リクエスト | ナノ

▼ (後編)
それから数年。彼らはまた二人揃って病室にいた。けれど、彼らの関係はあの時誕生した『恋人』ではなく、あくまで『自転車競技部の選手とマネージャー』である。

何故なら退院当日、当然のように退院祝いにやってきた新開が深刻な顔をして「やっぱり関係を白紙に戻そう」と提案したからだった。

「考えたんだ。弱ってるスキに付け込んで告白するのはフェアじゃなかった。その……ちょっと強引だったし。だからさ」

彼は、しおりが元のように元気になったとき、もう一度告白させて欲しいと言った。だから今は元の関係に戻ろう、と。いつも飄々としていた彼が、唇を微かに震わせ、少し涙目になっているのが酷く印象的だった。

それが二人の始まりと終わり。
あまりに短く、儚い恋に、しおりはもしかするとあれはとてもリアルな夢を見ていたのではないかとさえ思っていたのだ。


……けれど、どうやら夢ではなかったらしい。
当の本人である新開隼人がはっきりと言っているのである。『自分たちは付き合っていた』と。

リラックスしていた心臓が、突然早鐘のように激しく鼓動を刻み始めるのを感じていた。
冷や汗が止まらない。ちょっと待って欲しい。もしかして今があの時彼が言っていた約束の時なのだろうか。

確かに今のしおりと言えば、肉体的にも精神的にも元気が有り余るほどで、多少のフラッシュバックはあれども、事故前の彼女に限りなく近づいていると言っても過言ではない。

かといって、いま告白の続きをされても、はっきり言って応えられるかどうか。
新開のことは好きだが、その『好き』はあくまで友人としての『好き』であるという認識が強く、あの時のような恋愛感情があるかと言われれば、自分自身でもわからないのだ。

幼さの残る可愛い少年だった新開は今や、学校中の女子から黄色い声を浴びる程男らしく成長している。
変わらぬタレ目は優しげでありつつも意志の強そうな眼光を宿しているし、厚い唇からは昔は感じられなかった色気のようなものを感じる。

鍛え上げられた筋肉は理想的だし、自転車に掛ける情熱だって尊敬している。
一緒にいて楽しいし、頼りになるし、何より昔と変わらず自分を大事にしてくれて。

けど、私は……――

「ぶはっ」

堪え切れなかったように噴き出した音に、しおりの思考が戻ってきた。
犯人はもちろん隣に座っていた新開だ。病院だからいつものように大声で笑えないということなのだろう。先輩のベッドに突っ伏して、肩を震わせ、耐えているようだった。

「ちょっと、何よ!」
「い、いやっ……しおりがあんまりにも百面相してるから、ついっ……ぶくくっ、」

耐えられない、とばかりに、新開は先輩の掛け布団に頭を突っ込んで笑い声を抑えようとしているらしい。そんな彼の様子を見て、しおりは変な想像をしていたのは自分だけなのだと気がついて急激に恥ずかしくなった。

ハナから新開に告白する気はなかったのだ。ただ、過去にあった出来事を思い出したから口に出した。それだけ。
勝手に勘違いして、告白されたらどうしよう、なんて悩んでしまうだなんてとんだ自意識過剰女だ。

その時丁度検査を終えた先輩が戻ってきたので、慌てて取り繕うように挨拶して、皆からの見舞いの品を渡した。
いまだに布団の中でピクピクと体を震わせて笑っている新開の奇行については言及するまい。先輩も、この後輩が非常に手のかかる男だと知っているので、あえて何も聞かずにそっと無視してくれているようだった。



それからしおりは部の様子や、練習メニューなどを先輩に手短に話すと早々にお暇することにした。話したいことは沢山あったが、長居は体に障るだろう。

すると、いよいよ帰ろうという段階になると、それまでろくに会話に交じろうともせずに布団オバケと化していた新開が、突然ガバリと顔を上げ、先輩に向かって深々と頭をさげて別れの挨拶しだした。

新開の髪は散々布団の中で笑い転げていたから、頭がぐしゃぐしゃだ。仕方がないな、などと思いながら彼の後ろに回って手櫛で髪を整えてやっていると、先輩が、少し呆けたような顔をして「おい、新開大丈夫か」と声をかけていた。

大丈夫なわけがない。この男はきっとこの後、病院から出た途端に先ほど堪えてしまって完全消化できなかった笑いをすべて放出する気だ。
後ろ姿から彼の表情は伺えないが、きっと今にも笑いだしそうな顔をしているのだろう。

けれど、先輩が続けた言葉は予想外のものだった。

「……お前、顔真っ赤だぞ」

思わず、髪をすいていた手が止まる。無言でこちらを振り返った新開の顔は確かに赤かった。耳まで真っ赤だ。そしてその視線は、確かにしおりをとらえている。

グビッと、緊張したように発達した喉仏が目の前で上下したのが見えた。

「オレ、まだ諦めてないからな」

低い声が、震えているように聞こえたのは気のせいかもしれない。

「絶対、諦めないから。覚悟して」

そう言い捨てて、病室を出ていく新開に、しおりは頭が真っ白になって動けなかった。

――勘違いしていた私に笑っていたんじゃないの?笑い声を抑えるために、顔を隠していたんじゃないの?
だって、あれじゃあまるで。

色々な思考が頭をよぎり、じわじわと頬に熱が灯っていく。

「なんだあれ、インターハイの話か?」

能天気な先輩の声も、向かいのおじさんのすべてを理解したような「青春だねえ」の声も。
今のしおりの耳には遠く、届かないのだった。



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