リクエスト | ナノ

▼ (後編)
「あーもう、ホンマありえへんわ」

赤いピナレロに跨った少年が、ブツブツと文句を言いながら房総半島の海沿いの走っていた。大阪生まれの大阪育ち。生粋の大阪人であり、それを誇りにすら思っている鳴子章吉という少年だった。

そんな彼がどうして大阪からほど遠い千葉の海沿いを走っているかといえば、それは彼がこの春から千葉県民になるからである。
親の仕事の都合で、どうしても引っ越さなければならなくなり、つい最近こちらに移ってきたのだった。

それまで自分は何の迷いもなく大阪の高校に進学すると思っていた彼にとって、この引越しは苦痛以外の何物でもなかった。中学までの友人や、親しくしていた近所の人、何より自分を育ててくれた故郷の全てと別れなければならないのだ。

しかも、父親の転勤先が関東と来たものだから彼のショックは尚更に大きかった。
これが同じ関西圏内ならば文化や習慣が似通っていることも多いため順応も早いだろうが、場所はまさかの千葉県だ。

言葉も違う。文化も違う。ついでに言うならノリも全然違う。

良いことといえば、片田舎ならではの道路の広さと空き具合か。
どこもかしこも人口密集度の高い大阪と違って、千葉は少し街の中心から外れさえすればこうして大きく走りやすい道路を見つけることが出来る。

見渡す限りが天然の練習場だ。ロードバイクが趣味の少年にとっては、このことが何よりの救いであった。

けれどもそれだけでは傷ついた少年の心は晴れないのだ。
ため息ばかりをついて、ダラダラとひたすらペダルを回していると、自分の後方から何やら聞き覚えのあるホイール音が聞こえ、彼は思わず振り返った。

この音は自動車が出すエンジン音混じりのそれではない。
もっと単純で、かつ洗練された車輪の出す音だ。

(ロードバイク乗りか!)

千葉に越してきて初めて出会う自転車乗りだ。
嬉々として視線を合わせたそこにいたのは、熊のように大きな体を持つ男の姿だった。
重機のようにドッシリとしたイメージであるのに、近づいてくるその音を聞く限り相当のスピードが出ているようだ。

まるで誰かに追われているようにペダルを回してガンガン飛ばしている。その姿に、その速さに。少年はあっけにとられて、思わず近づいてくる男を凝視してしまった。

……笑っていた。それも、酷く楽しそうに。

「抜くぜ!前見て走れよボウズ!」

大きな体で風を起こしながら、ものすごい勢いで隣を走り抜けていく男。その一瞬を目で追って、鳴子はもうひとつ、驚くべきことに気が付いて、目を剥いた。
男の後ろにもう一人、女性がピッタリとくっついて走っていたのだ。

空気抵抗を受けやすそうな体格をしているくせに超スピードで走り抜けていく男の存在も信じられないが、その弾丸のような速さについていける女性がいるということも信じられない。

奇妙な二人の存在に引き付けられるように、鳴子のペダルを回す足が速くなり、気が付いた時には彼らを追いかけていた。

スピードメーターが目に見えてどんどん上がっていく。30キロ、40キロ、50キロ……なのに、彼らに追いつけない。

彼らの方がスピードに乗っていたとはいえ、それでも距離が全然縮まらないのだ。けれど、それが自分が追いつけないくらい彼らが速いのだと理解した瞬間、鳴子の心にカッと闘争心の真っ赤な炎が宿ったのがわかった。

自分だって関西の大会では好成績を残しているちょっとは名の知れた自転車乗りだ。
関東でこの足がどれだけ通用するのか、力試しも悪くない。

「浪速のスピードマンなめんなや!」

下ハンを握りしめ、踏み込んだ足。怪物のように速い彼らとの距離が少しだけ縮まったような。そんな気がした。









**********







鳴子が灯台の駐車場に停められている2台のロードバイクを見つけた時、そこにいたのは車両進入禁止のポールに腰かけた例の熊のような男だけだった。

鳴子の姿を見つけた男は、汗まみれの右手をあげて「よう」と気さくに声を掛けてくる。

「ボウズにしては意外に速かったじゃねえか」
「あと数日で高校生やっちゅーねん!普通に勝負したらワイの方が速いしな!それより、もう一人おったやろ。どこ行ったん?」
「あ?アイツならもうすぐ戻ってくるだろ」

「ほら」と田所が顎で指し示す方へ振り返れば、見覚えのある女性がペットボトルを何本か腕に抱えて戻ってくる様子が見えた。
ロードバイクですれ違ったのは一瞬だったので顔こそよく見えなかったが、停めてある車体や、サイクルジャージの色からしても先ほどの彼女なのだろう。

下唇を少しだけ突き出し、拗ねたような表情でこちらへと近づいてくる。その彼女が視線をあげ、田所の隣にたたずむ鳴子を見つけた瞬間、曇っていた顔がパッと明るくなり、嬉しそうに小走りで駆け寄ってきた。

「少年、意外に速かったねえ」
「それさっきツッコんだわ!二人して喧嘩売っとんのかい!」

ついツッコみを入れてしまえば、彼女はそれに屈託なく笑って、手に抱えていたペットボトルの一本を鳴子へと差し出してきた。まるで、最初から鳴子が自分たちを追いかけてくると予想していたかのような自然さだ。
思わず受け取って礼を言えば、柔らかく笑った彼女の首筋を大粒の汗が流れ、白いサイクルジャージに吸い込まれていくのが見えた。

「でもゴール直前で本気スプリントなんて酷いよ。勝てるわけないでしょ!」
「がっはは!でも勝ちは勝ちだ。ほら、オレにもよこせ」

何やら楽しそうに話している内容を聞いていると、どうやら彼らは何かしらの勝負をしていたらしい。どんな勝負にしろ、自転車対決で男と女が本気で争うなど聞いたことがない。
けれども聞けばその勝負が男の圧勝ではなく、僅差での勝利だったということだ。一体どうなっているのか。

鳴子は改めて2人をまじまじと見据えてみる。
大柄の男の方は走っていても座っていても変わらずどっしりとした印象だが、気になるのは女性の方だった。

……走っている時とは、幾分雰囲気が違うではないか。

先ほど見た彼女は、まるで前しか見えていないかのように闘争心で目をギラギラさせていた。
なのに今目の前のいる彼女といえば、ごく普通の少女に見える。自転車に乗るのが趣味の、普通の少女に。

「アンタら何者や」

つい口を割って出た言葉に、彼らが同時に顔を向けてきた。そうして2人で顔を見合わせて、ニッと笑顔を見せてくる。

「オレは総北高校自転車競技部スプリンター、田所迅だ。覚えておけよ豆つぶ!」

驚いたことに、彼の高校は鳴子がこの春から入学する高校名と一致していた。しかも相手は自転車競技部で、自分と同じスプリンターらしい。

総北高校がインターハイ常連校とは聞いていたが、これが全国レベルの速さなのだ。追いつけなかった自分の実力にヘコんだと同時に、追いつくべき目標を見つけた気がして一気にやる気が満ち溢れてくるのが分かった。

……ということは。
鳴子の視線が彼女の方へ向く。すると彼女はにっこりと笑って、期待通りの返事をくれた。

「マネージャーの佐藤しおりです。よろしくね」

胸がきゅんとする。普通にタイプだった。

自分は大阪生まれの大阪育ち。生粋の大阪人であり、それを誇りにすら思っていた。
だからこそ、転勤での引越しなんてありえない。前以上に充実した日々なんて望めないと、そう思っていたからふて腐れていたのだ。けれど。

「……千葉県、ええやないか」

目標も、あこがれも。この一瞬で手に入れてしまった。
嫌で嫌で仕方がなかった新生活が、いまでは待ち遠しくて仕方ないとすら思えた。












そして春。
入学と同時に鳴子は自転車競技部の扉を叩いた。待っていたのは個性的、かつ実力派ぞろいの部員たちと、そしてあの日出会った、自分の目標となるべき田所の姿だった。
しかし、それと同時に重大な事実を知ることとなる。

「なんでや!オッサンしかおらへんやないかい!!」

……探せど探せど見つからない『彼女』の姿に、彼のそんな絶叫が響くのは、もう少しだけ先のお話。






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