83:重責



初日の第一レースが終わり、東堂はいつもより念入りにクールダウンをおこなっていた。通常であれば50キロくらいのレースならば軽い柔軟だけで済ませるのだが、今日に限ってはそれでは足りない。
なにせ、自分は今日、リザルトポイント獲得の最多賞をもぎ取らねばならないのだから。体力の配分も考えず、全力で回したふくらはぎが筋肉疲労で引きつっているのを感じ、マッサージで揉み解した。

……第一レースでの獲得ポイントは、4ポイントだった。

内訳はと言えば、山岳リザルトで3ポイント、最終リザルトで1ポイントの計4ポイント。一人での獲得ポイントとしては高い方だが、それでも一度でもリザルトを1位通過した者には負けているという現状だった。

そもそもこのリザルトライン通過順位によるポイントというのは、1位は5ポイント、2位は3ポイント、3位が1ポイントという風になっているらしい。
同チームのメンバーに聞いたところによると、レース説明の時にしおりがこの説明もしていたらしいのだが、彼女のご褒美制度発言へ驚愕するのに忙しく、全く耳に入っていなかったのだ。

ちなみに現在のポイント1位は福富の9ポイントだ。どのリザルトでも高順位でポイントを獲得していて、走りも非常に安定している。このままいけば確実に福富が今日のポイント王となり得ること間違いなし……だったのだが。

彼はきっと、もう今日のポイント獲得合戦には参加できない。
何故なら、たったいまもの凄い怒りの形相を浮かべたレギュラー陣に連れて行かれてしまったからだ。

無理もない。この合宿の本来の目的はと言えば、レギュラー陣の最終調整なのだ。ひたすらレースをすることでいつでも最高のパフォーマンスを引き出せるチームの統率力向上にまい進する。その為の特訓なのである。

……だのに、先のレースのレギュラーチームの統率力はどう見たってボロボロだった。
原因は他でもない、福富だ。彼はポイント獲得に躍起になるあまりリザルトが近づくと同チームのメンバーとすら争うような走り方をして無理やり上位に食い込むということを繰り返していたのだ。

これではチームの統率力向上どころか、彼への不信が募るだけだ。
今頃先輩方に勝手をするなと絞られているであろう彼の早すぎる戦線離脱を予測して、ため息をついた。

「全く、馬鹿者どもが……」

『馬鹿者ども』と複数系なのは、彼の他にも馬鹿者がいるからに他ならない。言うまでもなく、荒北のことだ。

実は彼も東堂と同じく第一レースで4ポイントを獲得したポイント上位者なのだが、彼はこのレースの合間の一時間休憩でじっとしていられない程気持ちが焦っているらしく、休憩に入ってものの20分ほどで「ちょっと走ってくる」と出かけて行ってしまったのだ。

――自分たちが一位を取らなくては、彼女を危険に晒してしまう。

そんな不安を抱えてヤキモキする気持ちはわかるのだが、だからといって貴重な体力を自ら削りに行くなど、愚行以外の何物でもない。
今は平気でも、この後のレースでじわじわと無駄に消費した体力が仇となって効いてくるのだ。

……結局、冷静なのは自分だけ。

その証拠に、自分は必要なところで力を入れて、あとはきちんと温存しているし、休憩だってしっかりと休んで次に備えている。

幸いにもチームのメンバーも、東堂をエースとして扱い、また彼がポイントを獲りにいくのを許容してくれているので、3年の先輩であってもリザルトラインでは彼を立ててくれるのだ。

どうやら天は自分に三物どころか四物を与えてくれたらしい。登れる上にトークも切れる、更にこの美形。なおかつ運もある。
それは非常に有難いことだが、恵まれすぎてしまった故に、今自分自身にのしかかろうとしている重責に、心の圧迫を感じているのも事実であった。

果たして、自分は本当に一人で彼女を守り抜くことが出来るのだろうか。
山岳リザルトは問題ない。確実に上位を獲れる自信も、実力だってある。だが、気がかりなのはその他のリザルトだ。

この東堂尽八、平坦が遅いという訳では決してない。むしろ一般的な選手と比べれば速い方なのだろう。
けれど、ここは自転車競技における怪物たちの集う箱根学園だ。先ほどのレースでは福富と荒北の勢いに引っ張られて自分も上位入り出来たが、次からのレースではそれがなくなってしまうかと思うと酷く不安だった。

(いっそ、平坦は捨てて山岳リザルト一本に絞るか?)

いや、それではあまりにもリスクが大きすぎる。間違いなくレースの上位となるであろうレギュラーチームが各リザルトの上位を独占する場合だってあるのだ。自分は、その上をいかなければならない。

大きく息を吐く。次のレース開始まであと30分ほど。それまでに対策を考えないと。

考え込むように目をつむり、ブツブツと作戦をつぶやいていると、不意に近くで控えめに名前を呼ばれ、東堂はパッと声の方へと顔を向けた。

「……しおり?」

立っていたのは、東堂がこうも悩む事の発端となった少女だった。なんともいえない、実に気まずそうな表情をしている。「座って良い?」と問うてくるので頷けば、彼女はためらいがちに東堂のすぐ隣に腰を下ろした。

膝を抱え、そわそわと落ち着かない様子の彼女。その横顔をまじまじと見つめていると、視線に気が付いた彼女は困ったように目尻の辺りを指で押さえて「まだ赤い?」なんて聞き返してくる。
その言葉で、彼女の言わんとしていることが先ほど泣いたことによる産物の話だと気付く。

……言われてみれば、まぶたが少し腫れている気がする。

しかし、擦った痕や赤みは不自然にならないくらいにおしろいを乗せて誤魔化しているようだ。彼女のことだから泣いた事実を他の部員に知られたくないのだろう。彼女の涙の発端を作ったのが自分たちだと自覚している為に、罪悪感で顔がゆがむのを止められなかった。

しばしの沈黙が通り過ぎていく。いつもの心地よい沈黙ではない。どこかよそよそしい沈黙だった。
先ほどあんなことがあったのだから仕方がない。自覚させるためとはいえ、彼女を怖がらせ、泣かせた。この気まずさがその代償だ。
そんな中、先に静寂を破ったのはしおりの静かな声だった。

「ねえ、もしも辛かったら、ポイントのこと気にしなくていいからね。東堂くんの好きに走っていいから」
「それはどういう意味だ」
「だから、その……」

言いよどんだ根底にあるのはきっと、強がりで甘え下手な彼女なりの気遣いだ。
大方、先ほど東堂が大きなため息をついていたのを見てしまった為に悪い方へと勘ぐってしまったのだろう。

あれだけ怖い目にあっても。負ければあれ以上の怖い目にあうかもしれないとわかっていても。それでもまだこちらのことばかり心配するのだ。

まったく、彼女の性格には呆れるばかりだ。
呆れる程お人好しで、呆れるくらい自分のことは二の次で。

……その不器用なまっすぐさが、酷く愛おしい。





「まだそんなことを言っているのか」

怒ったように声色を低くすれば、彼女は怯えたように肩を震わせ体を硬直させる。「ごめんなさい」と弱々しく呟いた彼女の声が少しだけ震えていた。

怯えさせたいわけではない。俯きかけの彼女の頬に手を伸ばし慰めるように指先で撫でてやると、彼女がおずおずと顔をあげたのを見計らって、ずい、と自分の顔を彼女に近づけた。驚いたように見開いた彼女のまん丸な瞳が目の前に見える。反射的に避けようとした体を押さえつけ、動けないようにする。

そうして……――



――その勢いのまま、彼女の額に自分の額を思い切りぶつけた。




 
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