リクエスト | ナノ

▼ プロローグ
「しおり、頼みがある」

クラスメイトであり、部活仲間でもある東堂が神妙な顔をしてそんな事を言ってきたのは、夏休みも中盤に差し掛かろうとする頃のことだった。
いつも騒がしく、落ち着きのない彼がこんな表情をしているなんて珍しい。これはきっと、重要な頼みに違いない、としおりも表情をこわばらせながら彼を見上げた。

黒目がちで切れ長な瞳がこちらを見下ろしている。……黙っていれば本当に美形だ。
彼は、決意したように軽く唇を引き締めると、手を顔の前で合わせ、そして同時に深々と頭を下げてこう叫んだ。

「頼む!オレと東堂庵に来てくれ!!」






**********







ガタンゴトン。電車が揺れる。車窓から見えのるは素朴な田舎の風景だ。見渡す限りの深緑の中に、ときどきポツリポツリと民家が見える。たまに鮮やかな色の自動車が走っているのを見ると、何だかそれだけがやけに他の風景から浮いたように見えて、妙な感じがした。

外に向けていた視線を横にずらせば、そこにはしおりと同じく窓の景色を眺めている東堂の姿がある。久々の帰郷に心躍らせているのか、その口元には微かな笑みが浮かんでおり、黙ってたたずむその姿は本当に腹立たしいほどにイケメンだった。

そんな彼の容姿のせいか、先ほどから、この近所の学生と思われる女の子たちがこちらをチラチラと見ては堪え切れないような黄色い声をあげているのがしおりの耳にも確かに届いていた。




先日東堂から受けた頼みというのは、彼の実家が経営している老舗旅館の手伝いをしに来て欲しいというものであった。
なんでも盆の長期休暇で連日予約がいっぱいなこの時期に従業員の間で夏風邪が流行り、人手が絶望的に足りなくなってしまったのだそうだ。東堂自身はもちろん応援に駆けつけるが、彼一人が帰ってきたところで人手不足には変わりがない。
そこで、彼と比較的仲の良いしおりに白羽の矢が立ったというわけらしかった。

インターハイも終わり、部活は盆休み。しおりも他の生徒同様、実家に帰る予定だったのだが、友人からそんな話を聞いては放っておけるはずもない。
両親や地元の友達にはアルバイトをするので帰れないと伝え、いまこうやって電車に揺られている次第であった。

「しかし悪かったな。ご両親もしおりが帰って来ないとなると、さぞがっかりなさっていただろう?」
「うーん、確かに残念がってはいたけど。『アルバイトして社会勉強も大事だ』って言ってたから大丈夫だよ」
「そうか、助かるよ」

控えめに笑みを見せた東堂に、またそこらじゅうから黄色い悲鳴が聞こえてくる。この男、絶対わかってやっている。間違いない。

そりゃあそうだ。彼は根っからの目立ちたがり屋で、女の子好きで、ナルシストなのだから。きゃあきゃあ言われて不快なわけがない。
乾いた笑いを浮かべてしおりが流していると、彼が突然、憂いを含んだ大きなため息をついたのが聞こえた。

「だがな、しおり。オレにはひとつ腑に落ちないことがあるのだ」
「何?」

首をかしげて彼に問えば、東堂は視線を目の前のしおりではなく、その背後に移してじっとりと睨むように見据えた。

そこには酷く見慣れた顔が並んでいる。福富に、新開に、それから荒北。彼らもあまり柄が宜しいとは言えない表情で東堂を見返していた。

「どうしてお前たちまでここにおるのだ!フク!」
「どうしてとは?誘われたからだが」

当然のごとく言い返してきた男は、いつも通りの鉄仮面で表情筋のひとつすら動かさない。

それはおかしい、と東堂は唇を噛む。
なぜなら東堂が誘ったのはしおりだけだからだ。
しかし、誘われたと言い切った彼……福富寿一には有無を言わせぬ迫力がある。つい雰囲気にのまれて口ごもれば、それを待っていたかのように他の男たちも次々と口を挟んできた。

「しおりチャンからお前んちが大変だって聞いたからさァ、オレたちも急遽手伝いに来たんだよ。オレ達オトモダチだからなァ」
「そうそう。友のピンチに駆けつけるのが親友だろ?それともしおりだけ誘って泊まり込みでバイト頼むなんて、まさか二人になったらにあわよくば……」
「わー!!!!」

さえぎるように声を上げた東堂は冷や汗でびっしょりだ。ただただ、自分たちを『オトモダチ』と謳うチンピラ風の男たちに睨みを利かされ、完璧に目が泳いでしまっている。
まるで自転車で全力疾走した時のごとく止まらない汗に、しおりが大丈夫かと声をかけると、東堂はブンブンと首を大きく縦に振って、壊れたおもちゃのように震えた声で高笑いをしていた。

「ふはは、本当に助かるなあ!持つべきものは友達だなあ!!!!!」

何だか声が裏返っていて、あと語尾がおかしなことになっている。

……きっと、自分のピンチに皆が助けに来てくれたことがよほど嬉しかったに違いない。

彼らを呼んだ張本人のしおりがそんな的外れな予想をしながら満足げに笑みを浮かべれば、東堂は諦めたように肩を落とし、ため息交じりに遠い目を車窓へと移した。

それにつられるように、しおりも改めて外の景色に目を向ける。一気に賑やかになった車内と同様に、いつの間にか外の景色も温泉街のそれへと移り変わっていた。

アルバイト期間は、4日間を予定している。しかも夏休み中で旅館が最も忙しくなる時期にモロにぶつかっているらしい。
東堂の実家が明治から続く老舗旅館という話は聞いているので、バイトとはいえそこで働く責任は重大だ。初めてのアルバイト経験に緊張していないと言えば、それは嘘だ。

けれど同時に、今日から始まる日々が楽しみで仕方がないという気持ちもある。
……だって彼らと一緒だから。
学校ではよく一緒にいるが、こうして部活関係なく5人で出かけるのは初めてのことだったのだ。

『次は、小涌谷。小涌谷』

車内アナウンスで下車駅の名が繰り返される。ゆっくりとスピードが落ちていく電車の中で、しおりは期待を込めて自分の旅行カバンの持ち手を強く握りなおした。



**********





一行が東堂庵に到着すると、旅館内は予想以上にバタバタしていた。
といっても客から見える位置からは落ちついた雰囲気の、いかにも『老舗』という風貌なのだが。
それがいざ従業員として裏側が見える位置に来ると、その壮絶さたるや。まるで戦場のようだ。

そんな光景に呆然とするしおりたちとは逆に、東堂は慣れているのか、やれやれと言ったような表情をして慌ただしい館内を眺めていた。

すると丁度その時、深い藍の着物に身を包んだ女性が通りかかり、5人の姿を目に留めるとこちらへと近づいてきた。
動きの一つ一つが洗練されて無駄がない、凛とした出で立ちの女性だ。それに目を見張るような美人である。

しおりが思わず見とれていると、女性は彼らの前まで来て「アルバイトの子たちね」と声をかけると紅の乗った形の良い唇を柔らかく引き上げ、綺麗な笑みを見せた。

「初めまして、東堂庵の女将です。愚息がいつもお世話になっております」
「いえ!こちらこそ、いつも仲良くして頂いて……ん?」

いま、彼女は『愚息』と言っただろうか。
その言葉の響きに一同はハッとしたように東堂の方を見て、そしてまた目の前の女性の顔を見返した。

どう見たって三十代前半にしか見えない彼女の中には、よくよく見れば東堂の面影が伺える。いや、逆だ。東堂が彼女に似ているのだ。だって彼女は彼の……――

「……母だ」

ぶっきらぼうに回答した東堂の表情は堅い。いつだって女性には優しく、かつ紳士的に接することを心がけている彼がこんな態度をとるのは、その女性がまごうことなく彼の親類、『母親』という立場だからなのだろう。

彼女もそれを分かっているのか、気にしたそぶりも見せずに息子の友人たちひとりひとりに挨拶をして回り、そうして最後に息子の肩に手を置いて笑んだ。
たったの一瞬だったが、それはまるで『おかえり』とでも言うかのような、慈愛に満ちたまなざしだった。

「ささ、じゃあ若者たち!さっそく荷物置いて着替えてくれる?もうすぐ団体のお客様がいらっしゃるからね」

そうやってテキパキと支持を出す彼女の姿は、部活でクライマーたちを束ねるときの東堂に良く似ている。
彼は実家のことをあまり語らない男だったが、いざここで彼の実家を見て、彼の家族に会って、確かにここが彼の原点なのだと実感して……それが何だか嬉しかった。


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