リクエスト | ナノ

▼ (中編)
……結果的に言えば、その日のしおりは非常に不運であった。

まず手始めに、朝練に向かう途中の道で盛大に転んで膝を擦りむいた。

運動神経には自信がある。
だから普段はどれだけ慌てていようと躓いたって体勢を立て直せるし、転んだとしても怪我をしないように受け身も取れるのに、今日ばかりはそれが間に合わず、まるで漫画のようなスライディングをかましてしまったのだ。

しかも更に運の悪く、その光景をしおりと同じく朝練に向かう途中の後輩集団に見られてしまったからどうしようもない。

顔面蒼白になってどう声をかけようかとオロオロしている後輩たちに、まるで『自分は決して転んでいません』とでも言うかのようなスピードで起き上がりその場から逃げ去ることしか出来なかった。


ーー本当に、朝からツイていないことばかりだった。

しかし、落胆するにはまだ早い。そんなものはまだ序の口で、ここからがしおりの不運ラッシュの始まりであったのだ。


一例を出せば、授業中、何故かもれなく教師に当てられたり、財布を寮に忘れたり。当番でもないのに日直が休みということで授業の号令やら雑用やらを押し付けられたり。

他にも細かなことが多々あって、その度にしおりのストレスが溜まっていく。
そうしてやっと待ちに待った部活の時間……つまり、放課後になった時のしおりの喜びようと言えば、それはもう言葉には表せないほどで。
いつもは誰より煩いあの東堂でさえ、しおりのテンションの高さに隣の席で軽く引いていたほどであった。

……まあ、要するにだ。運の悪さなんてものは思い込みからくるものなのだ。

悪いことが二回、三回と重なるとそれだけでその日一日が運の悪い日のように思えてくる。そのネガティブが更に不運を呼び起こし、負のサイクルに陥ってしまうというわけ。

けれど、運の悪さが気持ちによるものだとすれば、何かに集中して打ち込んでいればそんな負の連鎖は起こらないはずなのだ。
だって集中しているときは、ポジティブもネガティブも忘れているから。

だからしおりは部活を待ち望んだ。自分が最も集中できる、負の連鎖を断ち切ってくれるであろう部活の時間を。




しかし、どうやらしおりの不運は本物の不運だったらしい。
それを証明したのは、部活が始まってすぐだった。いつもはスムーズに進む練習中、選手たちが一斉に怪我をし始めたのだ。

怪我自体は大きいものではない。転んで擦りむいたり、軽くひねったり。整備中に指先を切って出血してしまったり、その程度。
けれどあまりに皆が一斉に負傷するもので、備品の救急用具があっという間に欠品状態になってしまったのだ。

主将は『気が緩んどる!』と部員たちを一喝していたが、しおりはその主将自身も部室のセロハンテープのテープカッターで地味に怪我をして痛がっているところを見ている。

自分の不運が部員たちにも感染しているのだろうか。
そんな考えが頭をよぎるも、ありえない、と首を振って気弱な心を持ち直した。

とにかく、足りなくなった備品を買い足しに行かなければならない。
本来ならマネージャー数人で行きたいところだが、負傷者への対処でバタバタしているこんな時に他のマネージャーに同行を頼むわけにも行かない。

コールドスプレーに、テーピング各種。バンソーコーに包帯に、消毒液に……。必要備品の品目と数をメモしていく。
備品の買い出し、地味に重いんだよなあ、と息を吐けば、落ち込んだその肩越しに声をかけられてしおりはそちらを振り返った。

「何、一人で買い出しいくのォ?」

そこには、今しがた練習ノルマを終えて帰ってきた荒北の姿があった。汗で濡れた肌をタオルで乱暴に拭いながら、まだ整いきっていない息で呼吸している。
どうやら彼はどこも怪我をしていないらしい、と少しホッと胸を撫で下ろせば、質問の答えを返さないしおりに荒北が怪訝そうな表情を向けてきたので、慌てて肯定するようにうなずいた。

「今日怪我人多くて備品足りなくなっちゃったから、マネージャーの先輩たちには手当にあたってもらって、その間に私が買い物に行こうかと……」
「ふぅん」

荒北は見定めるようにメモ紙をマジマジと眺める。何か思うところがあるのか、しばし何かを考えて黙りこんで、そして一言「オレも行くわ」と言い放ってサッサと着替えに行ってしまった。

彼からの言葉に動揺したのはしおりの方だ。
ちょっと待って欲しい。いくら自分が頼りないとはいえ、買い出しくらい一人でも行ける。それに彼には練習時間の一分、一秒でも無駄にしてほしくはないのだ。マネージャー業務の手伝いなどするくらいなら、もっともっと、練習して早くなってほしい。

そんな気持ちを伝えたくて、しおりは更衣室に消えた荒北のあとを追いかける。

「やっぱり駄目だよ荒北くん!私のことは良いから練習もどっ……」

開け放ったその扉。
そこには上半身裸の荒北がいて、ちょうどレーパンを脱ごうと腰のあたりの布に手をかけているところだった。

他の選手たちと比べると細身に見えるが、着痩せしているだけなのだということは知っていた。現に今目の前にある裸体の上半身は、綺麗に筋肉が付いており、ひと目で『鍛えている』とわかる体つきをしていた。

入部当初と比べるとなかなか良い体つきになった……ではなくて。

「キャー、しおりチャンのえっちィ」

酷い棒読みのまま、荒北がわざとらしく晒していた上半身をたくましい腕で隠す。
そこで我に返ったしおりは、全身全霊の謝罪とともに勢い良く更衣室の扉を締め、ダッシュで元居た位置まで戻り、頭を抱えて座りこんだ。

(あ、危なかった!)

心臓がいろんな意味でドクドクと激しく脈打っている。

レーパンの下には何も履いていないはずだから、もしもう少し入るのが遅かったら、完全に下半身まで見えていた。そうなれば自分は完全に痴女だ。

どうしてノックもなしに更衣室に入ってしまったのか。何をそんなに焦っているのか。
原因を突き止めて落ち着こうと思うも、いいところで先ほどの荒北の上半身が脳裏をよぎってしまい、集中なんて出来る訳がなかった。

「どうした、しおり!顔がゆでダコのように真っ赤だぞ!さてはオレに見とれたか!!」

しおりの心中など露ほど知らず、お気楽な冗談などを飛ばして絡んでくる東堂をキッと睨みつける。

今の自分には、彼の冗談をスルーできる程の余裕はないのだ。
じっとりと恨みがましく睨み付けたまま、ゆらりと立ち上がり、彼に向けて手のひらを差し出す。

「……東堂くん、腕貸して」
「腕?なんだ、手を繋ぎたいのか!甘えん坊だな!ほら、特別に……――」
「ううん、腕」

キッパリといい放ち、しおりは素直に差し出された彼の手を掴むと、右手の中指と人差し指を彼の腕にピタリと当てた。

そこで東堂の顔色がサッと青くなる。
まあ、誰もがやったことのある罰ゲームだから察しはつくだろう。あの地味に痛いやつだ。東堂が逃げようとしたした瞬間、しおりは狙いをつけた指を素早く振りかざして、振り下ろした。

ペシッ

「痛だっ!!」

容赦のないしっぺに、東堂が情けない声を出す。徐々にくっきりと浮かび上がった二本の指の跡に、しおりは少しだけ満足感を感じて、ニコリと笑った。

「何なのだ!オレが何をしたというのだ!」
「何もしてないよ。ただの八つ当たり」
「いっそ清々しいな!」
「……ウルセエぞボケナス共」

東堂とそんなことをしている間に、荒北が着替え終わって更衣室から出てきたらしい。
彼の声ににしおりがギクリと体を固くすると、そんな彼女の様子を知ってか知らずか、荒北は先ほどのことには何ひとつ触れずに「オラ、行くぞ」なんて声をかけてきた。

おずおずと従うしおりは、言いかけていたことを言おうと口を開くが、なかなか声が出ない。そのままモジモジと胸の前で指を絡ませていると、痺れを切らした荒北が、面倒くさそうに息を吐いた。

「あんなァ、練習の心配してくれてんのはわかってんだけどよ。オレ今日のメニューはこなしたワケ。ここからは自主練しようと帰ろうと、オレの自由だろ」
「……うん」
「じゃあ今からオレがお前手伝うのに何か文句あるか?」
「ない、です」
「だったらサッサと出かける準備しろ」

ぐしゃりと、大きな手がしおりの頭を撫でて離れていく。しおりは知っていた。彼は言葉こそ乱暴だが、誰よりも優しい人だということを。

乱された髪にと文句ををたれながらも、急にしおらしくなるしおりに、東堂が「オレの時と態度が違う!」と騒いだが、今度は荒北に思いっきりしっぺ跡を残され、また情けない悲鳴を上げた。


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