短編 | ナノ
▼ 3

「おはようミズキ……と、こりゃまたすごい顔だな」

次の日、登校してきたミズキの顔を見るやいなや東堂が顔をひきつらせた。
彼が驚くのも無理はない。なにせ昨夜は帰宅後も謎の悲壮感に襲われて、疲れ果てて眠るまでずっと泣きっぱなしだったのだ。

朝起きて、鏡を見た時のミズキの絶望っぷりといえば想像に難くないだろう。擦った目の周りは赤くなり、泣きすぎて顔もパンパンにむくんでいる。
正直学校を休もうとさえ思ったが、それではまるで失恋のショックで休んだみたいで癪に障ったので無理やりにでも来た。

せめてもの誤魔化しに、と黒縁の伊達メガネをかけてきたのだが、東堂の様子からするにあまり効果を上げているとは言えないようだった。

東堂がミズキの前の席に腰を下ろす。何も言わないが、どうやら他の生徒達からミズキを隠してくれているようだった。
確かにここに東堂が座っていて、なにか話しているふりでもしてくれていれば前方から誰かに覗きこまれて泣き顔の理由を詮索されることもなさそうだ。

サラリとこういう男前なことをやってのける友人に、ミズキは言葉には出さないが、心から感謝していた。

「それでな、昨日の真波のことなんだが」

まなみ、とその響きを聞いただけでミズキの肩がぎくりと揺れる。もちろん目ざとい東堂もそれに気がついていたのだろうが、いちいち反応していては話が進まない。わざと気づかないふりをして話を続けてきた。

「ヤツも反省していたぞ。ミズキに謝りたいそうなんだが、会えるか?」
「謝罪なんて必要ないよ。それに、今はちょっと……会いたくないから、ごめん」
「そう……か。そうだな。真波にはそう連絡しておくよ」
「うん。ありがと」

できうる限りの明るさで振る舞い、笑みを作るがどうにもうまく笑えなくて困る。
会えるわけがない。まだこんなに感情がぐしゃぐしゃの状態なのに。
そんなミズキに東堂も悲しそうな表情をしてと力なく目を伏せた。

「だがな、少しだらしはないが、本当は良いヤツなんだ。ただ好きなことにしか興味を持たないだけで、まっすぐなヤツで」
「わかってるよ。東堂くんが目にかけてる後輩だもん。悪い人じゃないってわかってる」

そう返せば、東堂はまだ少しバツの悪い表情をしていたが、それ以降はその話題には触れてこなかった。

もうすぐホームルームが始まる。ミズキの前の席の生徒もいつのまにやら登校してきたようだ。
隠してくれているとはいえ、いつまでも席を陣取っているのは申し訳ない。東堂にもう一度礼を言うと、彼もそれを察したのか黙って頷いて、ミズキを慰めるように頭を軽く叩いて、撫でてくれた。

……それはずるい。

せっかく泣き止んだというのに、そんな風に甘やかされたらまた泣きたくなってしまう。最近緩みがちな涙腺を決壊させてしまわないように唇を噛んで耐えていると、急に廊下の方がバタバタと騒がしくなって教室の扉が乱暴に開かれた。

「ミズキさん!」

呼ばれた名前に、心臓が止まるかと思うくらいドキッとした。
下の名前を呼ばれ慣れていないとかそういうことじゃない。現に東堂はミズキを下の名前で呼び捨てにするし、友人たちだってそうだ。

けれど驚いたのは『彼』に呼ばれたのが初めてだったからだ。
下の名前どころか、苗字すら呼ばれたことがない。そのくらい、自分たちの距離は開いているはず。

なのに。


息を切らせて入り口に立っている真波がまっすぐとこちらを見ていた。
彼の瞳に映っているのは、涙目になっているミズキの姿と、その頭部に手をやっている東堂の姿。いつも穏やかな大きな目がその瞬間、鋭く細められたのが見えた。

「マズイな」

東堂が苦虫を噛み潰したような顔をして小さくつぶやき、ミズキの頭からパッと手を離して距離を取る。

「違うぞ、真波。誤解だ」
「やだなあ、わかってますよ。オレ東堂さんのことすっごく信頼してますもん」

こちらに近づいてきながら口端を上げてそう答える真波の目は、言葉とは裏腹に全く笑っていない。おそらく、彼はとんでもない誤解をしているのだ。止めようとしてミズキも席から立ち上がろうとすれば、ちょうどその時、いまいま真波が飛び込んできた入口の方から追撃のように声が上がった。

「あー!もう、真波くんダメだよ邪魔しちゃ!」

やけに可愛らしい、少し舌っ足らずな声。それを聞いた途端、ミズキは頭の先から爪先までの全身の血が冷たくなる感覚に襲われてめまいがした。

ゆっくりと声の方に振り向かば、そこには隣のクラスの美少女……昨日の放課後、真波と楽しそうに話していたその人が困ったような顔をつくってオロオロとしていた。

その一言で真波の動きが止まる。それを見計らったように、女の子が真波の腕を掴み、それ以上いかせんとするように両腕を絡ませていた。

顔が小さく、肌は陶器のように白くてスベスベ。接点があまりないので近くで見たことはなかったが、本当にお人形さんのような美少女だ。

真波と並んでいる姿だって、予想以上に絵になっていて。
そんなお似合いな二人の姿が目に焼き付いて、離れてくれなかった。


教室中がざわめいている。輪の中心にいるのは、もちろんミズキを含めた4人の姿だ。
なぜこんなことになっているのかも理解できず呆然としていると、彼女はわざと教室中に聞こえるような声で言葉を続けた。

「だからその二人は付き合ってるんだってば。昨日も一緒に帰ってたし、今だって……――」
「……違う!」

弾かれたように否定し、ミズキが席を立つ。
机に叩きつけた両手がバンッと大きな音を立てたのを、隣のクラスの彼女は悲鳴を上げて真波の後ろに隠れた。

別に自分自身に変な噂が付くのは良い。けれど、関係のない東堂まで巻き込むようなことは絶対にさせない。

勝手なことばかり言いふらすその人をキッと睨みつければ、彼女は「やだ、高梨さん怖い……」なんてうるうるの怯えた目を向けてきた。
それだけで教室中の空気が彼女への同情心に揺れ始めてしまうのだから、やっぱり美少女というのは得だ。誰からも愛されて、守られて。好きな人とちゃんと一緒になれるのだから。

いまのミズキの立場を言葉で表すなら、『隠していた東堂との交際をうっかり者の美少女に暴露されて八つ当りする悪役』といったところだろうか。

完全に彼女の味方ムードの教室内からは、男女問わずに「言いすぎじゃないか」とか「謝った方がいいよ」とかいう非難めいた声が聞こえてきて、怖くて膝が震えてしまいそうだった。

ああ。こんな逆境に立たされたって、自分のような平凡な娘は戦わねばならないのだ。もがいて、もがいて。それでも我武者羅に生きなければならないのだ。

……まあ、その方が性に合っているのは確かであるのだけれど。

目をつむり、恐怖で竦んだ心を落ち着かせるように大きく息を吸い、吐く。そして。

「っ東堂くん!」
「なっ、なんだ!?」
「私とあなたはズッ友よね?」

いきなり何を言い出すのかと教室中がぽかんとしているのも気にせず、ミズキは射殺すような勢いで東堂を見上げて「ねっ!」と同意を求めてくる。

問われた東堂も、しばらく唖然としたような表情を見せてはいたが、ミズキの真剣な表情からすぐに意図を汲みとってくれたらしい。
クツクツと喉で笑った後、声を大にして宣言してくれた。

「当たり前だろう。ミズキの結婚式の友人スピーチはオレがやると前々から決めているのだ!他の奴に頼んだりしたら許さんからな!」

その答えに、ミズキも吹き出して満足そうに笑う。
マヌケな彼らのやりとりに、ピリピリと張り詰めていた教室の空気が急速に緩和していくのを感じて、ミズキは内心酷くホッとした。

そりゃあまさか、こんなに清々しく友達宣言をした二人が恋愛感情にあると思うクラスメイトはいないだろう。
皆、先ほどの疑惑に一瞬戸惑いはしたが、いつも二人の色気の『い』の字もないじゃれ合いを見ているのだ。

2人がそう言うならそうなのだろうと、高嶺の花である美少女の言葉より常々自分たちが見ている光景を真実として受け止めてくれたことが嬉しかった。

さて。あとは、目の前の2人に念押しするだけだ。特に、未だに真波の腕に抱きついて顔を硬直させている彼女にはしっかり言っておかなければならないことがある。

「そういうことなので、真波くんに勘違いさせるようなことを吹き込むのはやめてね」

顔色を青くさせ押し黙った彼女に、しっかりと満面の笑顔を作ってミズキは2人の横を通り過ぎる。
いつものごとく真波の視線が自分を追ってきていたのは知っていたが、もちろん視線を合わせたりはしなかった。





ミズキが去って彼女の作った和やかな空気の流れる教室に、動かない3人が残されている。
一人は何やら得意げな顔。一人は怒りに打ち震えた形相。そしてもう一人は顔を隠して俯いた形と、皆一様に反応は異なっていたが、その頭の中にあるのはたったひとりの事だけだった。

「どうだ、オレの親友はイイ女だろう?」

俯いた男に、東堂が得意げに問いかける。すると眉間にしわを寄せて不愉快を貼り付けていた女が「どこがっ」と口を開きかけたが、その声は真波の声にかき消された。

「はい、めちゃめちゃカッコ良かったです。オレ、ミズキさんのああいうところも好きだなあ」

飾ってなくて、まっすぐで。強がりなところなんて堪んない。

女が彼を見上げると、顔を上げた真波の目が見たこともないほど爛々と光っているのが見えて、その狂気に思わず絡ませていた手を解いてしまった。

「どこにいますかねえ」
「さあな。でもお前なら探し出せるだろう?」
「もちろんそのつもりです」

言い切った真波に東堂が苦笑する。そして間髪入れずに踵を返して走りだした彼に、やれやれと息を吐いた。
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