには東堂の表情は見えないが、一気に固まってしまった場の空気から察するに、さぞ恐ろしい顔をしているに違いない。

「いや、オレは別にわざとじゃあ……」

その迫力にやられたのか、手を出してきた男性がしどろもどろに言い訳をするが、完全にご立腹の東堂の眼光は弱まらないらしい。従業員も東堂の行動にとっさに反応できずにオロオロするばかりで、状況の打破には期待できそうもなかった。
その時、この場で最も年長に見える老人が東堂たちの側にやってきて、男性と、東堂。それに彼の後ろに隠されているしおりの姿を順繰りに見つめると、深くため息をついた。

バシッ
乾いた音が宴会場内に響き、誰もが息を呑む。

「バカモン!」

とても年配とは思えないような豪気の老人に叱りつけられたのは、しおりに手を出そうとした男性だった。叩かれた頭を手で抑えている男の表情は一気に酔いが冷めたように青ざめていた。

「やり過ぎじゃわい!お前ら毎年毎年東堂さんに迷惑かけよって!」

唖然とする従業員たちを前に、老人は他の男性たちの行動も目に余ると叱責しだす。すると、赤ら顔の男性たちも今までの陽気さは何処へか。途端シュンとなって小さくなっているのが見えた。

「このお嬢さんだって、若旦那がずぅっと庇っていたのくらい見ればわかるだろうが!なあ旦那?」

話を振られたのは、会話の流れ的に東堂らしい。皆の視線が東堂に向けられる。しおりも彼を見上げたが、相変わらず後ろ姿しか見えなくて、その表情は伺えなかった。でも。

グッと、彼の喉が生唾を飲み込んで上下するのが見えた。息を詰め、頬を赤くして。それから決意したように、彼はまっすぐ老人を見た。

「はい。ここでこんな事を申し上げるのは無礼と承知しておりますが、私は彼女を大切に思っています。決して傷つけたり、悲しませたりしたくない」

思わず周りからほう……、とため息のようなものが聞こえてきた。
老人も東堂の言葉に満足行ったのかそれまでの険しい表情を優しく変え、頷いてみせる。

「無礼を働いたのはこちらだ、旦那にもお嬢さんにも悪いことをした。詫びは後ほど改めてさせて貰おう。……しかしお前たちには言わんとならんことがあるぞ!!」

東堂たちへの謝罪の後、くるりと連れたちに顔を向けた老人が元の怒気を取り戻し、もういい歳であろう大人たちを怒鳴りつける。なにやら前の年、その前の年の身内の狼藉も持ち出してきたところをみると、どうやら本格的に説教タイムに入ったようだ。

用があったら呼ぶので全員下がって良いと言われたので、仲居たちも一旦退室する。
そうして皆が休憩室に戻った瞬間、仲居の女性たちの割れんばかりの歓声が上がった。

「もー、尽八坊ちゃんがお客様に食って掛かったときはどうしようかと思いましたよ!」
「まさかあんな熱烈告白するとは思わなかったけどねえ!」
「痺れたわー!!」

キャアキャアと収まらない従業員たちの興奮とは逆に、当の本人である東堂は顔が赤いものの、酷く大人しかった。

……カッとなって言ってしまったとはいえ、あれでは皆の前でしおりへの好意を伝えてしまったも同然なのだ。これが平気でいられるか。

いま隣にいるであろうしおりの顔すら見れないし、話しかける勇気だってない。ただただ、不貞腐れたようにむっすりした顔を隠しもせずに立っていると、隣から可愛らしいクスクスという笑い声が聞こえてきた。

「あ、ごめん」

思わず目をやってしまった東堂に、笑っていたことがバレてしまったしおりが口元を抑えて謝る。あんな公開告白の直後なのに、彼女はどうしてこんなに冷静でいるのか。というか、恥ずかしくないのか。気まずくはないのか。
信じられないという目で見ていれば、彼女は楽しげに、目を細めて華奢な肩を震わせ笑っている。

「だってあんな風に守ってくれるとは思わなかったんだもの。今日ずっと思ってたけど、普段から喋ってるといざという時あんなにペラペラ言葉が出てくるのね。すごい」

そこまで聞いて、東堂は「まさか」という思いを抱いた。
彼女は、先程の東堂のセリフをすべてあの場を切り抜けるための口上か何かだと思っているのだ。自分に向けられた言葉だなんて一切考えていないし、だからこんなに普通でいられる。
周りがこんなに騒いでいるのに、それが東堂のファインプレーに対してのものだと信じて疑わないのだ。

……鈍いのも、ここまで来ると憎らしい。
いっそこの場で本気だとでも言ってやれば、彼女はどんな顔をするのだろうか。そんなことを考えながら拗ねていたら、そんな事情をこれっぽっちも知らないしおりは無邪気な笑顔を向けてくる。

「守ってくれて、ありがとう」

心底ホッとしているような。安心しているような、そんな表情。さっきのセリフが本心だと知ったら決して向けてはくれなかったであろうその笑顔。

「……守るさ、いつだって」

少し不本意だが。今回は、今回だけは。彼女のその鈍さに救われた気がした。




→次ページはリクエスト時に頂いたメッセージへのお返事です。

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