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▼ 1日目(荒北)
アルバイトに入ったしおりたちの仕事はと言えば、定時ごとの館内清掃に風呂掃除、夕食後の布団敷きに宿泊客のチェックアウト後のルームメイクなどだ。基本的に、接客は一切しないらしい。

しかしそれでも繁忙期の東堂庵は予想以上に忙しく、次から次へと科せられる業務にそれこそ目が回りそうな勢いだった。
合間に聞いたところによると、しおりは雑用がメインの仕事だったが、体力自慢の福富たちは結構な重労働もさせられていたらしい。

部活でのハードスケジュールは慣れているが、慣れない仕事はやはり疲れる。初日の業務が終わる頃にはすっかり疲れ果ててしまっていた。
そのせいか、業務後に温泉でうつらうつらしていたらいつの間にか一時間以上も経っていて、しおりは慌てて温泉から上がって着替えをした。

風呂の熱気で、流した汗がまた噴き出してTシャツを肌に貼りつかせる。はしたないとは分かっていても、これにはたまらずシャツの胸元をパタパタさせてしまう。
そうやって女湯ののれんをくぐって風呂場から出てくると、先の廊下のあたりに何やら人だかりが出来ているのが見えた。


中心にいるのは福富と新開、それに東堂の3人だ。
荒北の姿が見えないので辺りを見回せば廊下の隅の自販機が立ち並ぶコーナーで、自販機みたいに突っ立ってベプシを口に含んでいるのを発見した。

3人に何事かと問いたい気持ちもあるが、疲れた体であの人ごみの中に突入する体力も気力も残ってはいない。迷わず荒北の方へ近寄っていけば、彼はすぐにしおりの存在に気がついて、丸まっていた背中を少しだけ伸ばした。

「随分なげェ風呂だったな」
「うん、半分寝ちゃってた。それより何、あれ」
「アイツらのファンだとさ」

荒北の話によれば、なんでも彼らは近所の中学の自転車競技部の子たちらしい。たまたま合宿がこの近くで、温泉に浸かりに来たところで憧れの選手がいたのでサインだ握手だともみくちゃにされている、とのことだった。

なるほど。そういえば彼らは中学時代神奈川県の大会で数々の戦績を残し、そして高校でも王者箱学の一員として活躍している。いわば自転車少年たちの憧れの存在であるのだ。
そんな選手が目の前に現れたら色々聞きたくなってしまうのはしょうがない。

けれど、しおりの視線は未来を夢見る自転車少年たち以外の物もとらえていた。それは、少年たちに負けず劣らず目をキラキラ……いや、ハートにさせている女の子たちの姿だ。

「あの……女の子たちも大分混じってるみたいだけど」
「そりゃあ見た目がイイからなァ。ミーハー女が寄ってくる寄ってくる」

そうやって鼻で笑った荒北は手に持ったベプシをまたグビリと飲んだ。まるで『自分には無縁の世界だ』とでも言うかのように『彼ら』の世界を傍観している。同じく蚊帳の外であるしおりも、賑やかな廊下に視線をやって、二人並んでその光景を見つめていた。

彼らがモテるのなんて、今に始まったことではない。学校でも大会でも大勢に囲まれて、キラキラしているのが彼らの立ち位置なのだ。

けれどそれは、彼らだけの話ではない。隣で傍観を決め込んでいる荒北にも言えることだった。

目つきが悪くて、口も悪い。ガサツで乱暴で、怖いイメージばかりが先行してしまう荒北だが、しおりは彼が一番モテているのではないかと思っているのだ。
といっても色恋沙汰のモテるではなく『人としてモテている』という感じだが。

まず、根が素直なのだ。強くなるために人の三倍練習しろと言われればその通りに実行するし、それを途中で投げ出さない根性もある。だから先輩方にしょっちゅうちょっかいを出されながらも、非常に可愛がられているのだ。

それに、面倒見が良い。口調は荒いが頼まれごとをして断ることなどまずないし、断ったとしても後で何らかのフォローを入れて陰で手助けしてくれる。どんなに面倒なことも、だるそうにしながらも結局全部真剣に聞いて、相談に乗ってくれる。
ゆえに、同期や後輩たちからの信頼も厚い。

部員たちも、顧問もコーチも、クラスメイトたちや、学校の先生たちだって。何か困れば彼に相談して、力を貸してもらおうと彼に歩み寄るのだ。
これらのおかげで、彼の周りはいつだって人でいっぱいなのを知っている。

そして、しおりはいつだってそんな『モテる同期たち』を遠くで眺めているしかできない立場なのだ。

いくらしおりと彼らが仲が良くても。一緒にいる時間が長くても。この間だけは距離が出来る。
近いようで遠い距離。どんどん成長して人気者になっていく彼らに、少しだけ、取り残されてしまったような寂しさを感じてしまうのは仕方のないのだと思っていた。

「オイ、なーに人の顔見てむくれてンだよ」

突然、ピシッとおでこに軽いでこピンを入れられてしおりは小さく悲鳴を上げた。慌てて触れられた額に手をやる。
言葉とは裏腹に、荒北はからかう相手が出来たと思っているらしく楽しそうに見えた。

「いや、考え事を……」
「へえ。どんな?」
「ええと、荒北くんは今日も荒北くんだなあ、って」
「……ヘイヘイ。どうせオレはしおりちゃんがしかめっ面するくらいブサイクですよ」

そうやって、冗談交じりに自分を卑下した荒北に、しおりはポカンとした表情で彼を見つめ、次の瞬間にはブンブンと勢いよく首を横に振って声を荒げた。

「ち、違う!!」

そんなことを言いたかったんじゃない。自分の言葉をそんな風に取って欲しくない。

この話は終わりだ、と言わんばかりに視線を逸らそうとした荒北の腕を掴んで、無理やりに意識をこちらに向けさせた。

「っ荒北くんは格好いいよ!」

つい、声のボリューム調整を怠ってしまった。木造の旅館の廊下を伝わった声は思いのほか響く。微かな余韻とともに消えた声のあとに残ったのは、先ほどまでは賑やかだった廊下の、シンとした静寂だけであった。

しおりを見下ろしている荒北の目が、驚いたように見開いていた。しおりも自分の声の大きさに驚いて、目を丸くしたまま動かなかった。
二人してぽかんと口を半開きにしたまま見つめ合い、それから今は静かになっている廊下の先にいた群衆に目をやって……――やっと状況を理解したらしい。
彼らの頬が、見る見るうちに赤らんでいくのが見えた。耳まで赤くした荒北が、睨むようにしおりを見ている。

「お前なあ……」
「うっ……ごめんなさい」

これはきっと周りに自分たちの関係を誤解されたに違いない。これに関しては素直に謝る。
けれど、しおりが彼の生き方を格好いいと思うのは嘘でも誤解でも何でもないのだ。そこだけは分かって欲しい。
そう伝えれば、彼はそれすら暴走した彼女の戯言だと思っているのか、「はいはい」と軽く流してしまった。

「もう、ちゃんと聞いてよ!」
「聞いてるって」
「聞いてない!だって荒北くんが格好いいのは本当でしょ。面倒見良いし信頼されてるし優しいし、どう考えても性格イケメンでしょ!男子にモテモテでしょ!格好いいでしょ!」
「知るかよ!」

羞恥の余り頭を抱えてその場に座り込んだ荒北に、しおりはまだ言い足りないとばかりに自分もその場にしゃがみこみ、彼に手を触れる。すると、反射的に掴まれて、今度はグイと彼の方に引き寄せられて耳打ちをされた。

「そんなセリフ言われんの、アイツらみてぇに慣れてねえんだよ」

いいからちょっと黙っとけ、なんて。真っ赤な顔で俯いた彼を、少しだけ可愛いと思ってしまう。
後ろから東堂が何やらわめく声が聞こえたが、聞こえないふりをして撃沈している荒北の傍を離れなかった。

そうだ。せっかく4日間も一緒にいるのだから、この旅館にいる間はいつも以上に彼を褒めてみよう。褒められ慣れていない彼が。自分はブサイクだなんて思いこんでいる彼が。少しでも自信を取り戻せるように。

その時、服の袖を引かれる感覚がして、しおりはそちらへと目をやった。見れば、服をつかんでいるのは未だ顔を膝の間にうずめたままの荒北だ。
何か言いたいことでもあるのかと顔を近づけてみれば、蚊の鳴くような声が聞こえた。

「……アンガトねェ」

この状況に陥れたのは誰か、なんてことは別として褒められたことに律儀にお礼を言うところが実に彼らしい。

「どういたしまして」

返したしおりの声に、彼は応えるように少し顔をあげて、照れくさそうに笑った。

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