リクエスト | ナノ

▼ 前編
「話があるから入れてくれ」

それは私が県外の高校に進学を決め、入寮のための引っ越し準備をしていた時のこと。ようやく荷物を詰め終えて一息ついていた私の部屋に、ふたつ年上の兄である巻島裕介がやって来て、開口一番に言い放ったセリフであった。

自転車以外のことに興味がないはずの兄にしては妙に深刻な顔だ。
手に持ったおやつのモンブランと紅茶のトレーがなんとも緊張感に欠けるが、不器用な彼のことだからこうでもしないと年頃の妹の部屋へ入ってはいけないとでも思ったのだろう。

チラリ。見ればそのモンブランは私のお気に入りのケーキ屋のものであった。電車で二駅を乗り継いだ、駅前にあるファンシーな外見のそのお店。味はそこそこだが、ケーキのデザインが総じて可愛いのだ。

……ひとりで入ったのだろうか。私と話をするためだけに?

それだけで彼が酷く真剣な話をしようとしているのだと気が付いて、私は無言でコクリと頷くと、兄を部屋の中へ招き入れたのだった。



私がこの春から通い始める高校は箱根学園といい、全国でも珍しく写真部に力を入れている高校である。
私はこの部に入りたくてわざわざ地元から遠く離れた県外の高校を受験したのだった。

言い忘れていたが、私は根っからの写真好きである。見るのも撮るのも大好きで、日々写真展を梯子したり、愛用のカメラを持って飛び回ったり、それを自分で現像してはニヤニヤと眺めたりしている、根っからのオタクなのだ。

寮に持っていく荷物の中身だって、上限の段ボール5個の内3個はカメラの機材や今までとった写真たちである。大きな賞を取ったことはないが、それでも写真が大好きで大好きで仕方ないのだった。

そんな私が設備も充実した箱根学園に入学するのは至極当たり前の流れだ。
受験期に入り、早々にここを受験すると家族に伝えれば、皆が賛成して入れる中、この兄だけはどういうわけか『箱根学園』という名前を出した瞬間反対し出したのだ。

『あそこだけはダメッショ!!』

普段は静かな兄が急に大声を出したこと。そして何より大好きだった兄にそんな言われ方をしたことに、そのときの私は驚き、そして酷く腹を立てた。

それきり彼とはほとんど口を利かないまま箱根学園を受験し、合格して。

――そして今に至るわけだ。





部屋の中央に置いたガラステーブルに向い合せに座り、差し入れのモンブランを突きながら兄を睨む。

「で?この期に及んで『箱根学園はやめろ』なんて言うつもりじゃないでしょうね」

問うた私に、彼は黙ってトレーにふたつあったカップの内のひとつを手に取って口を付けると一息つくように息を吐いてから「違う」と否定し、改めて私に向かい合った。

「……あの時は頭ごなしに反対して悪かったッショ」

謝罪の言葉と共に、兄の頭が私に向かって少しだけ下げられる。いきなりの謝罪に、面喰った私が動けずに兄を凝視したままでいると、彼は数秒の後、目を伏せたまま顔をあげた。
憂いげなその表情には、確かに懺悔の感情が浮かんでいる気がして、私は思わず息を詰めた。

そういえば私はあの日、彼が箱根学園への入学を反対した理由を聞きもしなかった。兄は、理由なしに人の夢を貶したりするような人ではないのだ。きっと何か事情があって反対したはず。
そんな簡単なことすら思いつかなかったのは、そんな余裕もなくなるくらいにショックだったからだ。

けれど、冷静になった今なら聞ける。『どうして箱根学園は駄目なのか?』

問えば、兄は苦虫を噛み潰したような独特の顔をして、それからしばらく黙りこんだ後、ボソボソとまるでつぶやくように言葉を発した。

「東堂がいるんだよ、あそこ」

東堂。

兄が警告する『東堂』という男を、私は知っていた。
といっても見たこともなければ話したこともない。けれど、四六時中掛かってくる電話に出る兄がその名を呼んでいたことや、電話に応えなかった時のしつこさは見ていたのだ。

電話口からでも聞こえる声の大きさと高笑い。兄が迷惑そうな顔をしながらやれやれとため息をついて席を外すところを何度も見ていた。
そんな人物がまともな感性の持ち主とは、確かに考えにくい。

つまり兄は、自分の経験をもってして妹の私に注意勧告を促しているのだ。箱根学園3年で自転車競技部の東堂に。いや、彼に関する全てと関わるな、と。

もちろん私もそんな面倒は御免だった。自分から関わることだって、もちろんしない。する筈がない。

そう答えれば、兄は少しホッとした様な顔をして大きな手で私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。それは、酷く久しぶりな兄妹のスキンシップだった。

「お兄ちゃん、私も意地張ってごめんなさい」
「おう。向こうでも頑張れッショ。応援してる。困ったことがあったらすぐ電話しろよ?」
「うん!」

入寮の前に仲直りが出来て良かったと、その時の私はそればかりで、あまり兄の話について深刻に考えてはいなかったのだ。
だって万が一私が巻島裕介の妹だとバレたとしても、東堂は3年、自分は1年で、最悪1年間我慢をすればそれで彼とはおさらばなのだ。別段問題はない。

中学生でも高校生でもないふわふわとした感覚の数日はあっという間に過ぎ去って、そしてその春。私は実家を離れ、晴れて箱根学園の一員となるべく入学を果たしたのだった。






**********









……自分で言うのもなんだが、巻島家の人間は基本的に社交性というものを持ち合わせていない人が多い。だから揃いも揃って新しい環境になかなか馴染めないし、友人も少ないのが特徴だった。

その変わり、好きなものに打ち込む熱意に関しては群を抜いていた。一番上の兄はイギリスで装飾デザイナーとして活躍しているし、二番目の兄もロードバイクでなかなかの成績を残している。そして、末っ子の私も写真を撮ることが大好きという徹底的な個人プレー兄妹であった。

他人のことであれこれ考えたりする気力を全て好きなものに注いでいるが故の結果なのだろう。
案の定、入学した高校でも友達は少なかったが、私は写真さえ撮れればそれでいいのだ。ヒマさえあれば被写体を探して彷徨って、現像の為に写真部の部室にに入りびたり。それだけで幸せで、それだけが生きがいだったのだ。

……けれど、その生きがいの壁にぶち当たる瞬間がやってきた。




それは、初めて経験するスランプというものだった。
何がどう引き金になったかはわからないが、急に自分の写真が単調な物のように思えてきたのが始まりだった。

うす暗い下駄箱だって、砂埃の酷いグラウンドだって。花粉の酷い校舎裏の松の木林も、雨の日のカタツムリも、校庭の隅の古びたウサギ小屋も。
今まではどんな景色だって輝いて見えていて、私はそれに心を揺り動かされてシャッターを切っていたのに、それがパッタリと光るのをやめてしまったのだ。

いや、彼らはちゃんと光っていたのだ。けれど私が心を揺さぶられなくなってしまっただけ。
きっと美しいのであろう景色に向かってシャッターを切っては見るものの、心なく撮ったそれにはやっぱり心などない。

「あーもう……どうしよう」

息をついて、また無造作にカメラを構える。撮る物も決まっていないのにレンズを覗き込み、そのままレンズ越しに何か撮れる物はないかと探していると、ふとカメラが吸い寄せられるように止まった。

校庭の片隅。そこにいたのは、酷く綺麗な男の人だった。
美しい緑に囲まれた箱根学園の自然の中で、浮くことなく調和して一体化している。何をするでもなくボーッとしながら少し顔をあげ、空を見上げているその凛とした表情がまるで神様みたいで、吸い寄せられるように一歩近づけば、草葉を踏んだその音に気が付いたのだろう。
顔をこちらに向けた彼がカメラを抱えた私を見て、少し驚いたように目を見開いているのが見えた。

「ご、ごごごめんなさい!あまりにも絵になったもので、その……!」
「はは、面白いことを言うな」

笑った彼はやはりとても綺麗で、逆光のせいか神々しさのようなものまで感じてしまい、思わずドキリとしてしまう。その刹那の美しさをとらえようと無意識にカメラに手を伸ばしかけて、私は思わずハッとした。

何をしようとしているのだ。
許可も貰わずいきなりカメラを向けるなんて、いくらなんでも非常識すぎる。

慌てて腕を押さえつけ、久しく味わっていなかった撮りたい衝動をやりすごそうと拳を握りしめれば、そんな私に彼は少しだけ思案するような表情をした後、何を思ったかカメラの前で指を二本立てて、ピースサインを作ってみせた。

思わず唖然としてしまう。
どこか浮世離れした美しさを持つ彼のピース姿があまりに似合わなかったから……ではなく。
初対面のはずの彼が、カメラを持った私を許容したからだ。

……だって、カメラを向けられた者のピースサインが意味することなど、ひとつだけだろう。

私は吸い寄せられるようにもう一度カメラを構え、神様みたいに綺麗なその人に向けて今度は迷いなくシャッターを切った。


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