86:企み



「わーっはっは!見たか!この東堂尽八、美しさも実力も兼ね備えた男だ!」

ギャンギャンと騒ぐ彼のやかましさは、長い長いレースが終わってもいつも通りだった。
ただ違うのは、その声の主である東堂が頭に冷えピタ、全身湿布まみれという何とも締まらない格好で横になっている状態ということだった。

夏合宿初日のレース。東堂は激戦の末、リザルトポイント首位で見事今日の優勝を果たした。
自称『眠れる森の美形』である彼のゴールは、いつもの騒がしい彼からは想像できない程スマートで静かなことが多い。
しかし今日は優勝がよほど嬉しかったのか、天を仰いて大きくガッツポーズなどを作って……そして、そのまま見事に落車したのだった。

過度な疲労と、プレッシャーから解放された安堵で目を回したのだろう。しばし気を失い、皆が夕食を終える頃にやっと目を覚ました彼に優勝の件を伝えた結果、この騒がしさと相成ったわけだった。

これには主将はじめ先輩方も呆れ顔だったが、それでも無茶苦茶な走りだったとはいえレギュラー陣の誰よりポイントを獲って優勝した東堂の根性に、正直に感心しているようだった。

「それで?今日の優勝者様は何を願う」

話を振られ、東堂は少し考え込むようなもったいぶった素振りを見せながら、自分を取り囲む部員たちをぐるりと見回し、ふふんと鼻を鳴らした。気取った態度は余計だが、それでも皆が好奇の目で東堂を見つめ、次の言葉を待っている。
散々焦らした後、彼は最後にしおりの方に向き直ってニヤリと笑った。

東堂の計画を、しおりは知らない。いや、それどころかここにいる誰も知らないらしい。
彼が寝ている間、しおりが福富たちに確認してみたのだが、どうやら彼らは自分たちが優勝した際の願いを個々の独断で決めていたらしいのだ。

ちなみに福富はこのご褒美制度の撤回を。荒北は合宿中、しおりが夜間部屋から出るのを禁止することを考えていたらしい。

夕食の席で一緒になった際素直に礼を言えば、彼らは『自分たちは結局優勝できなかったから』と何だか複雑そうな顔をしていたが、正直そんなことは関係ない。

だって彼らは、至らない自分の為に色々考え、尽くしてくれたのだから。
それが嬉しいと伝えれば、彼らはやっと少しだけ笑ってくれた。


……さて、話は戻って東堂の願いについてだ。
焦らす東堂に、皆が緊張した面持ちで来たる時を待ってごくりと唾を飲み込む。
彼の目は、一直線にしおりを見つめていた。爛々と光るその瞳を見つめ返しながら、しおりも彼の言葉を待った。

「オレの願いを言おう」
「は、はい」
「合宿の三日間、一緒にいてくれ。部屋も、食事も、休憩もずっと一緒だ」

途端、ざわめきが起こる。
そしてそんな願いの対象となったしおりも、これには困り顔だった。

確かに、他の誰と過ごす気の知れた彼といるのが一番気楽で、安全だとは思う。眠るのだって、不可抗力とはいえ去年も同じ部屋で一緒に寝たわけだからその辺はまず安心して良いのだろう。

しかし、やはり付き合ってもいない男女が同じ部屋で寝るのはどう考えたって不埒だ。背徳的過ぎる。
何と断ろうかと言いあぐね、とにかく何でもいいから声を出そうと口を開きかけた瞬間。

「おーい東堂、佐藤!客だぞ」

3年生マネージャーがひょこりと顔を出し、こちらに呼びかけてきた。

……客?
不思議に思いながら時計を見れば、時刻は午後7時を回ったところ。こんな時間に、こんな場所に訪ねてくる者に心当たりがなく首を傾げれば、隣で東堂が「来たな」と声を弾ませて囁いたのを聞いた。

「何、東堂くんどういうこと?」
「見ればわかろう!客人だよ」
「だから誰なのって聞いてるの!」
「そりゃあ、お前……――」

彼女だよ、と東堂が手のひらで示した先には、3年生マネージャーの陰からおずおずと顔を出す少女の姿が見えた。

……見覚えのある顔だ。いや、見覚えがありすぎる。

「こ、こんばんは、しおりちゃん」

緊張がちの柔らかい声色のその少女。それは紛れもなく、しおりのルームメイトの少女の姿であった。
彼女は律儀に部員たちに挨拶のお辞儀をしてから、はばかりながらも部屋に上がり、しおりと東堂の傍にちょこんと腰を下ろろすと、横になったままの東堂にも丁寧に挨拶をしていた。

「東堂くん、誘ってくれてありがとう。えっと、体……大丈夫?」
「なあに、心配いらんよ!こちらこそいきなりで悪かったな、来てくれて嬉しいよ」
「ううん、いいの!夏休みで時間あったし。それにしおりちゃんが困ってるなんて聞いたら放っておけないもの」

頬を染めてそんないじらしいことを言ってくれる彼女は、同性から見ても本当に可愛い……ではなくて。

何故彼女がここにいるのか。どうして東堂と仲よく話しているのか。しおりの混乱する頭では、何ひとつ理解が出来なかった。

まるで置いてけぼりを食らった子供の様に呆然としているしおりに、東堂が悪戯が成功したというようなしたり顔で満足げに笑った。

「覚えているか?1年の時にしおりの弁当をつまみ食いしたことがあったろう。あの時の味が忘れられなくてな。しおりに内緒でこっそり彼女に接触して、オレたち、今では日々レシピを交換し合う仲なのだ!」
「なっ……なななな、っ!!!」

何で隠してたのよ、と叫ぶしおりに、東堂はしれっと「言ったらしおりが怒るから」と返してくる。
……否定はできない。ぐうの音も出ずに黙れば、彼はホラ見ろとばかりに肩をすくめて見せた。

「だから内緒で呼んだのだ。ちなみに彼女にはしおりのマネージャー業務のサポートをしてもらう手筈だ。あ、ちゃんと主将にも許可は取ってあるぞ」

その言葉に思わず驚きで見開いた瞳のまま主将に顔を向けると、彼はしおりの形相に一瞬ビクリと肩を震わせ、「まあ、人出は多い方がいいし……」と何故か言い訳じみた物言いをしながら目を逸らした。

ああ、何だか混乱してきた。
東堂と彼女が実はレシピを交換する仲で、東堂がいつの間にか彼女を合宿に呼んでいて。
それで、肝心の東堂のお願いが自分と3日間過ごすことで……――

そこまで考えたところで、急に東堂が「あ、そうだ」と楽しげな声をあげる。ちょっと。こっちは頭の中を整理している最中なのに、と彼を睨むと、彼は苦笑しながらしおりをなだめ、そして言った。

「勘違いをしているようだが、しおりが一緒に過ごすのはオレではなく『その子』だ」
「え?」

予想外の言葉に、思わずルームメイトの彼女の顔を見る。
すると彼女は大体の事情説明は受けているらしく、くすくす笑いながら混乱で胸の前で拳を握ったまま行き場をなくしていたしおりの手をそっと握ってきた。

つまり、東堂はこの為にしおりのルームメイトである彼女を呼び出していたのだ。
自分が優勝することを前提に戦っていたというのはもちろん。万が一負けてもしおりのサポート役として呼び寄せた彼女が四六時中一緒に居ることで安全は守られるから。

それをやっと理解して、思わず用意周到な彼にジンと来てしまった。

「もう一度問おう。『合宿の三日間、彼女と一緒にいてくれるか』?」
「……っはい!」

問いに大きく頷いて、しおりは心底嬉しそうにルームメイトに抱き着いた。ホッとしたやらなんやらで、どうやらしおりは泣いてしまっているらしい。ルームメイトの肩口に顔を埋めて必死にそれを隠そうとしているのを見て、東堂はルームメイトの彼女に目配せをすると、しおりに今後の業務を教えてもらうという名目で彼女を連れ出してもらった。

彼女たちの姿が部屋の外へと消えるまで見送ってから、やれやれと言った風に息を吐く。
そしておもむろに真剣な顔をしたかと思うと、部員たちの目の前で傷だらけの身体に鞭打ちながら起き上がり、無理やりピンと背筋を伸ばし、深く、深く頭を下げた。

「……これは自分の我儘ですが、ここにいる全員にお願いがあります。あと2日間、優勝してもアイツを困らせるような願いはしないでやってください。頼みます」

畳みに額が付きそうなほど頭を下げる、それはもはや土下座に近い。
プライドの高い東堂が、マネージャーの為にここまでしている様は、はっきり言って異常だった。

彼がどうしてそこまでするのかなんて、いくら察しが悪い奴でも何となくはわかる。彼の態度を見ていれば、わかるのだった。

「当たり前だろう」

その異様な空気を断ち切ってくれたのは、やはり我が部の主将だった。
良く通るその声が、怒っているとも、笑っているとも取れるような声色で言う。

「お前に言われなくてもな、オレたちだって佐藤が大事なんだよ!いなきゃ困るんだ。誰が傷つけるようなことするか」

その言葉に、部員たちが次々と賛同する。
ご褒美制度なんて聞かされたときには、そりゃあ健全な青年であるからして一瞬不埒な考えもよぎったが、彼らの根本はこれなのだ。

――彼女を傷つけたりしない。困らせたいなんて、思っていない。

どうやら彼女は予想以上に皆に愛されているようだ。それが何故だかとても誇らしい。
東堂は、丸まっていた背筋をシャンと伸ばし、そしてもう一度、皆に感謝を意を述べた。


 
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