リクエスト | ナノ

▼ 後編
それから、私は彼を避けるようになった。
と言っても、彼と私は3年と1年であり、また、運動部と文化部という全く接点のない位置にいたため、普通に暮らしていても滅多に会うことなどなかったのだが。

それでも狭い校舎内のことだ。注意していても偶然出会ってしまうなんてことがあり得ないとも言い切れない。

だから、私は周囲の声に聞き耳を立てることにした。
人気者の彼はいつどこにいても話題の対象らしく、注意をしていれば周りの女子たちが彼が今どこにいるのかを話しているので、彼から逃げるのは至極簡単なことだった。

右を向いても、左を向いても、いつだって彼の噂話ばかりが聞こえてくる。
今まで写真にしか目が向いていなかったから全く聞こえていなかったが、箱根学園では、彼の情報ばかりが溢れかえっているのだ。

――東堂尽八、箱根学園3年生。誕生日は8月8日。血液型はA型。
自転車競技部に所属していて、のぼりが得意。
実家は箱根の老舗旅館で、趣味はカチューシャ集め。得意科目は日本史。

「……私はなーんにも聞いてないのに」

にもかかわらず、これだけの情報が集まってくる。本人から聞いていない情報を他の誰かから得るのに罪悪感はあったが、どうせもう関わらないのだからと高をくくって皆の噂話を聞いていた。

一方の彼はというと、どうにか私と話そうと行方を捜しているようなのだが、情報が溢れかえる彼とは違い、私はクラスメイトにも全く顔を覚えられていない程の地味女なのだ。
万が一、彼が私のクラスの誰かに尋ねたところで、皆口をそろえて『知らない』と言うであろう。
加えて学年もクラスも教えていないので、捜索は難航を極めているとのこと。女子の間で『東堂が探している女の子は誰なのか』という憶測が飛び交っているが、一度も私の名前が上がらないことに落胆し、そして酷く安堵していた。

彼が私を探す手がかりとなっている髪型の特徴をかいくぐるために髪も切った。顔を見られないように、いままで以上に俯きがちになった。

――そのまま。私のことなど何も知らないままに忘れてくれればいい。

彼が自分に興味を持ってくれたなどという妄想はなはだしい私の過去も、それと一緒に消えてしまえばいい。


無心になりたくて、1人の時間は無我夢中でシャッターを切った。覗き込んだ景色が綺麗だなんてちっとも思えないのに、それでも気持ちを誤魔化すようにただただ写真を撮りまくった。

彼の立っていた校庭を。
彼の撮っていた景色を。
彼が話していた校舎脇にあるウサギ小屋を。
自転車競技部の練習風景を。
公園の水飲み場近くに立てかけてあった、白地に赤いロゴの入った自転車を……――

「……リ、ドレー」

何だか心を惹かれたので、近づいてロゴをなぞって読んでみる。

そういえば兄の乗っていた自転車も、白地に赤のロゴという見た目だったはずだ。
自分は写真のことばかりで自転車メーカーのことはよくわからないので、これが兄の乗っている物と同じなのか、違うのかすら見分けがつかないけれど。

あとで兄に聞いてみようかな。なんて思いながらそこでぼんやりとしていると、突然後ろから「おい」と声をかけられて我に返った。

……しまった。きっとこの自転車の持ち主だ。

いくら趣味で撮っているだけとはいえ、自分の持ち物を勝手に撮られることを不快に思う人は多い。だから、個人の持ち物であろう物を写真に収める際は十分に注意が必要と、わかっていたのに。

「ごめんなさ……っ」

謝罪の言葉を口にしながら振り返る。しかし、その謝罪が最後まで言葉になることはなかった。

目に映ったその人の姿。他でもない、東堂の姿。
それを確認した途端、私は自分でも驚くような反射スピードで走り出した。

しかし、いくらスタートダッシュが速かったところで、運動音痴な私より、運動神経の良いその人の足の方が速いのは当たり前で。
逃げ出してからほんの数メートル。たった数秒で、私はガシリと手を取られ、どこにも行けないようにしっかりと捕まえられてしまった。

「やっぱりだ。髪型が違うから一瞬誰かと思ったぞ」
「っ……!」

……どうして彼がここにいるのか。

他の自転車競技部は全く違うコースで練習をしているのに。

私は混乱する頭で、それでも必死に逃れようともがく。
目なんてもちろん合わせられないので、ずっと顔を逸らしたままイヤイヤと首を振っていた。

「っ何故逃げる!!」

突然の大声に、私の肩が跳ねた。

私に対して穏やかで、優しい一面ばかりを見せ続けてきた彼は、今まで一度だって私に向けて声を荒げたことなどなかったのだ。

けれど今分かった。やはりこちらが本性だ。兄に見せていた声の大きい彼の方が本来で、今までの彼が偽りだったのだ。

彼の考えていることが分からない。

私の目に恐怖でじんわりと涙がたまっているのを見て、彼はハッとしたような顔をして「すまん」と小さく謝罪した。同時に、指の先が白くなるほど強く握っていた手の力を少しだけ緩めてくれたが、決して離してはくれなかった。

「……離してください」
「せめて逃げる理由を教えてくれないか。告げられず避けられるのはこちらとて辛い」

綺麗な顔に寄せられた眉間のしわが深くなる。そんな顔をされてはまるでこちらが悪いことをしているみたいではないか。そんなのは心外だ。
私はしばし黙りこくった後、震える声で絞り出すように言葉を紡いだ。

「理由なんて、ひとつしかないですよ」

――それは私が巻島で、あなたが東堂だから。

言った瞬間、彼の目が見開かれる。なんだ、やはり知らなかったのか。
なら尚更彼に現実を見てもらわないと困る。しっかり自覚してもらわないといけない。
はっきりさせないと、彼は納得せずにどこまでも、何度でも追いかけてくるだろうから。……兄の時のように。

私は深く息を吸い込んで、吐いた。

「周りにあんなに可愛い女の子たちがいるのに私を構いたくなるのは何故だと思いますか。気にかけるのはどうしてです?……私が兄に似ているから、でしょう?」

自分が一番わかっている筈なのに。特別視なんてされてないとわかっているはずなのに。
いざそうと認めてしまうと、酷く胸が痛かった。

彼の黒目がちな瞳が私を見ている。
それまで見開かれていた目が、やがて何か納得したようにふっと細められたのが見えた。

「そうか。キミは……巻ちゃんの妹さんなのか」
「はい」
「言われてみれば目元の辺りとかが似ているな。あと耳の形とか」
「兄妹ですから」
「それに、極度な人見知りなところとか、笑い方が不格好なところとか、変なところで頑固なところとかもそっくりだ」

……本当のことだからといっても、そこまで貶す必要はないのではないのだろうか。
私が思わず真顔になれば、彼は表情を崩して「すまん、すまん」と可笑しそうに謝った。

真面目な話をしていたはずなのに、どうしてこの人は笑っているのだろう。
どうして一緒に過ごしていた時のように笑えるのだろう。
内心では戸惑いつつも、もう見ることが出来ないと思っていた笑顔を近くで見れたことが嬉しいと思ってしまう自分もいる。

やがて、ひとしきり笑い終えた彼が、私の目をしっかりと見据え、口を開いた。

「何か勘違いしているようだから言うがな。オレはアイツのロードに掛ける心意気を気に入っているのだ。だからいつだって気に掛けるし、頻繁に連絡を取る」

その口調は、いつも自分に見せていた優しげで、大人びたそれではない。兄との電話で聞こえてきた、自信満々な男……東堂尽八のそれだった。

挑むような目が。まっすぐで穢れのない強い瞳が。戸惑いに揺れる私の瞳を捉えて離さない。その妙な威圧に押されるように後ずされば、繋がれたままの彼の手はそれすら許してくれずに、離れるなと言わんばかりに逆に引き寄せられてしまった。

「なあ、教えてくれ。オレが気に入っているソイツと、同じ心意気を持った女の子。その子に特別な好意を抱いて何が悪いんだ」

ただでさえ近い距離だというのに、彼が強制的に歩み寄ってくるので更にじりじりと狭まってくる。
目の前に突き出された綺麗な顔のドアップに、私の頭は逃げろと叫んでいるのに、身体は硬直して動いてはくれなかった。

「で、でも!その子はただの写真オタクで、それしか能がないどうしようもない子です!」
「はは、そうだな。ずっとカメラに夢中で、オレが柄にもなく優しい男ぶったり、教わったカメラの技術や知識を必死に頭に詰め込んで練習していたのにすら気づいてくれなかった、どうしようもない子だ」

初めて聞いたその発言に驚いて言葉を失えば、彼は「ほらみろ」と拗ねたように唇を尖らせてじとりとした目で私を見据えてきた。

いや。だって、彼は学校中にファンがいるような人だ。まさかそんな人がこんな写真オタクの為にそこまでするはずがない。
……とそこまで考えて、私の頭の中に彼の今までの不可解な行動が蘇ってきた。

例えば、何故同じく気に入られている筈の兄に対しての態度と私への態度が全く違ったのか。
その答えが、見るからに大人しく、喧騒を得意としないタイプの私に気を遣ったからだとすればどうだろうか。

例えば、『習うよりも慣れろ』が多いカメラ技術で、何故彼はあんなにも早く教えたことを自分の物に出来たのか。
その答えを、私と別れた後にひとり復習したり練習して詰め込んだと考えたら、どうだろうか。

「何のためだと思う?気に入られたいからだ。誰の妹だとかそんなものは関係ない。オレが接して、話して、気に入ったのは。気に入られたいと思ったのは、キミ自身だ」

――だから逃げないでくれ。

掴まれていた私の手首を、彼が離す。
試されるようなその行動に、私はもはや逃げ出そうという気持ちも、逃げ出す理由も失って、じっとしていた。

優しい指が、私の頬に掛かっていた髪の毛を耳に掛ける。気恥ずかしさで視線を合わせられずに目を伏せていれば、手のひらでそっと頬を包まれ彼を見るようにと促された。

熱っぽい瞳。微かに染まった頬。
逆光の中で見上げる彼は、やっぱり神様みたいに綺麗で眩しかった。

「もう一度言うぞ。オレは東堂尽八だ。箱根学園3年、誕生日は8月8日で血液型はA型。自転車競技部に所属しているクライマーで、実家は箱根の老舗旅館を営んでいる。趣味はカチューシャ集めで得意科目は日本史、好きな人は……――」
「いや、いいです!もう十分です!」

真っ赤になって、予想以上に良く回る彼の口を手のひらで押さえつければ、彼は嬉しそうに笑って、自分の口元を塞ぐその手のひらを手に取ると、恥ずかしげもなくキスをした。

「では、今度はキミの番だ」

――キミを教えて。

囁かれたセリフに、意固地だった私の心が白旗を上げた。




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