89:失墜



インターハイ当日は、目眩がするほどの晴天だった。
地区予選を勝ち抜いた先鋭たちが、続々と決戦となる会場に集まってきている。

――今年も、この夏が来た。
バスを降りた瞬間、ピリピリとした視線が自分たちに向けられる。漂う緊張感。王者への対抗心。
今年こそ王座から引きずり下ろしてやるというむき出しの敵意に、下級生たちが何人か怯えたような声を上げていた。

「堂々としとけボケナスが」

そんな弱気な様子に、荒北が喝と言う名の蹴りを入れる。
周りは敵だらけ。なのに頼るべき身内も怖いというどうしようもない状況に、下級生はなお怯えてしまうのであった。

「あまり虐めてやるな」

福富が静かにたしなめれば、荒北は面白くなさそうに舌打ちをしてそっぽを向く。こんな態度をとっているのは、彼もこの大舞台に気が落ち着かないからだろう。
それに気がついているらしい東堂と新開がからかうように笑い、茶化すと今度は彼らが先輩に「うるせえ!」なんて怒られていた。

……全く、なんて緊張感のない。
思わず息を吐く。すると、隣で我が部のマネージャー……佐藤しおりがふっと息を吐いて、小さく笑ったのが聞こえた。

「いい雰囲気だね。皆いい感じにリラックスしてる」

彼らの緊張に欠いた行動をいとも簡単に許容する彼女に、福富は少しだけ肩をすくめる。
……まあ、確かに緊張し過ぎるよりは良いのかもしれないが。

それにしたってリラックスしすぎだ。そう漏らせば、彼女は「確かにねえ」と苦笑いしたが、すぐにスッと鋭く目を細めて声のトーンを落として言った。

「でも、大丈夫だよ。だってこんな挑戦的な視線向けられたら、誰でもすぐにやる気になっちゃうじゃない?」

ゾクリとするほど輝く瞳。彼女が放つ圧のようなものが空気を通して伝わってくる気がして、思わず鳥肌が立った。

彼女のこの雰囲気は、レースのスタート前の雰囲気だ。
『絶対に勝ってやる』という痛いほどのプレッシャーに『ならば全力でかかってこい』と言わんばかりに挑発する雰囲気。

久しぶりに感じる、彼女の絶対王者の気迫。触発されるように心が震えるのを感じていた。

「しおり」
「うん?」

名を呼べば、彼女は爛々と輝く瞳を隠そうともせずにこちらに視線を向けてくる。
自分だけを応援して欲しい。見ていて欲しい。

そう投げかけたい気持ちと、それが今この場でする発言としてはふさわしくないと制する気持ちが葛藤して言いあぐねれば、彼女はそれを福富の緊張と取ったのか。暖かな手のひらでポン、と彼の背を叩いた。

「大丈夫、福ちゃんは強いよ」

触れられた部分から、彼女の熱が伝わってくる。
今日はこの夏一番の暑さになるらしく、なるほどまだ日が昇ってさほど時間が立っていない今ですら汗ばむような気温だった。人混みで人とすれ違うのですら不快に思ってしまう程だ。

それでも、彼女から与えられる熱はちっとも嫌ではない。
おかしな話だ。いや、当然ともいうべきなのだろうか。

気合を入れ終え離れていく温度を名残惜しむように、今度は福富がしおりを見下ろせば、やけに楽しそうな彼女の瞳と目が合った。

「……オレは、強い」
「うん」
「必ず勝つ」
「待ってるよ。三日間ずっと、ゴールで待ってる」

彼女は我が部のマネージャーだ。ゴールで部員の到着を待つのは当然なのかもしれない。
彼女のセリフだって、何も特別なところなんてなかったはずだ。

なのにこんなに心が踊る。
彼女がゴールで待っているからこそ、誰よりも速くゴールラインを切りたいのだ。彼女に受け止めて欲しいのだ。

あと一時間足らずで開かれるインターハイという名の舞台幕。
背中を押されるように固まった決意の心が、力強い鼓動となって全身に血液を回していた。








**********









――何でおまえがそこにいるんだ。

インターハイ二日目の第二ステージ。
福富は、自分の前を行く男の姿を呆然と見つめていた。

ペダリング、体力、実力。明らかにヤツの方が格下だ。なのに自分は彼を振り切れず、そして今、シフトミスの隙を狙われ、逆転されていた。

あと2キロ。まだ2キロある。

なのに今、自分は目の前の男を抜く自信がない。
心が燃えたままの自分は、他の誰よりも強いと思っていたのに、どういう訳か彼の放つ謎のプレッシャーを超えられる気がしないのであった。

いや、駄目だ。自分は一番でゴールしなければいけない。
弱気な心を奮い立たせるように首を振る。

遠くに見えるゴールの光の中に、自分を応援してくれる彼女の姿が見える気がした。それだけで胸が熱くなるのに。
なのに、追いつけない。

待ってくれ。オレは、オレは。その光は、オレの――

耐え切れず、福富は手を伸ばす。
けれどその右手が掴んだものは、栄光でも、勝利でもなかった。

流れていた景色がぐらりと揺れ、風のようだったスピードが一瞬で失われる。

激しい衝突音と、衝撃で放り出される男の姿。
瞬間、激しい後悔と自己嫌悪で、心がかき乱されるのがわかった。

なんてことを。
煮えたぎっていた体中の血が、サッと冷えていく音を聞いた気がした。

「金城!金城ぉお!!」

自分が地に落としたその人の名を呼んだ。ヨロヨロと立ち上がった彼の怪我の様子で、もう総北に勝機はないことはすぐ分かった。

もう遅い。絶望し、嘆いたところで時間は戻らない。

オレは弱かったのだ。そして誰よりも卑怯な男だった。
辿り着いたゴールで、真っ青な顔をして駆けつけて来てくれた彼女からの手当を断って、先輩マネージャーに処置してもらう。

心配そうに顔を歪ませている彼女はまだ自分が何をしたのかを知らない。

自転車が大好きな彼女が。フェアプレイに重きを置く彼女が、自分のしでかした愚行を知ったらどんな反応をするのか。それが恐ろしくて、彼女の顔が見れなかったのだ。

軽蔑するだろうか。嫌われるのだろうか。
目を合わせただけで見透かされるような気がして、ただそれだけが怖くて。

焼けたアスファルトの地面に、情けない視線を這わせることしかできなかった。




 
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