リクエスト | ナノ

▼ 中編
「もうちょっと脇締めてください。足も少し広げた方が安定します」
「こうか?むむ……なかなか窮屈だな」
「慣れるとそうでもないですよ」

おぼつかない手つきでもってファインダーを覗きこむ彼の姿に笑いながら、私も被写体へとカメラを構える。

あの日以来、私は折を見て校庭へと通うようになった。
もちろん毎日会いに行くわけではなく、偶然出会った時だけだ。私が校庭の景色を撮りたくなって、彼が校庭でのんびりしたい時だけ。

もともと口数の多くない私たちの話す内容と言えば、私が過去に撮った写真の話を少々と、彼の愉快な仲間たちの話をポツリポツリと話すくらい。
それでも私は、彼といることに何故か妙な居心地の良さを感じるのだった。

そしてそれは彼も同じだったようで、互いに校庭に足を運ぶ回数が増え、会う機会も増えていった。

最近では、写真に興味があると言い出した彼に私のお古のカメラを貸して、写真の撮り方を教えるというのが主流だろうか。
引っ込み思案ゆえに喋り下手で、うまく言葉が出なかったり、焦ってどもってみたりすることもあるが、それでも不満など一言も漏らさず、私のつたない話に耳を傾けてくれることが嬉しかった。

「そのままダイヤルを回して絞りの調節をしてください。……そうです。自分が一番綺麗だと思ったところでシャッターを切るんです」
「わかった。やってみる」

もともと頭が良いのだろう。彼の物覚えはとても早くて、その日教えたことを次会う時には既ににモノにしていた。

写真だって、本格的なカメラを初めて構えた素人とは思えないくらいセンスがあるように思えた。
何を撮りたいのかが一目でわかる。伝わってくる。

もしかしたら自分よりもずっとずっと才能があるのかもしれない、と素直にそんなことを伝えれば、彼は苦笑しながら「それはないだろう」なんてキッパリと否定して私の頭をポンと叩いた。

「先生の教え方が良いんだ」

静かに笑いかけてくる彼の言葉に大いに照れて頬を赤らめれば、そんな私の心情を知ってか知らずか、彼はまたすぐにファインダーを覗きこんでいた。

真っ直ぐな瞳がレンズ越しの景色を見つめている。ぎこちなさの残るその姿。なのにそれすら様になるとはどういうことか。

思わず自分の写真を撮るのも忘れ、見とれてしまいそうになる視線を必死で彼から引きはがし、私も校庭の傍に育成している大きなブナの木にカメラを向けて苦し紛れに何枚か撮った。

シャッター音の違うふたつの音が静かな校庭に響いている。
恥ずかしくて隣を見れない。ドキドキしながら、隣で写真を撮っている彼の気配だけを感じていた。

あれほど私を悩ませてきたスランプも徐々に回復の兆しを見せている。
褪せていた景色が日に日に色づき、元のように綺麗に輝き始めるのが目に見えてわかるのだ。

……彼のおかげだ。ぜんぶ。

なかなか思うようにピントが来ないらしい彼が、隣でうんうん唸っているのがおかしくて、思わずくすりと笑った。



しかし、これだけ会っていても、彼について私が知っていることは非常に少なかった。

例えば彼が3年生の先輩だということ。これは以前校内で偶然出会った時に上履きのラインの色で確認したのでまず間違いない。クラスの男子たちと比べても落ち着いた雰囲気なので年上だろうなとは思っていたから、これは普通に納得した。

それに、何かしらの運動部に所属しているらしいということ。
日々いたるところに痣が出来ていたりするし、いつも話題に出てくる愉快な友達もどうやら部活の仲間らしい。
凛とした彼がスポーツで汗を流している姿はどうにも想像できないが、きっとスポーツに打ち込んでいる姿すらも様になるのだろうと、勝手な想像をしてみたりした。

そして、これが最後にわかったこと。
それは、彼は尋常じゃないくらいモテる存在だということだった。

では私がそのことに気付いたのがいつなのか。

……それは他でもない『今』だった。





ザッザッザ。
静かなはずのその場所に、複数の足音と話し声が近づいてくるのを感じて、私は思わず音の方へと振り返った。
目に入ったのは、群れを成して歩いてくる大勢の女の子たちの姿。

彼女たちはまっすぐに私と、その傍でカメラを抱えている彼の傍へやってくると、私たちを見比べて不機嫌そうに息を吐くと、あっという間に私の周りをを取り囲んでしまった。

「おい、待ってくれ。その子は!」
「ちょっと黙っていてくださいな。これは会員同士の問題なので」

慌てて止めてくれようとした彼の言葉をぴしゃりと遮り、彼女たちは私を睨む。
綺麗にお化粧をした、いい匂いのする女性たち。そういう類のものにまったく縁がない私とは正反対の生き物。

自分のクラスメイトと話すことすらままならない私が、こんなに派手な人種に関わる機会などあったわけもない。
緊張で慌てふためいていると、そのうちのひとりが厳しい顔をしながら私に言葉を投げてきた。

「あなた、ファンクラブの掟を知らないの?」
「……ファンクラブ?」
「第一条!個人的な接触は禁止!話しかける際は必ず数人で行うこと!」

これくらい常識でしょう!と凶弾されて、私は激しく狼狽しつつも、回転の鈍い頭で必死にこの状況に陥っている原因についてを考えていた。

まず私は彼女らの言うファンクラブというものになど入っていないし、そんなものがこの学校にあるということすらいま知ったのだ。彼女らのルールなど、知る由もない。

ということは、私は自分でも気が付かないうちに、そのファンクラブの『対象』とやらに接触してしまったのだろう。それも、彼女らが激昂してしまう程近くに。

考えられる人物など、1人しかいない。否、私が日常的に関わっている人など、1人しか思い浮かばないのだ。

……彼だ。

今、この向こうにいるであろう彼の顔が頭に浮かび、私は降りかかった不運にため息すらでなかった。

やけに綺麗な顔をしているとは思ったが、まさかこのご時世でファンクラブなろうものがある男子高校生がいるなんて。

つまりはここにいる彼女たちは皆、彼のファンクラブの一員なのだろう。これがメンバーの全員なのか、それとも今日こなかったメンバーがいるのかは見当もつかなかったが、ひとつ確かなのは自分は知らぬ間に彼女らを敵に回してしまったということだけだった。

暑い季節でもないのにダラダラと嫌な汗が背中を伝って流れていく。

「あ……そ、の……ちが、」

けれどもコミュニケーション能力の低い私には、彼女たちの誤解を解けるほどの話術もなければ、この人数を前に謝罪の言葉を紡ぐことも出来ない。口をパクパクさせながら、彼女たちの目を見ることすら出来ずに、俯いて、大事なカメラを抱きしめるのが精一杯であった。

何も言わない私に、彼女たちは苛ついたように私にしか聞こえないような小さな声でごちる。

「最近構ってくださらないと思ったら……まさか、ねえ」
「どうしてこんな地味な子を構うのかしら」
「校内にも校外にも、もっとふさわしい人がいるでしょうに」

放たれたその言葉に、私の心がチクリと痛む。

言われ慣れた言葉だ。地味で、性格も暗くて、可愛くもない。
女の子らしい趣味や遊びは苦手で、してきたことと言えば写真を撮ることくらい。

お化粧なんてもちろんしていないし、仕方もわからない。
写真を撮るために運動神経もないのに山に登ったり川を下ったりしているおかげで、体中に擦り傷切り傷も絶えない。
おまけに手なんて現像液でボロボロだ。

そんな綺麗とは程遠い存在の私が、綺麗としか形容できない彼と一緒にいたこと自体がおかしな話だったのだ。
釣り合わないとわかっていたのに、彼の優しさに。話しやすさに、つい自分の立場も忘れて楽しんでしまった。

クラリ。めまいがする。
取り戻しかけていた景色の美しさが、また急激に色褪せていってしまうような感覚がして、私は恐怖でギュっと目をつむった。
しゃがみ込んで、何もかもを遮断するように耳を塞ぐ。そんな私の周囲で、彼女たちの騒ぐ声が聞こえたような気がしたが、弱虫な私に目を開ける勇気なんてあるはずもなかった。

塞いでいる耳が痛くなるほど手を押し当てる。キンキンと高い喧騒の切れ端だけが聞こえてくる。

真っ暗な視界の中、瞼の裏に、熱いものがジワリとくすぶり始めたのを感じたその時。身体が急に強い力で抱き寄せられて、私はその拍子に堅く閉じていた目を開いてしまった。

――視界がワイシャツの白で埋め尽くされていた。大きな暖かい手が私の肩を抱いている。耳元でドクドクと力強い鼓動の音が聞こえていた。

「努力している女性は皆素敵だ」

凛と響く声。彼の声だ。
すると周囲から彼女たちの息をのむような声が聞こえ、続いてまた彼の穏やかな声が降ってきた。

「――写真を上手く撮りたくて必死なこの子も、オレの為に一生懸命着飾ってくれるキミたちも。すごく素敵だ」

それはとても優しい口ぶりなのに、私にはその声色がどこか引きつっているような気がして、何だか不安になってしまう。
けれどもそう感じたのは自分だけだったのか、次の瞬間、彼がふっと柔らかく息を吐いて微笑むと、途端に悲鳴のような、感嘆のような声がワッとあがり、彼女たちはキャアキャアと嬉しげに騒ぎながら去って行ったのだった。

校庭がいつもの静けさを取り戻す。私を抱き寄せていた手が離れていくのを感じて、おそるおそる頭上を見上げると、視界に見知った彼の姿が見えて、それだけで酷くホっとしてしまった。

「大丈夫か?ケガはしていないか」

心配そうに覗きこんでくる彼の顔が少し青ざめている。
きっと私の顔色も同じようなことになっているのだろう。なんとか首を振り、そうしてどうにか口を開いて声に出した。

「あ……ありがとうございます」
「いや、礼を言われては困る。巻き込んですまなかった」

苦しげに、深々と頭を下げられてはこちらが恐縮してしまう。大丈夫だから、と何とか頭をあげさせ、まだバツが悪そうにしている彼の雰囲気を変えようと、出来得る限りの明るい声色を出して見せた。

「ほら、でもよくあんなこと咄嗟に思いつきましたね!努力している女性は素敵……ってやつ。私もちょっとドキッとしちゃいましたよ!」

流石、モテる人は言うことも違いますね!と続ければ、彼はきょとんとした顔をして不思議そうに答えた。

「……だって、本当のことだろう?」
「え?」
「ほら」

不意に、彼が私の手を取る。何をするのかと見ていれば、彼はガサガサに荒れた私の手を自分のさかむけひとつないスラリと伸びた指で撫でながら言うのだ。

「キミのこの手は努力している、素敵で、綺麗な手だ。だからキミも素敵な女性だ」
「……っ」

息が詰まる。
そんなはずない。どう考えたって彼の手の方が綺麗なのに。
それでも彼は大真面目に私の手を綺麗だというのだ。

慌てて引っ込めようとするが、彼は手を離してくれない。
恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうになりながらも非力なりに抵抗し、ついには涙目になりながら訴えかければ、それを見て彼はパッと手を離して気まずそうに顔をこわばらせた。

「……すまん。キミを見ているとつい構いたくなる」

その言葉に、不覚にも胸が高鳴ってしまう。どんな意味かなんて深く考えたくない。モテる男の言うことなんて、真に受けてはいけない。

それでも胸の中で感じたことのない感情がじわり、じわりと大きくなってしまうのだ。
耳が熱い。ううん、耳だけでなく全身が熱い。
いつも顔を合わせている筈の彼の顔が、いつも以上に眩しくて目も合わせられない。

そんな私を見て、彼はくすりと微かに笑った後、突然「あ、」と思いついたような声をあげて、私に目を向けて来た。

「なあ。オレたちこんなに会っているのに自己紹介がまだではないか?」
「あ、そういえば……」
「少々遅くなってしまったが、この機会に名乗らせてくれ。オレの名前は……――」



――東堂尽八。




彼の声がそう紡いだ瞬間、私は絶句した。

兄に『東堂』に関する注意勧告を受けた日。兄と東堂のやりとりの情景。そんなことが記憶の底から蘇ってきて、私の頭の中をぐるぐると回りだす。

忘れていたわけではない。その証拠に私の身体はその名前を聞いただけでこんなに警戒している。
けれど、兄に異常なくらいの連絡をしてきていた騒がしい『東堂』といま自分の目の前にいる紳士的な『彼』が同一人物だなんて思いつきもしなかったのだ。

「キミの名は?」

綺麗な顔が、綺麗な声が。私に答えるようにと促してくる。
これは違う。彼の本性は、ことあるごとに兄を困らせる悪魔だ。

……そうだ。おかしいと思っていたのだ。何でも持っている彼が、私なんかに興味を持って一緒に居たがるだなんてあり得ない。

彼は前々から自分が執着している『巻島裕介』に似ている私に興味を持っただけだったのだ。それが無意識なのか確信犯なのかは知らないけれど。

「っ……い、や!嫌!」

私に接する優しさの、そのすべてが偽りに見えて、私は怖くなってその場から逃げだした。
背後から、彼の声が聞こえたが一度だって振り返らなかった。

慣れない全力疾走にすぐ息が上がる。
どうしようもなく苦しくて、嗚咽が漏れた。

ああ。兄の言うとおり、彼は関わってはいけない人だったのだ。話したりしてはいけない人だった。
だって今、私はこんなに痛い思いをしているのだから。

後ろから誰も追ってこないのを確認してから、私は校舎の物陰に隠れてしゃがみ込む。
ズキズキと痛む胸を押さえたら、押し出されたかのように涙がこぼれた。

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